Crimson sky | ナノ



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監守は焦っていた。金髪の囚人が無くしては、紅眼の男と交わした条件は完遂不能であったからだ。


「くそっあいつ、何処へ行った…!折角の計画が!」


予想外の事態に、焦燥の中刻ばかりが無駄に過ぎて行く。時間の許す限り考えられる処にくまなく足を運んで調べた。だが必死の捜索虚しくその姿を見つけることは遂に叶わず、監守はその計画を断念するしかなかったのだった。









一方ユゥイは、機を窺っていた。

運転手が荷を運ぶ為に降車した隙を逃す訳にはいかなかった。ふらつく足元を叱咤し素早くその運搬車に近付く。手には一枚の板切れ。それは以前一度運搬車の車体の下部に忍び込んでその様子を観察し、擬態の為に日常作業の合間に少しずつ接ぎ合わせ着色したものだった。幸いにも車種は定期のものとそう違わない。早速持ち合わせた道具と運送車下部との間に己の身体を挟む。

それと同時に扉が開き、建物内から複数の足音がした。
車体の下、見つからぬよう息を潜める。
棺が車内に−−−己の上に置かれた重々しい響音に手が震える。だが努めて冷静である様、潜めた息をひとつ、吐き出す。

程なく唸りを上げるエンジン。発動に車体が大きく揺れる。暫くの激しい振動の後に安定をみた車体は、ゆっくりと加速を始める。

 移動が唐突に止む。車が門前にて停車したのだ。再び複数の足音が車を囲んだ。後方の扉が開き、チェックが入ったことが解った。更に棒付の子鏡が取り出され下方を写し不審な点を暴き出す。ユゥイは息を殺す。緊張に心音が呼応して強まるのを感じたが僅かな身動ぎすらも封じてそれをやり過ごすのを待つ。擬態が見破られまいか。時間にすればそう長くはなかろうが、永遠に続くように感じられた。やがて微かな話し声も足音が消え、静まり返る。


もしかすると見つかったのか?



だが再び上がるエンジンの振動に、ユゥイは微かに息を漏らす。擬態は見破られずに門を潜り、広がる砂の荒野に世界は開かれたのだった.



 しかし衰弱し切った身体に容赦なく、重力はその重みを増していく。手には力が入らなかった。身体を支える指先は徐々に痺れ、感覚が無くなってくる。積荷する前より灼熱の大地を走ってきた車だ。車体は下部までも熱を含み、脱獄が成功した辺りから、ユゥイの両の手は腫れ爛れていた。

車体に張り付き無事に砂漠を渡りきる。それが如何に無謀であることかは端から分かっていた。其れでなくとも病と灼熱下での労働の日々に蝕まれていた身だ。友が死んでからのちは食糧の摂取すら記憶に乏しい。ユゥイが自身で思っている以上に、体力は残されていなかった。

けれど進むしかなかった。
己に死と云う解放を許さなかった今、前進しか、選択肢は残されていなかったのだから。
だが広大な荒野に投げ出されたなら、確実に命は無い。


だが車体はユゥイの身を振り払わんかの如くに車速に比例して振動を強めていく。整備のされていない砂の地は走行に対して余りに粗悪で、道なき砂の上を走っていく為時折不快にタイヤが砂を巻き込んでエンジンが唸りをあげた。

彼の死が与えてくれたチャンスだ。逃したくない。ユゥイは痛点も麻痺した指先に更に力を込める。その時、激しく車体が揺れた。砂から突き出した岩肌の凹凸に片方のタイヤが乗り上げた為だ。強く掴んだ指先が滑り車体から外れる。凄まじい痛みがユゥイを襲う。全身を打ちつけるそれを感じながら、余震に揺れる車体のエンジン音が遠ざかっていくのを聞いた。大きな衝撃が全身を駆け巡り、砂煙がユゥイの身体を包む。手が離れた刹那、今度こそ自らの終焉を覚悟した。それでも意識を取り戻し、立ち上がろうとする自分が在る。熱射に汗が頬を滴り落ちてゆく。ユゥイの脳裏に蘇るのは、監獄で逢った二人の男の生前の姿だった。

彼らはあの醜悪な檻の中でどう在ったろう。
それに引き換え自分の晒した姿はどうであったろう。

自嘲に自ずと唇が歪む。彼らは脱獄を望まず、希望と云う光を持たず、それでも腕っぷしだけでは無い、滲み出る程の強さを持って生きていた。自らを貶めながらもそれでも芯に変わらぬ強さがあった。それが、自分が関わったばかりに失われた。一人は眼前で命を絶たれ、一人は骸を突きつけられた。紅目の男の死の顛末は聞かされてはいない。



だが自分さえ。関わらなければ。――彼の前に現れなかったならば。
きっとこうは、ならなかった筈だ。


眉を寄せ、肩を震わせ火照る躰を立ち上がらせる。落下時の打撲で痛めたらしい肩を庇い、一歩足を進めてはびっこをひく。一歩、また一歩。躰が揺れる度に激痛が走るが、時間が経つにつれそれも又麻痺してきた。限界はそう遠くなかった。やがて一歩たりとも歩くことが敵わなくなり、終に熱砂の上へ崩れ墜ちたのだった。






 歪な形に傾き、砂の大地へと吸い込まれゆく夕陽に視線が注がれる。横たわった侭、ユゥイは金に溶けては奇怪に形を崩しゆくものを見つめた。それは、軌道と云う抗いようの無い宿命を辿って今日も地平線に呑み込まれゆく。真紅の太陽から放たれる光はやがてユゥイの身を覆い尽くし包み込んだ。それは身を刺すように鋭かったが、白昼に監獄で経験した甲高いあの陽射しの様に、命を殺がれるような禍々しさを持つもので無く。
優しい訳ではないが、ほんの少しだけ温かみがあって、それはまるで「彼」の腕に包まれる様で。


『生きるんだろう、てめえは』



低い声が聴こえた気がした。一面に広がる空はユゥイの心に彼を想起させた。この空はきっと直に夜闇と謂う名の安息を、この身に齎(もたら)してくれる。
闇は本来恐ろしいものである筈なのに、こんなにも心を落ち着かせてくれる。


待ち遠しい闇をもたらしてくれるその光は、愛しい色と熱を持っていた
見上げる蒼を紅く染め上げる

そうしてユゥイの意識が果てる前に眼にしたのは、日の最期を知らしめるべく燃え盛るかの如く

紅蓮に爆ぜた空だった









 

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