story | ナノ


ねえもしかしれあれは夢じゃなかったのかな

忘れてください。

そう一言言い残して走り去った後輩の後姿を、呆然と眺めるしかなかった。
金髪が、夕日に透けてキラキラと揺れている。
今し方起こった出来事は、何か夢のようなものだったのだろうか。
熱くなった頬を、らしくもない女子のような仕草で、両手で包んだ。
夢だ、夢に違いない、そうだと思え笠松幸男。
そう頭の中で繰り返してみても、脳裏に焼き付いたあの顔と唇に残るあの感覚。
そっと指を唇に這わして、ようやく、何をやってるんだ、早く帰らなければ、と思った。
足が震えている。
その足を何とか動かして、落ちてしまった鞄を拾い上げて体育館を出た。
もうみんな帰ってしまっていて、誰もいなくなった。扉を閉めて鍵をかける。
明日は休日で、でも練習はあるから鍵は持ち帰りだ。
早く起きてこなければならないから面倒だな、とため息をついて気を紛らわせる。
早く帰って寝て忘れてしまおう、と心に決めて存外疲れていたらしい体を引き摺って帰った。

そんなことがあった、次の日。
結局忘れることはできず、それどころか満足な睡眠をとれなかった俺は、半ば覚醒しきらない頭を何とか起こして家を出た。
なんで俺がこんなことで悩まなければいけないのか、そもそも発端はあの後輩なのだから、きっと平気な顔をしているであろうあのモデル様を徹底的にしごいてやろうではないか。
…そうだ、平気な顔をして練習に出てくるに決まっている。
自分で考えたはずのその言葉が、ズキリと突き刺さった。
馬鹿みたいだ。
そう自嘲して、ふと歩みを止めた。
まだ誰もいないはずの体育館の前に一人、立っている影。
そんなはずはないと何度瞬きをしてみてもやはり変わることはなく、そこに立っているのは。

「なんで…。」

それだけ吐き出して、至極喉が嗄れてしまった。
眉を下げて笑うその男に、しかし俺は拳骨も蹴りもすることはできなかった。
ただ、そこに貼り付いてしまったように動けない。
苦く笑って、俺に一歩近付いて、それから。

「忘れて、って言ったのは自分なのに…どうにも忘れられそうにないんスよ。」

そう言って呆然と立ち尽くすしかない俺に向かって手を伸ばした。
逃げることも、近付くこともできない俺は、ただ顔を歪めてその憎たらしいくらいに愛おしい後輩の顔を目に映して、唇を噛みしめることしかできなかった。


ごみ箱が遠い
昨日くしゃりと丸めた感情を投げたはずだったのに
ああ、夢物語で終われたら、どんなにも簡単にその中に入ったのだろうか



「好きです。」と、耳元で聞こえたその声に目を瞑って。
そうして、その体温に包まれた。
逃げることは、できなかった。


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「忘れる」ことを忘れて
どうか俺を覚えていて


sab title
卑怯者」題提供
up:20121214


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