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二人、薄暗い房の路を並んで歩く。
黒鋼には慣れきった独特の黴の臭いがつんと鼻につく。砂利を踏みしめると、虫が潰れたような情けない音がした。
見飽きた風景。外から聞こえ来るがなり声が側頭を打つ。そこにあるのは相変わらずの喧騒と野次だ。
けれど決定的に、いつもと違うのは。
自分の傍らを歩く金髪の男を見やる――ほっそりと長く伸びる白い首筋。その上には軽く切りそろえられた金髪。はらはらと揺れる様子に思わず眼を奪われる。
そして、何より印象的なのは空を切り取ったように清んだ蒼い瞳。
この細い頸を掻き切ったならば。彼を構成する全ての彩りはさぞ、流れゆく鮮やかな深紅に映えるのだろう。
それでなくともこの白い肌に己の刻印を施すことができたなら。ただ一人自分のものだという、その証を紅く深くこの身体に刻むことができたならば。そうすれば久しく燻って疼き、それでも抑えつけるしかない欲望を、満たすことが出来るだろうに。
そこまで考え、黒鋼はふ、と自嘲の息を漏らす。阿呆らしい。これでは此処の連中と何も変わらないではないか。あの時、自分はこの鬱蒼とする世界で、朽ちていくと決めたではないか。
「………こっちだ」
隣を行く金髪に、紅い目線だけしゃくって奥まった一角に行方を示す。
完全に陰になっているその先には、大柄の男が立っているらしかった。
近づくとその男は監守服を着ていることがわかった。
やがてこちらに気が付き笑顔を向けてくる彼に、黒鋼は無表情のまま向かっていく。
「よお。今日は珍しいの連れてんじゃねえか…ああ、噂の新入りか」
…こいつならば、着獄前から噂にもなろう。
傍らの金色を見て、奴は少し意味深な笑みを深くしたらしいが、言及されるのも面倒だったので放って置くことにした。
「いつものだ」
「相変わらず愛想の無えやつだな」
懐から小さな袋を取り出し、苦笑する監守に軽く突き出す。彼は手に持っていた紙袋を黒鋼の方にやり、互いに一連の流れで交換を行った。
黒鋼が受け取った包みの中を探り、取り出したのは5本ほどの細いシガレット。それから二本手に取り新入りを見ると片方を差し出した。
「まあ、奢ってやる」
ここじゃ高級品だ、有り難く呑め、と終始無言で見ていた金髪に受け取るよう促す。すると長い指で摘まんで、細いそれを不思議そうに見つめた。
まさか煙草を見たことがないのか。そんな様子に軽く目を見開きつつも整った爪に視線を止める。
こんな所に来る割に育ちがいいらしい。
そんなどうでもいい感想を持った。
再び懐を探る。鄰を細い棒に塗りつけて作った簡易なマッチを取り出し擦った。まず自分がくわえたシガレットに火を移し、次に揺れる焔を金髪へ近づけてやる。
「くわえろ」
黒鋼に倣い金髪はそろそろと口内へと差し込んだ。棒先に火を近づけ、吸え、と言葉を掛けると、細い棒先が赤を吹いた。
「二回、吸い込むんだ」
言われた通りに着火したそれを続け様に吸い込んだ彼が噎せ返るのと、黒鋼が燻る灰を赤に染めるのとはほぼ同時だった。
けほけほ、と苦し気に咳き込む彼に構うこと無く、烟を大きく吸い込むとふぅと一息吐く。
「あっはっは、大丈夫かよ。新入りはこんなんでやってけんのか?」
堪らない、とばかりにその様子を見ていた監守服の男が豪快に笑った。
「…………」
暫くまた灰の燻るそれを見つめていた蒼い眼であったが、負けじと思ったらしい…再びくわえようと僅かに開いた口を手に近づけた、その時だった。
「っ?!」
いきなり金髪の身体がかくん、と傾いだ。仰け反るそいつの後ろに目を向けると、揃いのツナギに身を包んだ黒髪短髪の男が彼の首周りを抱え込んでいる。
「なんやなんや?
また派手なん連れとるやないか」
暢気な声を出しながら、彼は興味津々といった様子で新入りの顔を覗き込む。
「うっわ、えらい別嬪さんや。黒鋼も隅に置けんなぁ〜」
いかにも機嫌の良い声は、後ろから金髪の喉元に回した腕をぐいと自分の方へ引き付ける。
騒がしいのが来た、と黒鋼が怪訝な顔で見やるのに気づきつつも満面の笑みで腕の中の彼に話し掛ける。
「わいは空汰や。おひいさん、お名前は?」
ちゃらけて言うと、されるがままになっていた金髪から鋭い空気が走った。
剥き出しの敵意を感じ取った空汰は両腕をほどいて掲げるが、それでも蒼い眼に睨まれ続けて焦ったらしい。慌てて目付きの悪い紅眼の男に助け船を求める。
「わ、わ、ひいさんゆうのはほんの冗談やて!なぁ黒鋼!誤解解いてくれや」
「自業自得だ」
「薄情なやつやな。それより早う、新入りさんの紹介紹介。名前はなんて言うんや?」
「知らねえよ」
「…は?」
そりゃお前、最初の自己紹介は人間関係の基本やろ、とターゲットを変え絡み始める男に黒鋼は溜め息を吐いた。それに対してしみじみした様子で言う。
「そうか。お前に一人前の人間関係を求めたわいが阿呆やったわ」
「自覚したか」
「……ほんま可愛いないな自分」
げっそりと肩を落とした空汰は、再び警戒の解けない金髪に向き直る。
「あー…捕って喰ったりせんから。こいつと違ってわい、紳士やし」
「んだとコラ」
噛みつきかかった黒鋼を無視して言葉を続ける。
「わいの事は空ちゃんv、て呼んでやー、別嬪さん」
何やら温度差の冷め遣らぬまま話の矛先が自分に戻され、次の挙動に戸惑う。
「名前。教えてくれんか?」
「………………」
俯き、暫く沈黙するとすっと身を翻す。
そのまま去ろうとする彼はしかし、その腕を捕らえる力に阻まれた。
「……ここにいろ」
「……………」
金髪の指からは、挟まれたままになって蓄積された灰の塊が、静かに墜ちていった。