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行き場を無くし揺蕩う煙が燻り、黴臭い四角い壁面へと染みを擦らんと身を寄せる。
それを蒼い瞳は無関心に見つめていた。
シガレットに溜まる灰を堕とす事もない。身動き一つする事なく、刻の流れる音を聴く。
煙草がジジと音を鳴らしながら、灰を零した。リミットを伝える様に。同時に現れた男の気配に、ユゥイは軽く息を吐いた。
「てめえ…」
無言で自分へと声を発した男に、視線を向ける。非道く色のない表情で。その様に、男は紅い瞳を幽かに歪める。
「君だよ。相手を見つけろって言ったのは。」
「呆れたぜ。売女かよ」
あれからユゥイは数本のシガレットと交換に監守に躯を許す様になった。その事は監守から聞き及んでいる。時期を考えると、おおよそ薬の投与を始めた辺りからだ。それを知られても臆面なく煙草をふかす金髪の男に、蔑み…ではない、けれど、込み上げてくる得体の知れない感情に、黒鋼は苦い面持ちを浮かべた。
「どうしても、これが欲しくてね…」
光の薄い瞳で、手元の紅い焔を見つめる。黒鋼の得物を時折呑む毎に、彼がそれに噎せ返すことはこの数ヶ月でなくなった。
逆にその中毒性に誘われる様に。虚ろに手を伸ばし、今では寧ろ盲目的にそれに頼るようになった。
けれど吸いたくとも、身一つで投獄されたユゥイには支払う対価などある筈もない。そこで躯を売る。弱ったそれを酷使して得る、小さ過ぎる得物。
だが黒鋼には、それも言い訳に過ぎないように思えた。
外はスコールが砂の大地を轟音を立てて叩きつけていた。無論、屋内にも舞った風が侵入する。
微風に煽られる小さな紅火は、たゆたう白の確かな起源。ーーそれはまるで誰かの瞳に酷似していて。そんな事には気づくはずのない黒鋼は、病の余波にいっそう細くなっていく手首を掴む。砂漠での労働を強いられているにも関わらず自衛の為に自ら衣服で厚く覆っているために白い侭あるそれは、発作の無い時の常と違わず、体温を感じない程冷えていた。
その頃も、薬の投与は続いていた。効果は覿面と言わないまでも、それなりのもの。事実、投薬前に比べると、発熱は徐々に浅いものとなっている。副作用はある。時に気絶する程の悪寒に悶絶。それに、やはり耐力が伴っていないらしい。
けれど。
身体は辛いだろうに、それを歓待するかの様にこの男はその痛みを受け入れる。それどころではない。この男の行動を目に入れる限りでは更に自らを苛もうとしているかのようだ。
まるで見えない十字架に、己の手脚を打ち付けるが如く。茨の冠を被せる手に、自らのこうべを差し出すように。
黒鋼は思う。矛盾で包まれた男だと。
いや、それも正しくはない。
ただ真理を嘘で紛い、覆い隠そうとしているだけではないのか。
「じゃあ、君が抱く?」
黒鋼の思考を中断させるかのように、にこにこと、相変らず青褪めた顔でその男は笑う。
そんな風な金髪の笑みは決まって、黒鋼にもどかしい苛立ちを駆り立てる。
「興味ねえ」
ふいと視線をわざと外した。
―――気に、喰わない。
薄い笑みを浮かべて、此奴が他の男に躯を開くのが。それだけではない。黒鋼を誘う事にすら躊躇のない事が。
これをある種の独占欲と、人間は呼ぶのだろう。
しかし不条理に孤独を強いられ、ただ闇雲に強さを求め、長く、望む事自体から目を反らし続けた男にとっては、自分自身でも理解しがたい、難解な感情に過ぎない。
胸奥で沸いては溜まりゆく一方のそれのやり場が、今の黒鋼には、見つからない。