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思いがけず腕を引かれ、金髪がそれを振りほどこうとした時――
けたたましく獄中にサイレンが鳴り響く。
「…ちっ」
「あーああ、時間かぁ〜」
「ま、今日もしっかり働いてくるんだな」
「…………」
笑顔で見送る監視に背を向け、三人は作業場の方へと向かった。
――それから、陽が暮れるまで。昼食を摂る時間と短い十分ほどの休憩一度を除いて、休むことなく穴を掘らされる。
じりじりと容赦なく陽は照りつけ、囚人たちの体力をじわりじわりと確実に奪っていく。
直に音をあげるかと思いきや、滝の様に汗を流しながら少し離れた処でそいつは黙々と作業を続けていた。
黒鋼などは他の囚人たち同様にツナギを脱ぎ、腰部で結わえ上半身は殆どシャツ一枚になっていたが、それに対して視線の先にある彼は襟まで立ててきっちり着込んでいた。
そうする理由はおそらく二つ。
今朝の経験から自己防衛のために何をすべきではないか、或いは心構えて措くべきか。ある程度は考えているらしい。
皆まで忠告せねばならない程の間抜けではないということか。
そのことに何故か少し安堵した。
それでも陽に蒸され、上気した顔面は遠目に見ても紅潮しきっている。痩身はふらふらとしながらも手だけは何とか作業を進めている状態だった。
手など貸すつもりなどない、……だが。
黒鋼は彼に近づき、金の散る襟元を後ろから掴んでぐいと引っ張った。既にかなりの体力を消耗しているそいつは呆気なく力の掛けられたベクトル方向へと引き飛ばされた。手荒く圧しやられた場所で、何とか足を踏みしめる。
彼をより穴の深部に。自分の下側に。
僅かばかりだが自らの体躯で作られる影を、曝される白い肌に乗せた。
「…………」
彼はそんな黒鋼の様子を、砂に反射する光に曝される色素の薄い瞳を守るように瞼を落としながら眩しそうに見ていたが、持ち場の看守が向かって来ることに気付くと作業を再開した。
とうに高く上がった陽ばかりが、囚人たちを容赦なく照らしつけていた。
「…あぁ?」
「せやから。ファイ、らしいで。新人さんの名前」
「…それがどうした」
「……」
食堂にて。
空汰は折角情報教えたったのに、ほんまに教え甲斐の無いやつやな、と腕を組むのに対し、黒鋼は興味なさげに飯を口に掻き込む。その返答のように、味気のない昼飯。そこは仕事休めの男たちの熱気でこもっていた。
「…てめえ、さっき居ねえと思ったら、サボってやがったな」
「そんな事、出来るワケないやん〜」
空々しい口調に眉間に皺を増やしながら睨むが、いつも通りまるで応えてはいない。
「……でもまあ、確かにな。ここにおったらどちらにせよ、名前なんて意味あらへん。どうせ囚人番号が全てやからな――…」
フォークの先を齧りながら視線を横に流す。すると空汰は「あ、」と声を出すと、突然手を挙げ振り出した。
「こっち!こっちやって。新人さん!」
大声が金髪の動きを捕らえる。それまで周囲の数人の連中が彼を見ていたが、そいつら、いやそれ以上に多くの、辺り一帯の囚人たち視線が声の主の方に向けられる。が、しかしそれもやがては呼ばれた相手――金髪の男一点に集中した。ここまで関心を集めれば、そいつはこちらに向かわざるを得ない。
食堂内は人が多い為、今朝の様な危険は軽減されるだろうが、単独に動けば、それだけ周囲に彼の存在をちらつかせている事に他ならない。新人に対する横行はここにいる誰もが知るところである。勿論、空汰もその例外ではない。
だからこそ。ここでかなりの幅を利かせている黒鋼と共にいるところを見せ付けるために、空汰はわざと此処で彼を目立たせるような行動をとったのだろう。
思いの外、彼は金髪の新人を気に入ったらしい。
それでも昼食のトレイを持つ痩身にねっとりと絡みつく視線。まだ半日を過ぎただけなのに、周りの視線が既に痛いほど彼に注がれていることを思い知る。
無言で怪訝な表情を浮かべながらも、渋々黒鋼たちの元へと近づいてきた金髪に、空汰はにっ、と笑った。
「そうそう、仲良くしようや、……ファイ?」
「!」
僅かな驚きと共に目元が細められる。
何故先程与えていない情報が既に握られているのか、それには敢えて疑問を投げかけはしなかったが、彼は少し口を開くとゆっくりと言った。
「 ユゥイだよ」
「……ん?」
「知りたかったんでしょう、オレの名前。呼ぶならユゥイって呼んで」
ようやくまともに言葉を発した彼から二人が感じられたのは、不可解という三文字だった。