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玄関のドアを開けると、所在なく佇んでいた影浦くんが、顔をしかめてチッと舌打ちをした。
「いんじゃねーよ」
「いんじゃねーよって、私のお家なんだけど……。急に来たのもそっちなのに」
特別な約束もしていなかったのに、突然訪ねてきた影浦くんはなかなかに不機嫌だ。たまたま家にいたからよかったものの、出掛けていたらどうするつもりだったのだろう。影浦くんは偶然近くに来たからという理由私の家に寄るようなことはあまりしない。私の家に忘れ物をしたという話も聞いていないし、もちろん私が呼びつけたわけでもない。
「今日はどうしたの。何か用事だった?」
「用事なきゃ悪ぃのかよ」
「悪くないけど、これから買い物行こうかと思ってたから。影浦くんも今日夕飯食べてく?」
「荷物持てってことか?」
「持ってくれたら嬉しい」
マスクを鼻の上まで上げながら、影浦くんはまた舌打ちをした。その様子から察するに、影浦くんは今日夕飯を食べていくつもりなのだろう。影浦くんは天邪鬼なので本心が分かりづらいが、さすがにそれなりの付き合いになってきたので、なんとなくわかるようにはなってきた。
「じゃあ準備するから上がって。お茶でも飲んで待っててね」
「おい、ちょっと待て」
「うん?」
玄関になかなか入って来ようとしない影浦くんに、何か違和感を覚える。いつもだったら、両手をポケットに入れてずかずかと家に入って来るのに、今日はそうじゃない。それどころか、先程から右腕をずっと身体の後ろに隠している。
「影浦くん、もしかして怪我してる?」
「はあ? してねーよ」
「そうなの? さっきからずっと右腕後ろにやってるから。痛くないならよかったけど」
すると、影浦くんが「う、」と目をすがめて、何故か照れたような表情をした。マスクで口元が覆われているが、そうした表情の変化はよくわかる。影浦くんは気まずそうにもしゃもしゃと髪を掻くと、すっと右腕を出した。鼻先に何かを突きつけられる。数歩下がって見ると、それはピンク色のガーベラだった。
「おら」
「えっ」
「取れよ」
わけがわからないまま受け取ると、「じゃな」と影浦くんが帰ろうとしたので、慌てて引き止めた。
「急にどうし……」
影浦くんは、今まで見たことがないくらい顔を真っ赤に染めていた。掴んでいた手を振り解かれる。しかし帰ろうとはせず、代わりにたたきまで入って来ると、ドアを乱暴に閉めて俯いてしまった。耳まで真っ赤になっている影浦くんと、ピンクのガーベラ。よく見ると、ラッピングのリボンまでピンク色だ。
「影浦くんが買ってくれたの?」
そう訊くと、影浦くんは俯いたまま頷いた。その姿があまりにも可愛くて、衝動的に抱き締めたくなってしまったが、この花が何なのかを聞き出す前にそんなことをしたら、影浦くんは絶対に照れて口を噤んでしまう。
「ありがとう。これは何のお花?」
「……明日」
その言葉で全てを理解した。これは私へのお誕生日プレゼントだ。明日は私の誕生日なのだが、この日は前々から影浦くんのボーダーの任務が入っていると聞かされていたし、私も仕事がある。なのでお祝いは当日じゃなくてお互いの次のお休みの日にしようと話していたのだ。それなのに、影浦くんは前日の今日、わざわざこうして来てくれたのだ。私がお花が好きなことは知っていただろうが、まさか買ってもらえるなんて想像もしていなかった。
「影浦くん、ありがとう! すっごく嬉しい」
「……ん」
「どうしてこのお花にしてくれたの?」
「あぁ? 手前にあったからだよ」
ガーベラは今の季節ではないが、定番なので置いていたのだろう。八月ならばヒマワリが一番目立つ位置にあっただろうに、これをわざわざ選んだのは、大方女はピンクをあげておけばいい、という考えによるものな気がする。形も見覚えがあったのかもしれない。でも年頃の男の子、しかも影浦くんがピンクの花を私のために選んでくれた事実があまりにも嬉しくて、影浦くんに抱きついた。
「やめろ」
「やめない!」
マスクをずり下げて、ちゅっとキスをする。嫌がるかと思っていたが、ほとんど抵抗されなかった。それどころか、どこか満足気だ。
「エリス」
「ん?」
「枯らすなよ」
なかなか無茶なことを言う。ドライフラワーやプリザーブドフラワーにするという手もあるが、これは影浦くんが想定している「枯らすな」とは違うだろう。
「なるべく頑張るけど、枯れちゃったらまた買ってきてよ」
冗談めかして言うと、影浦くんは思い切り顔をしかめた。おそらく、相当恥ずかしい思いをして花屋に入ったのだろう。だからこそ、お花だけじゃなくて、その気持ちが嬉しかった。
「上がって影浦くん。お茶淹れるから」
そう言うと、影浦くんは「ん」と下唇を突き出して、私よりも先に部屋の奥へと入って行った。私はその後ろ姿を見つめながら、ガーベラを抱きしめた。


20210813

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