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立て付けの悪い店の扉が開くと、店内に冷気が流れ込んできた。寒そうにして入って来たおっさん二人がカウンター席に座る。室内が換気されたせいか、ぼんやりしていた頭がわずかに冴える。
堤とよく来るこの居酒屋は小汚い外観のせいか客層が高い。壁一面に所狭しと貼られた手書きの短冊は色褪せ、メニュー表は何かの汁がこぼれたのか黄ばんでいる。皿もかなり年季が入っていて、柄の一部が剥げていたり欠けていたりするが、何を食ってもとにかく美味い。飲み放題はないが酒の種類が豊富で、他の店では見かけないような日本酒も多々ある。少し前に日本酒好きの堤にこの店を教えてやったのだが、今ではおやっさんに顔を覚えられるくらい通っているらしい。二人で飲む時は大抵この店に来て、だらだら酒を飲む。
季節は冬と言っても差し支えないほど夜の空気が冷え込んできた。こんな日はモツ煮と日本酒で一杯やるに限る。とろとろになるまで煮込まれたモツと、味が染み込んだこんにゃくと大根。無限に食える代物だ。
この店に来る前にラーメンを食べたため、適当なつまみも頼みつつちびちびやっていると、ふいに堤が「そういえば」と口を開いた。

「諏訪さん、最近何かありました?」

俺がやったタバコを蒸かしながら堤が薄く笑う。いずれされるだろうと予想していた質問だったため、ようやくか、と思いながら俺もタバコに火をつけた。何かあったか、という質問に肯定して、煙を吐き出す。

「気ぃ使わせてワリィな」

堤が俺を飲みに誘ったのもこの話をするつもりだったからだろう。堤は付き合いでしかタバコを吸わないが、さっき自ら「一本もらえます?」と言ってきた辺りで予感がしていた。
俺が謝ると、堤は「いやいや」と首を振りながらタバコの灰を落とした。

「正直オレは何も心配してないですよ。ただ日佐人の奴が少し気にしてて」
「っかー。高校生に心配されっとかいよいよやべぇな」
「諏訪さんのことよく見てますよね」
「あいつ最近妙に鋭いってか、勘が良いんだよな」
「良い手本が身近にいるからじゃないですか?」
「んだそりゃ」

ははは、と堤が笑う。
日佐人は同年代の奴らの中でもしっかりしている部類だ。そいつがさらに成長して状況を冷静に分析出来るようになっていることは喜ばしいが、余計なことにまで気を回すようになった。高校生に心配をかけさせるのは情けなくもあるが、ここ数日の俺はやはり傍から見ても様子がおかしかったのだろう。

「それでどうしたんですか。話くらいなら聞きますよ」

堤もそんな俺を見兼ねて相談役を勝手出たに違いない。正直同期には話したくない内容だった。特に風間の野郎は相談相手には向いていない。配慮にかけた正論でボコボコにしてくるのは目に見えている。しかし堤は違う。相手の話を聞く姿勢がある。こいつほど俺の女房役に適した人材はいないだろう。
日本酒を一口含み、ごくりと飲み干す。かっと胸が熱くなり、口内に米の風味が広がった。堤に酒を勧められるがままに呑んでいたせいか、酔いが回ってするりと言葉が出て来る。

「実はあいつに同棲持ちかけたんだよ」
「おおっ。ついに」
「そしたらよ、微妙な顔して『考えさせて』だとよ」

はっ、と吐き捨てるように笑う。素面では語れない内容を茶化しながら言うと、堤は「それは……」と言葉を濁した。

なまえに同棲を持ちかけたのは数日前のことだ。
なまえの部屋に俺の私物が増え始め、最近のデートはもっぱら向こうの家になっていた。大学やボーダーなど目的地が同じ時は泊まることも多い。半同棲と言っても過言ではない状態だった。
大学卒業まであと一年あるが、こういう生活をしているならいっそのこと一緒に住むか、とは前々から考えていた。家賃や光熱費、食費を折半すればなまえの負担も減る。本格的な話ではないしにろ結婚を視野に入れている話はしていたため、同棲を持ちかけるのは遅すぎるくらいだと思っていた。

「そろそろちゃんと一緒に住むか?」

改まって言うのが気恥ずかしく、話の流れでさらりとそう言うと、なまえはぴたりと動きを止めてから目を泳がせた。想像していた反応ではなかったため俺の身体も一瞬動かなくなったが、すぐに「その方が色々都合良いだろ」と微妙な空気を取り繕うよう言葉を連ねたのだが、やはりなまえの反応が思わしくない。理由はわからないが、しくじったということはわかった。
こちらの焦りをなまえに気取られないようにしたが、内心焦りで心臓がバクついて変な汗が背中にじわりと滲んだ。
なまえは俺を見ることなく、ぼんやりとどこか宙を見つめながらゆっくりと言葉を繋いだ。その微妙な間がより俺の緊張を煽る。

「うん……。ちょっと……。考えさせてもらってもいい?」
「お、おお……」
「ごめんね。あ……。それと私明日から少し忙しくてあんまり連絡取れないかも……」
「そりゃ別にかまわねぇけどよ……」

それからの会話の内容はあまり覚えていない。なまえは何事もなかったかのように笑顔に戻ったが、俺はなまえが何故こんな反応をしたのかわからず気が気でなかった。その一件があった日からなまえとは挨拶程度のやり取りしかしていない。真偽は定かではないが忙しいと言われ手前、わざわざ話を蒸し返すのは憚られた。

一連の出来事を話し終えると、堤はなんとも言えない表情をして「なるほど」と呟いた。酔いも相待ってか、堤の表情が俺を弱気にさせる。

「なあ堤」
「はい」
「俺、フラれてねぇよな……?」
「いやいやいや! それはないですよ! 名字さんのことですし何かあったんじゃないですか?」

食い気味で否定する堤に「だよな」と頭を上げて己を奮い立たせる。
まさかこんなことくらいでフラれることが頭に過ぎるほど自分が女々しい奴だとは思っていなかった。それを後輩にぐちぐち言うのもカッコ悪いとは自覚しているが、今日の俺は大分ヤケになっている。

「恥ついでに言っちまうけどよ。同棲持ちかけたら喜ばれると思ってたんだよな。なんなら嬉しくて泣くんじゃねーかとか」
「わかりますよ、俺も名字さんがそういう反応するの目に浮かびます」
「正直これが一番効いてんだわ。自惚れすぎだろ。ダッセェ……」
「ははは。前まで名字さんが諏訪さんのこと追い掛けてる感じでしたけど、すっかり立場が逆転しちゃいましたね。いやー、これは日佐人には言えないな」
「言うな、マジで」

これまでなまえに何をしても喜ばれたり感謝されてきたが、今後必ずしもそうとは限らない。意見が合わない場面などいくらでも出くわすだろう。むしろ今までの関係が良好過ぎた。俺の意見に合わせて無理をさせるくらいなら、真正面から本音をぶつけ合って落とし所を見付けた方がいいに決まっている。

「とりあえず名字さんに直接訊いてみたらどうですか? 確か家この辺って言ってましたよね。この時間なら起きてるでしょうし」
「……だな。ちょっと行ってくるわ」

残った酒を飲み干し、席を立つ。財布を出そうとした堤を手で制し、おやっさんに代金を払ってから外に出ると、タバコの煙を吐いたように息が白く染まった。キンと冷えた空気が鼻先を掠める。

「寒ぃなー。もう完全に冬だな」
「ですね。それじゃあ健闘を祈ります」
「おう」

片手を軽く挙げて堤と別れ、なまえの自宅の方へ足を進める。ここからなまえの家までは歩いて十五分程度だ。家にいるか電話で確認しようと思ったが、そうすると用件が全て済みそうでやめた。今、無性にあいつの顔が見たい。
今度あいつもあの居酒屋に連れて行ってやろう。女受けはしない店だが、なまえなら気に入るはずだ。美味そうに飯を食う顔が浮かんで口元が緩む。
手ぶらで行くのも何だと思い、コンビニに寄って甘いものをいくつか見繕った。少し前までコンビニスイーツなんぞ買うのは小っ恥ずかしかったが、今では慣れたものだ。
アパートの階段を上り、インターホンを押す。しかし中からの応答がない。任務は入っていなかったはずだが、どこかへ出掛けているのだろうか。風呂に入っている可能性もある。
やはりアポ無しで来るべきではなかったかと思いながら、ドアの前で少し待つことにした。
合鍵は貰っているが、それで入りたくないという意地があった。馬鹿みたいな話だが、なまえに迎え入れられたいと思っている自分がいる。しかし気温はどんどん下がっていき、身体の芯が冷えてくる。
帰るか、と思い始めた頃、カツンカツンと階段を上る音が聞こえてきた。聞き覚えのある音に顔を上げる。

「あれ、諏訪くん?」
「よう」
「えっ! どうしたの? あっ、もしかして待ってた? 中入っててくれてよかったのに」

俺を見付けて目を見開いたなまえは、慌ただしくカバンから鍵を出す素振りを見せた。その様子を眺めていると、ドアを開けたなまえが「早く入って!」と俺を招き入れる。

「寒かったでしょ。身体冷えちゃった?」
「そんな待ってねーよ」
「そう? 私ご飯これからなんだ。お鍋一緒に食べない? 水炊きだから簡単だけど。準備するね」

部屋の暖房をつけ、コートを脱いですぐに鍋の準備をしようとしたなまえの手を引いて引き止める。なまえは目を丸くし、「諏訪くん?」と首を傾げた。

「その前にちょっといいか? あんま時間取らせねーから」
「うん、どうしたの?」
「同棲のことなんだけどよ。別に今すぐしてーってわけじゃねぇけど、何かあんなら先言っといてくれ」

するとなまえは、きょとんとした顔をした後、はっと何かに気付いたような表情をし、さらに顔を青ざめさせた。百面相、と心の中で呟いてなまえの言葉を待つ。

「もしかして諏訪くん、私が考えさせてって言ったこと結構気にしてた……?」

改めて言われると反応し難い。先程堤に色々曝け出しておいて何だが、やはり自分の女にはそういう弱い部分を見せたくないという思いがふつふつと湧いてくる。だが俺の微妙な表情で察したのか、なまえは「わー!」と慌てると、ぎゅっと俺の手を握り込んだ。

「違うの! 同棲したくないとかじゃなくて! えっと、一回そこ座って!」

導かれるままソファーにどすんと腰掛ける。なまえは俺の膝に手をつくと、前のめりになった。あまりの圧に引き気味になる。

「本当に! 同棲したくないとかじゃないです!」
「お、おお……」
「実は私、最近車を買おうと思って動いてまして」

そう言いながら指差した机の上に、車のカタログや見積書などの紙がまとめられていた。こんなものは今まで見たことがない。車を買うというのも初耳だ。

「ほぼほぼ決定かなって時に諏訪くんから同棲の話をしてもらったから、お金のこと考えてちょっとぼんやりしちゃってました……」
「てことは同棲自体は賛成ってことか……?」
「もちろん! 諏訪くんと一緒に住めるなんて夢みたい」

弾けるような笑顔に、俺の身体から力が抜ける。あの一瞬で資金のことに辿り着くのが真面目ななまえらしい。そのま勢いに任せてなまえの肩に寄り掛かると、なまえは俺の背中に手を回してふふっと笑った。

「諏訪くんから甘えてくるの珍しいね。もしかして酔ってる?」
「まーな。さっき堤と飲んでたんだよ」
「そうなんだ。いいなぁ」
「今度おめーも連れてってやる。店は汚ぇけど全部うめーからよ」
「うん。楽しみにしてるね」

顔を上げると、寒さで鼻の頭を赤くしたなまえと目が合った。なまえの後頭部を支えるように腕を回してキスをする。軽くするつもりだったが、唾液が混ざる音と唇の柔らかさに歯止めが効かなくなり、唇を貪りながらソファーに押し倒した。
そういえば最近は「爆発する」とか一切言わなくなった。元々なんだそりゃ、とは思っていたので別に構わないが、緊張でキョドるなまえがかわいかったのは確かだ。

「んっ、ふ、ふわふっ」

くぐもった声に興奮して、手触りの良いニットの下に手を忍ばせようとした時だった。手首をがっと掴まれて、思わず顔を上げる。

「だめ」

その力強い声で正気に戻る。なまえに行為を止められた経験がほとんどなかったせいか、興奮がさっと引いていくのがわかった。

「ワリ、つい……」

するとなまえは、悪くなった空気を吹き飛ばすようににこりと笑って起き上がると、少し照れくさそうに小首を傾げた。

「ご飯食べてからね」

そう言い残してなまえは袖を捲りながらキッチンへ向かった。冷蔵庫から食材を出す後ろ姿をぼんやりと眺めていたら、ふいに気の抜けた笑いが出た。堤の言う通り、すっかり立場が逆転している。

「諏訪くん何笑ってるの?」
「おめーも笑ってんじゃねーか」
「だって、ちょっと気恥ずかしくて」

へへ、と笑う横顔に、再び笑いが込み上げた。
なまえは鍋を火にかけると、切った食材を次々に投入した。飯は食ってきたはずなのに、不思議と腹が減ってくる。俺は買ってきた菓子を冷蔵庫に入れながら、キッチンに立つなまえを横目で盗み見て、飯を食ったら何から話そうか、と思考を巡らせた。


20221022

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