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夕闇が囚人たちを迎えに来て、今日もまた一日が終わる。作業を切り上げ用具を片付けると、てんでに建物の中へと戻って行った。
点呼の時間まではまだ、時間がある。
それが済めば各房に入り、長かった一日が終わりを告げる。後は眠りに就くだけだ。しかしそれまでが新人にとっては最も危険な時間帯。
黒鋼は金髪を捜すことはしなかった。自らの身は自分で守ること。ここではそれが鉄則だからだ。
それに…昼間の事。
―…
砂漠の中心にあるこの地帯の気候は昼前には完全に気温が上がりきり、午後になってもその熱は下がる事はない。最高に上がった気温は余す事なく砂に吸収され、じりじりと輻射された熱に上下から苛まれることになる。時折駆け巡る熱風も、不快を煽るものでしかない。馴れない人間にとって、それは体力的に相当過酷な環境だ。
蜃気楼が揺れ、汗だけが空へと還っていく暑さ中、休憩をとったためか午前よりは幾分しっかりした足取りに戻ったそいつの姿を黒鋼は見つけた。―――先程ユゥイと名乗ったその男。
陽の最も高く射す時間帯においても、そいつはやはり黙々と作業を続けていた。痩身が揺れるが、倒れる気配はない。刃物を囚人に持たせる訳にはいかない為、木製の小型の鍬で土を掘り起こす。両手一杯に砂を掻き、バケツへと移して満たしたそれを、穴の外へと運んでいく。炎天下の中での、気の遠くなるような手作業。新人は初日で倒れることが常だった。
この監獄に来る人間は、娑婆でかなりの大罪を犯している。窃盗や薬の密売程度のものではなく、殆どが強姦や強奪、殺人といった類のもの。それも複数の罪を重ねた者に限られていた。つまり、この監獄へと収容されるのは、死刑以上の罪と裁決を受けた、若しくは此処での罰を受けるに相応しいと判断された者たちだけ。
残虐な凶悪犯。彼にその言葉は似合わなかった。
しかし、いくらそぐわなくとも。此処に放り込まれた以上これから気の遠くなるような時間、与えられた罰にひたすら耐えていかねばならないのだ。――その身が朽ちるまで。例外なく、逃れられる者などいない。それは彼もわかっている筈だ。それでもその瞳はまだ、絶望に染まってはいない。
その胸のうちに秘めるのは、どうした想いか。
空汰の情報は十中八九監視によるものだろうだから、奴の書類上の名義は「ファイ」であることに間違いはないだろう。真名すら不明確なこの男が、どれ程の罪を犯したかは分からないし収容の理由などに興味はない。
ただ――暴きたいのは、奴がそれを知られた時の反応だった。此処にあってもその熱に溶けやらぬ氷のような透いた蒼に、小さく加謔心に火が点る。
作業する奴に近づいてみると、遠ざかるように背を向けられた。その拒絶を見た途端、鉄製の錠前がぐいちに歪むかのような幻聴がした。心の中に、音を立てて動くものがある。
黒鋼はそんな自分が信じられなかった。どうして今更、他人のことで心揺すられることがあるのか。
久しく何にも興味の持てない日々。持てど意味を為さない鬱屈しきった生活。それでも生きなくてはならない檻の中。
きっと、そのせいだ。魔が差しているのだ。不毛な生活に辟易するがために、本能が、何かを。
手に届く何かを求めている。
あいつだからじゃない、たまたまあいつだったんだ。
手に届くモノなど、作ってはならない。
此処にいる以上、何も求めてはならない。
これが、此処に生きる黒鋼にとっての唯一つの自戒だった。
全ては脆く、直ぐに壊れてしまう物なのだから。一度手を伸ばしてしまったら、もう、後には引けはしないのだから。
そう結論付けた黒鋼には、それ以上細い影を追うつもりはなかったのだった。