Crimson sky | ナノ



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手はずは整えた。あとは、その機を待つだけだ。
けれど今のままでは確実にひたひたと這う様に近づき聴こえてくる、死の音色。


急がねばならない。

何に代えても、確かめなくてはならない事がある。

たとえどんなに可能性がゼロに近くとも。






「無理すんなって」


そう言いながら、一人抱え上げようとしていた砂一杯詰まったバケツをユゥイの手から取り上げたのは空汰だった。

黒鋼が何処からか調達して来る薬を服用し続けている為、発作自体はかなり楽なものへとなっていた。急性期は過ぎた。問題なのは体力だった。だが回復の兆しの合間にも、ユゥイは課せられた仕事をこなそうとする。病そっちのけで精力的に作業を進める新人の姿は、空汰の目には奇妙に映った。

此処でいくら粉骨砕身しようとも、それに何の意味も価値も生まれることは無いのだから。

「何か、やっていないと、…ダメなんだ。」

にこり、と笑顔で空汰の表情から疑問の色を見てとったユゥイが答える。額からはとめどなく汗が流れる。発作でなくとも熱射のため呼吸は常より荒い。

「そいでも、また発作出たら黒鋼の眉間に皺が増えてまうで?病人は大人しくするもんや」

横取ったバケツを手に、背を向ける。荷をとられ、砂捨て場に運んでいく空汰の背を手ぶらで見つめているうち、軽い眩暈に襲われる。けれど脚を踏み締めどうにか倒れる事無く我を取り戻すと、次の作業に取り掛かった。

「ほんま自分、頑固やな〜」

帰ってきた空汰がそれを見ていっそう呆れるが、ユゥイは構うことなく砂を掻き続けた。



こうして何か作業していないと、現実から目がそらせない。
どれ程の時間、どう贖おうとも、犯した罪は消せない。


けれどせめて、時がくるまでは


それを贖う為だけに。





黙々と専念し始めた病人にそれ以上話し掛けることも憚られて、空汰は無言でその場を後にした。

そんな折であった。黒鋼に獄長からの呼び出しが掛かったのは。



 囚人である黒鋼に抗う術があろう筈もなく、監獄長の執務室へと足を踏み入れた。手を前に鎖に繋がれ、両脇はサーベルを持つ監守で固められている。その刃が静かに頸へとあてがわれる。部屋の中心を陣取る人物がひらりと手を翳すと、その凶器が黒鋼から若干の距離を置く。


「で、てめえみてえのが俺に何の用だ」
「貴様!獄長にその様な口をきくな!」

更に長の警護の位置に在る監守に、持っていた警棒で頬を打たれる。しかし紅眼の男は、投獄されてから初めて踏む木製の床に赤混りの唾を軽く吐き出しただけで、直ぐに向き直った。木製の椅子に腰掛け、机の上に肘をつき此方を見据えて来る男に不快感以外の何物も沸いてこない。


「口のきき方に気を付けなさい、#1059…だったかね。反抗的な態度は君の為にならないよ。…賢く生きなければね」

穏便にそう言いながら書類に目を通し、老獪めいたその男は小さなグラスのレンズの上に瞳を覗かせる。そして口だけで笑みを作った。

「こんな場所で賢くも糞もねえだろ」

奪われる物など今の黒鋼には無い。その事が無意味だとわかっていても反抗の衝動を掻き立てた。

「何か私達に隠している事があるんじゃないかね?」
「…知るか」

間髪入れず呟かれた黒鋼の返答を聞いて、老人はぱんと手を打った。

「取引といこうじゃないか。君の破滅的な強さの事は耳に入れているよ。何でも、既に何人もの囚人を再起不能にしているとか?」

ユゥイを庇った時の話か。黒鋼は眼を細めた。

「その強さを見込んでいい話がある。…仕事をしないか?」

老人は甘美な誘いに心を揺らす瞬間を見逃すまいと目を凝らした。囚人の最も欲しているものを餌に吊るす。娑婆の空気を。

「我々の側で働いてみないか?」
「どういうことだ」
「なに、どうという事はない。君は世界各地に赴き、ポリスに逮捕が難儀な殺戮犯を捕らえる。それだけだ」

黒鋼の眉が上がる。本気だろうか。

「んな話にのるか」
「実際のところ、君たちの様な屑に充てがう人手が惜しいのだよ」
「それだけか」
「察しがいいな」

そう於いて老人は白手袋を纏った手でグラスを外す。

「此処からはビジネスだ。君に報奨金を用意しよう。豊かな生活が出来る。美味い酒、此処では食せない馳走が食べられる、それに女もだ。我々に差し出すものはその身の自由だけ。…ターゲットは、君も犯罪者なら分かるだろう?勿論逃亡など許さない。それに関しては此方側で最善の処置を施させてもらう…どうだ?悪くないだろう?」

人の良い笑みで持ちかけて来る条件。囚人である此方が差し出すものは今と変わらない。なんて事はない、こいつらは意の儘に使役出来る暗殺人形を手に入れたいということなのだ。…呼び出された狙いはこれか。
黒鋼は目蓋を下ろした。

守るものなどない。失うものもない。

なれば---この身を一介の木偶人形に貶めてしまうも今となっては一興か。どうせ得るものの無い人生だ。ああ、と承諾を返そう唇を開いた。

だが、咽からの有声が洩れる事は無かった。声帯を震わせる空気が喉頭を通らない。何を躊躇する事があろうか。いや、解っている。後髪を引かれることがあるとするならば、ただ一つだけ。

心の片隅に引っかかる淡く儚い存在。命が消えゆくのを、自らの手で…引き留めた。


「…断る」


予期していたものとは異なるだろう返答に特別驚く風でもなく、老人は次なる言葉を発した。確信を込めた笑みを浮かべながら。


「そうか。それは残念だ。いい話だと思ったんだがね。此方も無理にとは言わない、何せこの仕事には自主性が必要だからね。

それはそうと…時に君は。この豚箱の中に良い仲がいるそうじゃないか。」


その言葉に、心音が一つ大きく鳴った。



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