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お前は、死なせねぇ
何時だったか、遠く朧な意識の中にそんな声を聴いた気がする。
低く、祈るような独白の声は近くに今も聞こえてくるのに。眼前の彼は、息をしては、いない。けれどその眼は今にも開いて、あの鋭い紅光が現れるのではないかと静かに蒼はその横顔を見つめていた。
これ以上失うものが無くて、他に考える事が出来なかったのだ。
どうすれば終わりにできるだろうとそればかりが、あの暗闇の中に在ったユゥイの脳内に纏わりついていた。死はあの時の彼為れば、一つの罰に成り得た。
外にこの男が、居たからだ。
生きる事に幽かな陽射を見出せていたのだ。
死ぬなと。
その言葉を与えてくれた人間がいた。ただ、それだけのこと。
全ての始まりの時から、義務に駆られて生きていた。そして投獄されてからは脱獄することばかりを目的としていた。
だが何時しかきっと。
この男から己の身を離すこと自体が、課する罰の一つと為っていた。そしてまさに今漸く、そのことに気付いたのだ。まさにその男が死骸と成り、碧眼の眼前に現れたこの時に。
生きて罪を贖うには、罪を負うその身は矮小である。
けれど死して贖おうにも、それはもはや贖いではなくなってしまった。
―――お前は、死なせねぇ
では 生きなければ。
生きて、目的を果たす。そして、その時こそ。
「解放、してもいいかな…」
久方ぶりに出した声は掠れきり、金髪の囚人は笑顔に顔を歪めた。そして最後に一度きり黒く逞しい髪を一撫ですると、屍人の蒼い唇に己のそれをそっと寄せた。初めてユゥイから重ねた口づけは、とても冷たく。
そして、別れの為のものだった。
監守が次に其処を訪れた時、既にその姿は消えていた。先の様子からして、暫し放置しても、変わらずあの金髪はその屍の傍らにあるものと思い込んでいたのに―――
読みを誤ったと盛大に舌打ちすると、大柄な男は急いでかの囚人の眠る部屋を後にした。出発の時間までにはそいつを探しださなくてはならない。なんとしてでも。心当たりを虱潰しに捜索し始めた。
一方、金髪の囚人もまた、朦朧とした足取りで探していた。目的の物を。この監獄に於いてあの様に手厚く亡骸が扱われるのは奇怪であるとしか言い様がない。此処に在る全ての罪人は死すれば只棄てられるもの。そう、思っていた。
だが、そうでない「例外」があることをユゥイは察知した。その様な売買はそれに類する裏の世界に足を踏み入れた経験の有る者でなければそうそう気が付くことはなかったろう。
おそらくこの監獄には、公表されていない裏システムがある。だとすれば、回収するものが必ずこの近くにまで着ている筈だ。集荷し、運送するものが。
チャンスはそれきりだ。様子を窺うために一周したところ幽閉される時を境にか、状況は一変していた。至所に溜まっていた囚人どもは殆ど見当たらない。ユゥイは考察する。食糧を運んでくるそれがやってくる回数は激減するだろう。そう成ればそれに潜む事など益々難しくなる。
おおっぴらに出来ない事情のある臨時の便であるからこそ、一部の人間にしか知られていない筈だ。
恐らくは定期の物と比して、そのチェックはより緩慢なものとなる。そう考えれば最後の脱出の鍵を与えてくれたのは、やはりあの男であるのだった。そのことにも空っぽの胸がずきりと刺されるようだ。思わず眉を顰めながらも、当初案内された地階のある建物に帰り目的のものを待ち続ける。荷が此処に在る限り、必ず積みに現れる。
さして時間は経たぬ間にそれはやってきた。蜃気楼に揺れながら停車するそれを見つけ、固く握りこぶしを作った。