×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


瞬木は部活を早めに切り上げ、商店街へ向かう。商店街はスーパーよりも不便だが、一つ一つの商品が安い。また、瞬木は物心ついた頃からここを利用しているため、家庭の事情を知っている店主が多い。
瞬木は、自分が商店街の人間から評判が良いことを知っている。瞬木が小さい頃から一人でやりくりし、弟達の面倒を見ている姿を知っている店主達は、瞬木によくおまけをしてくれるし、弟達にお下がりの服をくれたりと世話を焼いてくれる。その度に瞬木は申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちになる。それでも苦しい生活のため、もらえるものはありがたがった。しかしそれが自分のものとなると途端に遠慮をする。瞬木にはこれ以上欲しいものは何もなかった。何かを手に入れると、新たな欲が出てきてしまいそうになるためだった。
高齢者の利用が多い閑静な商店街はどこか懐かしさを思い出させる。錆びたアーケードをくぐり抜け、瞬木はまず文房具店に入った。雄太と瞬が、使っている鉛筆がもう短くなっていると言っていたからだ。小学校は筆圧の調整のため鉛筆を推奨している。シャープペンシルの方が安く済むのにと思いつつ、鉛筆を購入する。次に八百屋に向かって野菜をいくつか買う。八百屋を出て隣の肉屋に入ると、子供が好きな初老の女店員が笑顔で瞬木を迎えた。

「はい、いつもありがとうね。おまけしておいたから」
「いつもすみません」
「いいんだよ。隼人くん、頑張ってるからね」

肉屋で鶏肉を買うと、気前の良い店主が出来立てのコロッケを三つおまけしてくれた。この店のコロッケは雄太と瞬の好物だ。

「熱いうちに食べた方が美味しいよ。一つ先に食べちゃいな」
「いえ。弟達と一緒に食べます」
「そうかい?偉いねぇ」
「そんなことないです。ありがとうございました」

笑顔で会釈しながら肉屋を去る。
瞬木は自分の分のコロッケを弟達に譲るつもりでいた。近頃食べる量が増えてきた二人を空腹にさせたくない。もう二度とあのようなことをさせたくなかった。
必要な物を全て買ったことを確認すると、瞬木は急いで帰路についた。生肉とは別のビニール袋に入ったコロッケに触れる。熱くはないが、まだ温かかった。商店街から自宅まではさほど遠くないため、冷める前に食べさせてやれそうだ。
瞬木が自宅アパートに戻ると、ドアのガラスから明かりが見えた。中から話し声も聞こえる。珍しく遊びに出ていないのかと思ったが、朝食の時に雄太と瞬が、今日はエリスと遊ぶのだと言っていたのを思い出した。
瞬木はこのところエリスという名前をよく耳にする。エリスとは雄太と瞬が最近知り合った人で、彼女が犬に吠えられていたところを助けてやった。それから雄太と瞬は「エリスはどんくさいけどいい奴だよな」「エリスは優しい奴だ」「なんか放っておけないんだよなー」と口を揃えて言うようになった。
雄太と瞬が友人を家に呼んだことはこれまでに一度もない。狭い家で遊べることがほとんどないからだ。そんなに仲が良いのかと思いつつ、瞬木はドアを開ける。玄関に入ると古いワンルームはすぐ飛び込んで来る。

「ただいま」
「あ!兄ちゃん!」

瞬木は部屋にいた人物を見て驚いた。エリスというのは雄太か瞬と同年代だと思っていたが、二人に挟まれて座っていたのは瞬木よりも少し年上の女だった。
エリスは瞬木を見て申し訳なさそうに会釈する。瞬木は警戒しつつ、微笑んで「どうも」と頭を下げた。

「えっと、エリスさん?」
「はい。お邪魔してしまってすみません」
「いえ、こちらこそ。弟達がお世話になってます」
「違うよ兄ちゃん。俺達が世話してるんだ」
「こら雄太。失礼だろ」
「いいんです。その通りですから」

エリスは場を宥めるように微笑した。瞬木はエリスを妙な奴だと思った。一見普通の女なのだが、その身を纏う雰囲気に違和感のようなものを感じる。真黒い瞳には何も映っていないのだ。瞬木は一瞬エリスに自分の姿が重なって見えた。すぐに気のせいだと自分に言いつけて、もらったコロッケを袋から出す。

「雄太、瞬。コロッケもらったぞ。エリスさんもよかったら」
「いえ、私はもう失礼します」
「えー?いいじゃんもう少しいろよ」
「エリスー!」

瞬木は雄太と瞬の様子に驚愕する。他人に心を許すなと言いつけていたのに、二人はエリスを受け入れているどころか、求めている。

「ごめんなさい、今日はこれで。また明日会いましょう」

エリスは雄太と瞬の頭を撫でると、すっと立ち上がった。瞬木は買い物袋を雄太に託し、玄関で靴を履くエリスの後についていく。

「お邪魔しました。あの、」
「はい」
「また雄太さんと瞬さんと遊んでもいいでしょうか」

瞬木は少し躊躇ったが、「ぜひ遊んでやってください」と返す。二人がこれだけなついているし、これまでの話から悪い人間ではないと感じたからだ。
エリスは最後にもう一度頭を下げると、静かに外へ出て行った。

その日からエリスは度々雄太と瞬に連れられて瞬木家に訪れるようになり、瞬木とも親しくなった。瞬木はいつしか敬語を使わなくなり、エリスのことを「エリス」と呼ぶようになった。一方エリスは瞬木のことを「隼人さん」と呼び、瞬木だけでなく雄太や瞬にまで丁寧語で話す。瞬木は一線引かれているような気がしたが、これがエリスの生き方なのだと理解して何も言わなかった。
エリスは高校生で、訳あって家出をしている。今はホテルに泊まっていると聞いた瞬木は、エリスの家は裕福なのだなと嫌な気持ちがしていたが、エリスからは金持ちの鼻持ちならない様子が一切ない。むしろ貧乏のような気さえする。エリスは清潔感のある女だったが、どこか貧弱でみすぼらしい。またエリスは時々近代詩のフレーズを口走る癖がある。瞬木は詩に疎いため、エリスの言葉に曖昧に笑って返すのだった。



エリスが消えたと雄太と瞬が泣きそうな瞳で訴えたのは、出会ってから三週間後の夕方だった。いつも同じ時間に公園のベンチで読書をしているエリスが、今日はいないのだと言う。

「家に帰ったんじゃないのか?」
「ありえないよ。だってエリス、帰ったら結婚しなきゃいけなくなるって言ってた。エリスは結婚なんかしたくないんだって」
「結婚?まさかだろ」
「本当だよ兄ちゃん」

山奥の古い風習が残る村に住んでいたエリスは、厳格な両親に厳しくしつけられて育った。エリスが中学生に上がった頃、家系の都合で婚約者を紹介されたエリスは、殺していたはずの自我が己の中でふつふつと燃えていく気配に気づいた。これまで親の言いつけを何でも守ってきたエリスだが、初めて抵抗の意思を持ったのだ。エリスは真夜中に必要最低限の荷物と通帳を鞄に詰め込み、この地に逃げてきたのだった。

「とにかく兄ちゃん!エリスを探して」
「わかったよ。ただし暗くなったら先に家に帰ること。守れるか?」
「うん!」

雄太と瞬は力強く頷くと、ぱっと駆け出して行く。脚が速いのは瞬木家の血筋だ。
瞬木はどうしたものかと思いながら、雄太や瞬が行きそうにない場所を探して歩く。瞬木はエリスが消えたのは特別なことではないと思っていた。元々ここに住んでいるわけではないし、なによりエリスが家出をしているからだ。親が連れ戻しに来たと考えれば、自分の意思ではなくても家に帰ることになるだろう。瞬木は例えエリスが無理矢理帰らされる場に出くわしたとしても、何もしないだろうと思っている。

back