Crimson sky | ナノ



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 その日の作業を終え、己の寝床の薄い毛布一枚を手に、黒鋼は金髪の囚人の眠る、冷たい檻へと足を向けた。



陽が沈み急激に冷気が中の熱気を浚いはじめる。

一級犯罪人である捕囚。彼らには病に伏したからといって十分な部屋や寝具が付与される道理がある筈もない。

未だ固く瞼を落としたままの金髪の男に紅い眼差しを向ける。鉄格子の隙間から覗く遥かなる望の月が白々しく冷たい刃を刺す。白光を受け、微かに震える細い肩は引き続き高熱に魘されているかと思いきや、様子が妙だった。



荒かった呼吸は既に静まっており、己の牢の冷たい寝台の上で、時折凍寒を訴えるように痩身を竦ませる。気休めにしか為らずとも、無いよりは益しとして、身を包む薄手の毛布の上からもう一重、申し訳程度に掛けてやると掌に震いが伝った。

病人には新たな空気の層に包まれる事さえ刺激になるのか、柳眉を寄せ細い身を大きく振動に刻んだ。だが緩慢にではあるが徐々に得られる温もり。それを離すまいと小さく摺り寄るのは、少しでも身体の内奥にまで熱を充満させようとする本能からか。

無意識に生へと手を伸ばす、執着の現れか。



けれどもし念願叶わず脱出することが出来ないならば、此処に絡められた侭ただ身朽ちて、在ることすらを己に問う明日ばかりが待ち受けている。

命の灯火を繋ぐ事、それのみに糧を見出せる活路ならば、今、二人でなら手に入れられるだろう。このまま命分け合うように、互いに腹の内すら見せあう事無く、ただ共に在る事を選びさえすれば。それにはほんの些細な慈しみと称した名を、温もりを、身に纏ってしまえばいい。

自然と手が動き、乱れたままの金糸を拙い手つきで掻き揚げた。滴るほどに流れていた汗は、既に余韻なく乾ききっていた。それを見てやはり矛盾している病態に改めて眉を顰める。

だがそう思惟を巡らせる一方で、物言わぬ青白い唇が黒鋼の紅い眼差しに問いかけてくるように思えた。


ならば問う、汝のゆえんたるはと。
その想いがあるに関わらず、頑なに契りを拒むのは何ゆえかと。



最も安易な選択肢に身を委ねるには、この白妙の身を己の欲の侭に貪り抱いて、繋いで、色を染め替えてしまいさえすればいい。
深く髄まで刻印を施し、久しく繋がらないでは細き身が寂しさを覚えてしまう程に打ち付けて、甘美な悦楽に慣らしてしまえば自ずと叶うだろう。



悪魔の囁く幻覚の漏れる力無き皮膜に、もう黙れ、と覆うように己のものを重ねた。

行為の最中一度も重ねる事の無かった唇は、長きに渡り悶え酸素を取り入れた為に乾燥しきっており、黒鋼が形を確かめるように舌を這わせて湿らせてやると、呼吸を塞がれ苦しげに身じろいだが、その蒼眼が開かれる様子は無かった。


閉ざされたままの青い光。

眩しいそれは自分が、とうに見失ってしまったもの。

その自由を求める蒼に惹かれては、主の肉体ごと欲する心が強まるのを感じていた。










あの夕べ、一度きり抱いたのは、区切りをつける為だった。それは立場の絶対的優位をこの男の意識に植え付ける為、或いは、夢見る光を蒼から断つ為―――遠い過去、自分の身が受けた時の様に。


けれど、抱いてしまえば気づかぬ事は不可能なくらいに行為に慣れ過ぎたその躯。男の熱を煽る身体を揺さぶれば揺さぶり昴める程、黒鋼は思惑が無意味である事を知った。

翼は既にもがれていた。黒鋼が毟り取ろうとした、その前から。

重ね続けていた唇から伝わってくる体温は、昼間担いだ時とは打って変わり、寧ろ低すぎていた。鎖に繋がれた重い躯を捨てた魂が、砂漠の闇を彷徨っているかのように。


その時駆ける悪寒。

背を撫ぜたそれは直感だった。本来の彼にならば備わっていなかったであろう知識が浮き上る。それは今はもう往ぬかの男から譲り受けた数少ない遺物だった。記憶の片隅に追いやられていたピースを寄せ集め、意識的に照合させる。


思い返してみれば、繰り返される労働の日々で今は摩耗を始めている彼の爪は、入獄当初見惚れる程に美しい形を呈していた。それは整った環境下に長く居た事実を指す証拠である。実際煙草の吸い方すらも知らなかった。

此処に送られてくる様なやくざな人間ならば、たいてい備わっている耐性を、この囚人に限っては保持してはいなかったのだ。

そして、得られた結論を口にする。



「 …マラリアか」


次からの発作周期が、彼の容態を示すことになると予感した。


武骨な手がぞんざいに額を隠す金糸を絡め取れば、月光に照らされ青白い顔色ばかりが静かに、浮き上がった。



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