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駅前のカフェでバイトをし始めてからというもの、浮かない日々が続いている。
憧れのおしゃれなカフェで働けるのを楽しみにしていたけど、現実は明るい髪色、ネイル、ピアス全て禁止で、働いている人間は全くおしゃれじゃない。それらが禁止なことは面接の時に説明されて、ダメならやめますと言えず、そのまま採用されてしまった。
おまけに洗い物に使用している業務用の食器用洗剤や、消毒用アルコールのせいで、バイト終わりはいつも手がカピカピしてしまい、常に突っ張っているような気がする。爪はそこまで弱くない方だけど、甘皮はボロボロで、ささくれも少なくない。
初めてのバイトだし数ヶ月で辞めるのは抵抗があるけど、お店のおしゃれさより、外見に関してゆるいところに変えようかなと考え中だ。

HRが終わり、教室から先生が出て行く。今日はこの後バイトなので、その前に、とスクールバッグからハンドクリームを取り出した。
最近の私の楽しみはこれで、ちょっといいブランドのものを初めてのバイト代で購入した。普段なら手が出ない値段だったが、これは必要な出費と何度も自分に言い聞かせて、好みの香りを厳選したのだ。やはり少し値段が張るだけあって、使用後はすべすべするし、何よりも香りで癒される。パッケージも可愛くてお気に入りだ。
手の甲にクリームを出そうとした時、背後から「よっ!」と声を掛けられた。振り返るとそこには授業から解放されてやけに上機嫌の米屋がいた。

「何してんの?」
「んー、バイトのせいで手荒れ酷いから、ハンドクリーム塗るところ」
「手荒れ?」

すると米屋は、私の手をひょいと取ると、顔を近づけてまじまじと見つめた。この世のどこに手荒れを見てほしい女の子がいるのだろう。さっと引っ込めると、米屋は呑気に「頑張ってんじゃん」と笑った。

「米屋の手は結構きれいだよね。槍で戦ってるんでしょ? マメとかすごそう」
「と、思うじゃん? あれ生身じゃねーから関係ないんだよな」
「いいな〜」

仕返しに米屋の手を取って、まじまじと見てやる。指はすらりとしていて、爪は平たい。手の甲にはうっすら筋と血管が浮かび上がっている。手のひらはマメなどなくて、私よりもきれいな手だ。腹立たしいなと思っていると、米屋は私に掴まれた手を一度握り、またすぐに開いた。
米屋の手を離し、自分の手の甲に密度の高いクリームを出すと、米屋はそれをじっと見つめていた。訝しげに見つめ返すと、米屋は少し照れたような、どこか期待に満ちた表情でにやりと笑った。

「ハンドクリームってさー」
「うわ、嫌な予感!」
「聞けって。ほら、モテテクみたいなやつにハンドクリーム余っちゃったからあげる〜みたいなやつあんじゃん? あれ、やっぱちょっと憧れんだよな、男として」
「えー、やだ……」
「今度クレープ奢る!」

両手をぴっと揃えて差し出して来た米屋に困惑していると、「一回だけ、な?」と頼まれてしまった。クレープのためなら仕方がない。
今出した量だけでは足りなさそうなので、追加で出し、まずは自分の手に軽く塗り込んでいく。それから米屋の両手を包むようにして、ゆっくりと滑らせた。クリームが広がっていくと、少し甘くて爽やかなフィグの香りが漂ってくる。ぬるぬるした手を優しく撫でて、米屋の手に満遍なく分け与えていく。何故か普通に触っているよりも生々しい感覚がして、動揺している自分がいる。そう思っているのが私だけだったら申し訳ないなと思い、米屋はどうだろうかと盗み見た。

「やっべー……」

はしゃいでいるのかと思っていた米屋の表情は真っ赤で、思わずばっと手を離してしまった。恥ずかしさのあまり、このまま逃げてしまおうと思ったが、この手ではバッグも掴めない。お互いに目が見られないまま、無言で手にクリームを擦り込む。こんな空気になるのは初めてなので、どうしたらいいかわからない。とにかく、辺りに漂う甘い香りを散らさなければ。

「……クレープ」
「ん……」
「チーズケーキ入ったやつね」
「三個買ってやんよ」

そんなに食べられるわけがないのに、私はつい「約束ね」と返事をしてしまった。

「じゃ、バイトだから」
「おう。頑張れ」
「ありがとう」
「じゃあな」
「うん……」

会話の切り上げ方も忘れてしまって、米屋もそわそわしている。ぎこちなくスクールバッグを肩にかけ、そそくさと教室を出ようとすると、米屋が私の名前を呼んだ。振り返ると、米屋はどこか緊張したような面持ちで、周りに人がいるにも関わらず言った。

「次、デートな」

ぶわっと頬に熱が集まって、何も言えない代わりにこくこくと頷き、足早に教室を出る。
次、デートだって。クレープ三つ食べるデート。
どうしよう、と髪を耳にかけると、ふわりと甘い香りがした。先程の感触や空気が鮮明に思い起こされて、私は少しつまづきながら、なんとか階段を下りたのだった。


20210508
お友達のお誕生日お祝い

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