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あかいめだまの さそり
「あかいめだまの さそり」

名前は自身をただの不眠症だと言ったが、これは部分的には嘘だ。

「ひろげた鷲の つばさ」

不眠症のことを修に聞いたところ、寝つきが悪い、浅いといった、眠ること自体に問題がある病気のことを言うらしい。

「あをいめだまの 小いぬ、」

対して名前は日中起きることが出来ない。夕方になると人知れず起き出して、夜になると任務に出たり、支部の中で一人で過ごしていたという。そのため、修とチカが名前と対面したのは、玉狛に配属されてしばらく経った後だった。

「ひかりのへびの とぐろ。」

今はもう、おれがいるから一人ではないし、おれも名前がいるから、一人ではない。

「オリオンは高く うたひ」

名前はぴたりと詩の暗唱を止めると、訝しげにおれを見た。笑い掛けると、「聞いてなかったでしょ?」と目を細めて呆れた顔をしたので、「聞いてたよ」と戯けて返す。

「相変わらず、よくわからない詩だよね、これ」
「名前でもわからないなら、おれには難しすぎるな」
「そういう内容の話じゃなくて。このオリオンとか、そういうものの話だよ」

おれが長くいた地域では、夜の冬空はもっと静かで広く、星明かりが頼りないようでもあり、心強くもあった。野営中に仲間と温かい飲み物を飲みながら語り合う空はきれいだったし、闇に紛れて敵を殺した後の星は寂しくも思えた。

「ほう、どういうことだ?」

特に空気が澄んだ地域では、糠星で空が埋まるようなところもある。日本に来て思ったことは、ここの夜の星は、地上の建物の光のことだ、ということ。人工的な光は煌々と絶え間なく光り続け、本来の星は存在を潜めている。

「そもそも、オリオンって何、って話。いや、わかる。何かの星の話をしてるんだってこと。多分だけど、さそりも、つばさも、子いぬも、星座のことなんだろうね。でも日本にはそんな星座ないから」
「ああ、そういうのはやっぱり国によって違うからな。暦がそもそも違うし、見えるものも違う。おれは日本で言うとつるぎ座みたいだぞ。この分類が果たして何に対して使われるのか謎だが……」
「占いくらいじゃないの」

言われてみれば、小南先輩は朝のニュースの星座占いのコーナーを熱心に見ている。一位の時と、ラッキーカラーが赤の時は嬉しそうだ。人の命運を意味のない星座が握っているのかと思うと、なんだか面白い。

「でもこんな架空の星座の詩が学校の教科書に載ってるんだもんね。歌にまでなってる」
「暗記してるくらいだから、名前も好きなんじゃないのか?」
「別に、普通」

そう言うと、名前はベンチに浅く腰掛けて、足を伸ばし空を仰いだ。はあ、と吐いた息が白く色付き、空気に霧散する。名前もおれと同じで、よほど一人の時間を持て余していたのだろう。

「誰にも言ってなかったけど、この詩を書いた人って近界民なんじゃないかって、ずっと思ってた」
「ああ、それは大いにありえるな」
「遊真が来てから、ずっとこのことを話してみたかった。クローニンに話してみたいとは一回も思わなかったのに」

名前は気恥ずかしそうに、マフラーに鼻先を埋めた。特別な意味を持つ言葉に、思わず笑みが溢れる。

「この人も遊真みたいに一人で知らない土地に来て、故郷の星を歌ったのかな」
「そうかもしれないな」
「そうだとしたらすごいね。他の国に自分の国の証を残したんだ」

名前はおれの手に自分の手を重ねると、ちらりとおれを見遣った。

「あかいめだまの、つるぎ」
「お、替え歌か?」

おれの瞳と、おれの星座だ。おれの故郷は決してここではないが、名前は日本にいるおれを残す詩を作ろうとしている。その姿が愛おしくて、おれは両手を広げた。

「ひろげたおれの、つばさ」
「ふふっ、つばさじゃないじゃん」

きらり、とキメ顔をしたのが面白かったのか、名前は声を潜めて笑っている。

「どうした、おれは翼を広げたぞ?」

抱擁を求めると、名前はまた微笑んで、おれにそっと寄って来る。すっかり冷えてしまった身体を抱き締めると、名前の腕にも力が込められた。きんと冷たい名前の耳を頬に当てて、その存在を確かめる。
名前はおれがいなくなったら、また一人で、街の光の影にその身を置くのだろうか。

「名前、続きは?」
「えー、もうわかんないよ」
「考えてほしい」
「ええ、うーん。細いめだまのレプリカ」
「はは、何も合ってないな」
「遊真が急かすから」

もう、と拗ねたようにおれの背中を叩く。おれと、レプリカ。あとは名前だけだ。
詩の続きはなんだったか。ひかり、という言葉が入っていたような気がする。おれにとって、光は名前だ。だがきっと、名前の口からはこれから先、一度だってそんな言葉は発せられないだろう。

「遊真?」

名前から離れて、その手を取った。力ない指先に、そっと唇を落とす。そのまま名前をじっと見つめると、頬や鼻を赤くした名前の口から、また白い息が細く溶け出した。

「好きだよ、名前」

おれが一体どんな気持ちでこうして夜を過ごしているのか、名前は知っているか。
名前はおれの手をきゅっと握り返すと、ふわ、とその身体の輪郭を緩めた。

「私も、遊真が好き」

おれは名前が望むのなら、何だってしてやるつもりでいる。ただ一つ、ずっと一緒にいるという願いを除いて。
日本で勉強し始めてから知った、遺伝子について。果たして今のおれの身体の中には、この遺伝子が残されているのか。この日本に、残される名前に、子種を託すことが出来るか。おそらく不可能だろうから、このことを名前に言うつもりはない。だがもし名前からそんなことを切り出してきたら、調べてもらうつもりではいる。

「キスしていいか?」
「うん」

佇まいを直して、名前が目を閉じた。震えるまつ毛、ふっくらとした唇。永遠に見ていられそうだ。しかしすぐにキスしないと怒られるので、名前の肩にそっと手を置き、ゆっくりと唇を触れ合わせた。


20210521


宮沢賢治『星めぐりの歌』
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