ブログ | ナノ


2011/10/13 22:43


今の季節が一年のうちでもっとも過ごしやすい。幾度となく繰り返し廻って来た日本の四季と云うものを体感してファイは思った。木漏れ日一つとってもその配色は囁くように繊細で。道行く人にも思わず挨拶の声をかけてしまいたくなる。こんなにも天気もよければふわふわ良い気分になるのは仕方のないこと。身を翻し小さく風を起こしながらファイはヘッドホンを耳に装着した。


イタリア生まれのファイは初めて日本に赴任してきたとき、目に入れた凡てのものが一つ一つが驚くほど小さくまるで玩具のようだと思った。シルバニアファミリーのキッドを見たときなどはこれぞ日本と興奮を露わに感嘆したものだった。こじんまりと慎ましやか。見えない慈愛に満ちている。学園に通う生徒たちと対面して感じた心象だった。可愛いものこそ愛でては大切に育む。だから親愛の情をもって動物を手元に置く。イタリアでは兎なぞも食すが日本で食材として扱えば残酷だやれと非難されかねない。遠き地でシェフをする弟を持つ傍ら、それを知った時には乾いた笑いを漏らすしかなかった。彼らが何故小さいものに愛嬌を感じ庇護欲を掻き立てられるのか。初めの方こそ理解できずにいたが今ではその感覚に慣れてしまった。詰る所やさしいのだ。海に囲まれ外敵からの攻撃には自然の加勢が取沙汰され、反抗せずにむしろ畏怖し過ぎ去るのを忍耐強く待つ。それこそが彼らの生活スタイルの定石だった。だからこそかもしれない。懐に入れられる程の小さなものであればつい手を伸ばし抱き込んでしまう。餌をやらねばならないと考えている。どんなに小さきものでもそれを一個の個体として扱う思想ではなく、大なるものと小なるものが存在するという、集団の中に身を置くものの考え方だった。言い換えれば強きはか弱きを守らねばならない、おそらくはそういうことだろう。だから大きな体格の同僚が、生活の勝手もわからずどうやら世間も知らぬと付け込まれ軽んじられてストーカー被害に遭っていたらしい自分を、無愛想な性格を隠そうとせずも保護しようと企てたことはそうした理由からかと。ファイは暫く日本に身を置くことでようやく納得することができた。今ならばわかる。あの時はどうして同僚が寮の隣に入居したからとはいえ、暗くなってからも職員室で此方の帰り支度を待っていたのか、とか。そういえばベランダで洗濯物を落っことしてばささと音を立ててしまった時にはすぐさまガララと窓の開く音がして隣から「紛らわしいマネすんじゃねぇ!!」といきなり怒られたこともあった。ファイとしてはちょっと手を滑らせてしまっただけなのにと腑に落ちなかったわけだが。

後に訊いてみればファイの郵便受けに帽子を深く被りいかにも厳つい男が怪しいものを入れていたのを偶然数度見かけたらしい。確かに差出人の不明な卑猥な郵便物を受け取ったことはその時期幾度となくあった。だから何だとファイは思うのだが、第三者からすればそうは見えなかったらしい。玄関のドアの取っ手が外から金属で傷をズタズタにつけられていた時は流石に冷めた目でその状況を見るしかなかった。暇な人間がいるものだな、と。意外や敏感たる隣室の同僚がそれに気づかなかった道理はなかったのだろう。だが撃退する術と神経の図太さはこの金髪の麗人には強く備わっていた。いずれは家宅侵入まで憚らないかもしれない。ここらでファイとしても反撃に転ずる必要があった。解決のきっかけは、待ち伏せたのだ。ドアの前で一人。被害に遭う日から犯人が次に訪れそうな時間に目星をつけて空き時間に学校を抜け出し、ひたすら待った。犯人が現れるまで根気強く続けるつもりだったが幸運なことにその時はすぐに訪れた。しっぽを捕まれた犯人が驚くさまはそれは面白い見世物だと思った。ギャラリーがいないのが残念だ。ファイの部屋のドアにナイフを手に向かう男に陰から腕を組んだまま声をかける。びくり、と振り返る犯人の間の抜けた声。にっこり笑って「間違ってなければそこ、オレの部屋だよねー。何か用?」とうそぶいてやった。かっとなったか手に持つナイフを振り上げて襲ってきた。か弱いだろう、さぞ怯えているだろうと思っていたターゲットに思わぬ反撃を食らい、頭に血が上ったのだろう。ファイは受け身をとる。振り下ろされるナイフ。やっぱり動きが大きく素人なのは目に見えた。足を薙ぎ払おうと体勢を転じようとした時にそれよりも早く首根っこを捕まれた。それと同時に放たれる裏拳。ストーカー男の呻き声。この体格の良さだから出来る攻撃だなと冷静に分析していると「危ねえだろうが!!!」と紅眼の大男に一喝され目を大きく見開いた。その時のファイにはどうして怒られたのか全く理解できなかったのだが、その瞳に滲み出る感情が本気の怒りだということだけはわかった。



(あれがきっかけだったんだよね〜)


思い出してはクスリと口元が緩んでしまう。そう、それがきっかけ。隣室の同僚の名は黒鋼といった。ファイはそれから黒鋼に興味を持ち、たびたびちょっかいを掛けるようになった。その反応が存外面白い。少しからかってみるつもりなのに本気で怒鳴り散らしてくる。大人だから流せばいいのにーと思うのだが、それは敢えて口にしない。だって面白いから。それに知っている。どんなに怒鳴っていたって、その根は碌に話したことのない男の同僚をストーカー被害から遠ざけようとする心持を持っている人間だということ。一緒にいればいるほど、いつしか心地よくなって、甘えてしまって、好きになってた。

街へと繰り出したファイは本屋を物色する。なんとなしに好きそうな本をパラパラとめくり、一文に惹かれて購入を決める。日本に来て、隣室の同僚の腹を満たす為に振る舞うようになった料理のレシピ特集にも目をとめる。ぱららと流して見るが、料理とは材料をレシピの分量通り調合するものではないと思っているファイはその本を買うでもなくおおよその雰囲気を把握してぱたんと閉じる。けれどその閉じる前に蒼い瞳に焼きついた記事を思い軽く首をかしげる。


『健康のもとワイン。赤ワインに含まれるポリフェノールには、低密度コレステロール(LDL)の酸化を防ぐ』


なんてことが書いてあった。そんな健康志向に興味があるわけじゃないけれど、ここで目についたのも何かの縁。そんなのにたまに振り回されてみるのも面白いかもね。二人ともさっぱりめの白の方が好きだけど、今日は濃厚な赤でも買って帰ってみよう。支払いを終えてそんなことを考えながらブックストアの敷居をまたぐ。外に足を踏み出せば入った時同様の車のエンジン音に排気ガスのにおい。足早な雑踏。かたやゆったり歩む老人の姿。狭い路地に言葉少なに座り込む学生の影。そんな世間にもそれなりに慣れてきた。


それでも夜になれば君と生徒の話でもしながらゆっくりワインを傾ける日常。―――悪くない。



本を小脇に抱え再びイヤホンを耳に軽く圧しこんで、ファイはおざなりに整備された灰色の小路に溶け込んだ。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -