あの夜からのノック
響く音は、逃げ続けている俺の心のドアの外から。
「…ん…ろ……室ちん。」
「え、」
いけない、ぼぅっとしていた。
さっきから俺のことを呼んでいたであろう敦がむくれっ面で俺の頬をつついていた。
「どうしちゃったわけ、室ちんらしくない。」
「あぁ、いや…なんでもない。」
笑ったはずだけど、敦は更に不機嫌そうに眉を顰めて俺にでこピンを食らわせる。
敦の力は強いんだから、少しくらい加減してくれればいいのに。
ひりひりする額を抑えながらそう思ったけど、まぁ話を聞いていなかった俺の方が悪いのでそれは言わないことにしよう。
軽く謝って持っていた飴玉をあげると、即座に包み紙を開けて口の中に放り込んでいた。
機嫌が悪いのは今日会ってから、最初からだ。
行かないと言っていた敦を無理矢理試合観戦に誘ったのだから当然のことなんだろうけど。
それなのに肝心の俺がぼぅっとしていたのだから、敦にとっては面白くなかったのだろう。
うん、考えれば考えるほど俺が悪いな。
「しっかりしてよね。室ちんが行こうって言ったんだから。」
「あぁごめんな。」
がり、と敦の方から音がした。
どうやらまた飴玉を噛んでしまったらしい。
飴玉は噛むと虫歯になりやすいって聞くし、何よりもったいないから噛むなっていつも言っているんだけど、俺の注意は全く聞く気がない。
もう諦めてるからいいけれど。
今日は敦を釣るために色んなお菓子を用意しているから飽きることはないだろうし。
そう思いながら差し出された手に今度はポテトチップスの袋を乗せた。
「室ちんさぁ、最近ぼーっとしてんの多いよね。」
ばりばりとスナック菓子を噛みながら特に興味もなさそうにそんなことを言う。
あぁ、またぼろぼろ食べこぼしてるし。
「そうかな。」
「そうだよ。」
興味がないなら言わなければいいのに、それ以上は言わなくても言いというようにピシャリと言い切った敦が俺を見た。
眠そうな瞳には確かに俺が沈んでいる。
…そうか、今俺はこんな顔をしていたんだ。
だから敦は興味がない、いや、正確に言えばもう既に分かってくれているんだ。
だから、言わないし言わせないのか。
こんな分かり易い奴だったかな、俺って。
思いながら俺は飴玉を一つ口の中に放り込んだ。
さっき敦にあげたやつと同じ味の飴玉は、懐かしい味だった。
「そういえばさ、室ちん。」
思い出した、とでも言うような声色の敦が欠伸を一つ噛み殺しながら手を差し出す。
その手に今度はチョコ菓子を乗せてやると、箱に纏わりついたフィルムを外しながら続きの言葉を吐き出した。
「何でいつもその飴持ってんの?」
「ん?これか?」
そう、と頷く敦によく見ているなぁと感心した。
そこまで皆の前で食べているわけではないのだけれど、確かに俺はこの飴をよく買う。
外国の雑貨屋で買えるこの甘ったるい飴は、昔、顔に似合わず甘党なあいつがよく好んで食べていた飴だ。
口の中で広がる甘みがだらりとそれを思い出させる。
それで、なんで俺はこの飴をいつも買ってしまうんだっけ?
(…あぁ、そうか。)
カラリ、と飴玉が転がった。
俺は懐かしみたくなったんだ。
試合には負けてしまったけれど、妙に清々しい気分になったあの日、心の中でもやもやしたものが晴れて。
ようやく、認めることができたんだ。
だけど昔兄弟のように仲の良かったあいつと、もう一度同じ関係になんて戻れないから弟分の好物を思い出と一緒に放り込んでいる。
「…懐古の念、かな?」
「? なにそれ?」
訳の分からない顔をする敦に笑いかけて、口の中に溜まった甘ったるい唾液を飲み込んだ。
幾分かどろどろしたそれが喉を流れていく。
「…なんでもない。」
「ふーん?」
やっぱり、それ以上は聞かない。
敦は試合中のコートを見つめたまま、今日何度目かの手を差し出す動作をした。
今度は何をやろうかと鞄の中を漁っていると、隣から小さく「飴。」と言う声が聞こえた。
「え、」
「さっきの飴玉、頂戴。」
「…あれでいいの?」
「あれ、ちょっと好きなんだよね、俺。」
嘘つけ。
前、一回この飴あげたら嫌そうな顔してたくせに。
「そうか。」
俺は笑って、飴玉を二個敦の掌に乗せた。
敦は嫌そうな素振りも見せず平然と飴玉を二個いっぺんに口の中に放り込んでいた。
それから、がり、という音。
「敦、飴玉は噛むもんじゃないよ。」
「いいじゃん別に。どう食べようと俺の勝手でしょ?」
苦笑を零す。
子どもっぽくて、実は負けず嫌いな君は、存外優しさも持っている。
そんな君だから俺は気になって、そして好きになったんだと思う。
ずっと閉じこもっていた俺の心のドアをノックしているものだと思っていたその音は、実は忘れたかったバウンド音で。
その先にいたのが君だっただけなんだ、きっとね。
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アンタの昔なんてこれっぽっちも興味ない
アンタの今が俺ならばそれでいい
title
「へそ」題提供
up20120824