Crimson sky | ナノ



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どれ程の時間が流れただろう。
いや、彼等にとってのその時間は、どれ程の意味を持っていたのだろう。


驚くべきことに、黒鋼と多年に渡り取引を独占していた監守へのお咎めは差当りのところなく、監獄上層部は不気味な静寂さを保っていた。故に、下手に動きがとれない。静寂がかえって焦りを増長させる。

長年に渡る公的財産の着服。緊張の中、徒に刻ばかりが過ぎていった。奴等に表立った動きが感じられなかったのも恐らくは、その監獄という醜悪なばかりの地の下に如何ほどの財が眠っているのかと云う見当をつける為もあったろう。

思いがけず勃発した、かの事件が契機となり囚人たちの一掃されたのは、奴らにとって絶好の好機だったとしか言い様がない。上層部は長年放置していた檻の脱獄可能性の視察と称して、空になった囚人室の造りに手当たり次第調査の手を入れているようだった。…土に面した檻ばかりを極めて重点的に。


黒鋼から秘密の漏洩が知らされてからは勿論取引自体不可能と為ってしまった訳で、その当の黒鋼自身も、件の新人が幽閉されてからは無言でただ考え込む素振りを見せることが多くなった。どうやら召喚された時に何かしらの選択を迫られたらしい。嫌な予感がしたので念のため、それを本人に確認することにした。安易な接触は危険であるから、彼との接触は慎重に慎重を重ねるよう心掛けた。そうすることに果たして価値があったと後に確信している。実を言えば当時、そうした他人の事情を気にしてばかりもいられなかったのだが。監守とて予断ならない状況下に在ることに間違いは無かったのだから。

だが、こうした望まない状況が何時しか来る事は、予想していなかった事態ではない。甘い蜜を吸う側の人間として、先代から監守の男とその一族は、常々このような事態に於ける方針と対策は立てていた。問題は何時行動に出るか、だ。それに伴い、策を練りあらゆる可能性を考慮した。


そして男は待った。決行に移す時が来るのを。
その時、想定外の事態が待ち受けていることも知らずに―――







やがて牢が開かれ、彼の状態を見た監守にはそれを告げることが躊躇われた。褪せた金髪、傍目に見ても精気のなく弱りきった躯。足元に力はなく、もはや引き摺られて歩いていると言ったが正しい。何よりも眼を見張ったのは、その虚ろな瞳だ。幽閉前の彼の瞳が有した一切の光は奪われていた。正しくは壊されて、いた。


 監守と彼は、身体を幾度となく重ねた仲だった。物品交換の為である。金髪の新人にすれば物資が欲しい、それが全てだったろうが、監守にとっては情が全く移らなかったと云えば嘘に為る。

例の牢に幽閉される前、その監守は金髪の新人に対して身体を要求していた。煙草が欲しいのだがどうすればいいかと尋ねられたからだ。最初彼を抱いたのは、あの風貌に対する純粋なる好奇心だった。何と謂ってもあの色素の薄く透明感のある肌と髪は、この砂漠の地でそう易々と抱ける代物ではない。しなやかな筋も、引き締まった腰も、一度抱いてみれば心地よく監守の手に馴染んだ。危くこの容顔美麗な異人の身体に溺れかかった。だが最中の彼の瞳を見ると、そうなってはならないと意識が警鐘を鳴らした。勘が告げる。決して深入りしてはならないと。薄っすらとしながらも何処か遠くを見つめている蒼い光は異形だ。この光を永く袂に置く事は己の器ではそう容易くは敵うまい。手に入れても、この光はきっと手に余る。

それでも結局は再三彼に身体を差し出すことを要求した。そして彼は例外なくそれに応じた。けれどその心までは、――好きにすること等、出来はしなかった。だからあくまで代価として、その身体を有難く堪能した。

更にはこの異人が時折、監守の古くから知る一人の囚人を誘っている事も知ってはいた。一度その様子を偶然見かけた事がある。その時の異人の様子は、自分に対してのそれとはまるで違っているように見えた。

彼は常々、あたかも身体を繋げる事など何でもない様を装って、此方の要求する情交を承諾していた。そしてその際には例外なく淫らで魅力的な情人を演じきる。黒鋼相手でもそれは十中八九変わらない筈だった。

だが。

その男を見つめるアイスブルーは。


一つは義理、けれどもう一つは何処か抱かれたいと云う自我に染められていて。

この二つがその心を割拠しており、しかも無意識にであるが故金髪の彼は己の中に存在している相反する内面に戸惑っている、という風だった。黒鋼を誘うときの異人の表情、少し離れた立ち位置…自分に向けられるものとは同じ様でいて決定的に違うそれらの振る舞いが、異人の心を証明しているかのように思えたのだった。

面白くなく感じることもあったから一度、ふとした悪戯心からまぐわいを交わしている中に「黒鋼」の名を出してみたことがある。
けれど彼は笑んでその名を受け流しただけだった。

あの様子では、彼はおそらく自分の気持ちに気づいてはいまい。
そして気づくまいとしている自分にすらも、気づいてはいまい。


当事者たちばかりが自分の心に無知であった。



監守は思う。彼らは自身にばかり優しくない。そんな彼らだからこそ、他でもなく此処に居るのだろう。

そこまで考えながらも監守は必要に突き動かされ、その歩を進めた。そんな彼にこれから告げようとしていることは、恐らく今最も酷であろう事。けれど監守には、そんな心を労わってやる余裕も、既に残されてはいなかった。



襤褸の如くに力無い異人の前に立つ。翳を蒼い瞳が見止める。異人は蒼い瞳を虚ろに監守へと向けた。


「黒鋼が、死んだぞ」


監守は口を開いた。


  

 

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