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その頃、黒鋼は看守の元で何時もの如く取引きを終えていた。習慣の様にその手で着火し、獄中での唯一の安らぎの煙を堪能する。
「そう云えば件の新人の塩梅はどうなんだ?」
さも面白気に看守が問う。
男同士話すと言えば、話題に上るのは下世話な類のものになるのは自然の成行き。しかも此れ迄囚人方にその機が訪れる筈もなかった訳だから立ちどころで、更に何時もは隣りに在る彼が見当たらない今日となれば、話の流れがそちらに傾くのは尚更だった。
相手は限られるものの割と他の囚人とも近く接するこの男は、二人の噂を既に聞き及んでいた。
「此処の生活が長いお前にも漸く春が着た訳だ」
あからさまに厭そうな表情を見せる黒鋼に、男は豪快に笑った。
「まあそんなに照れるな。こんな場処だ。長い付き合いの俺としては寧ろ感慨深いくらいだからな」
そう言って満悦するその監守は、老齢により役を終えた父に代わり例の報酬も継いでいるのだった。歳は黒鋼と同年代か少し上だろう。
代替りしてからというもの、取引後のついでに細い煙草一本、ふかす間だけの付き合いである。
何時の時も、黒鋼から話す事は無い。一方的に話し掛ける監守から繰り出される殆どが、日々の他愛の無い雑談であるのだが、然し刻に中に割と有用な情報もあった。だから黒鋼の方でも特にそれをかわす事はしない。
この囚人が要らぬ事を他言しない為か眈々と耳を傾けるせいか、喜々として、雑多な情報の共有を持ち掛ける事を監視の男は数年来の日課としていた。
今も、自分の話題に至っても、違わず反応の乏しい囚人に頓着せず言葉を続けた。
「こりゃ親父にも伝書をやりてえくらいだぜ。・・・おっと、これはお前さんにゃタブーだったな」
わざと少し神経を逆撫でて興味を引いてやる。監守は、黒鋼が並々成らず自分の父を厭うている事を承知していた。
まさか親の過去の所行は知る訳ではないだろうが、だいたいこの取引自体賞されるものではないし、父を引合いに出せば明らかに黒鋼の機嫌が荒れるのを感じていた。
「どうであれ、俺としてはお前につがいが出来るのは喜ばしい事なんだがな。…だが一つはっきりさせておく」
それから声色を一変させ断言した。
「以後、彼奴からの『取引』には応じねえ」
皆まで言い終える前に、紅い焦点が珍しくその男に注がれる。
「今回お前を出す取引に応じてやったのは、特別だ。それは本人にも伝えてある。お前になら理由は分かるだろう。万一彼奴を後釜にと考えているんなら、考え直すことだな」
眼差しを正面から受け止める。
監視がそう告げてくる理由は、分かっていた。
動向を逐一探っている訳ではないが、黒鋼は見えない処でユゥイが動いている事も察している。
黒鋼は、彼を初めて檻の片隅に見つけた時から、直感的に確信している事が有る。
それは―――
あの蒼が、此処から出る事を諦めてはいないこと。
「そう云う事だ。俺ぁ危ねえ橋は渡らねぇ」
顔色を変えない黒鋼に、同様に考えている事を見て取り、改めてそう念押しした。そこで、監守と囚人の耳に騒ぎが届く。
「金髪の新人が倒れたらしいぜ」
誰かから零れた声を拾うと眉間に皺を寄せ、嘆息してから大柄の囚人はゆっくりと足を踏み出した。
寝台に寝かせておけ、と状況を飲み込んだ監守が後ろから声を掛けてやる。
隣に置いている時は如何にも面倒臭げ気な顔をしている癖に今は憮然としながらも騒ぎに向かって行くその背に苦笑する。そうして湿気った地面に言葉を落とした。
「お前が自分で向かって行くなんざ、なんだかんだ入れ込んでんじゃねえか…」
心安くしてはならない互いの立場であるにも関わらず、けれど、数少ない知己として願う。
出来るならあの男が莫迦な事を考えぬ様にと。