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いれものがない
嵐山くんから送られて来たコロちゃんの写真はリードを咥えていて、早く散歩に連れて行ってほしいと言っているようでとても可愛い。その後に送られて来たメッセージには「これから散歩だ」と書かれていた。外は晴れていて、雨は降りそうにない。窓を開けると風はなく、過ごしやすい気温だった。
少し迷ったが、嵐山くんに「行ってもいいかな?」と送ると、すぐに「もちろん」と返ってきた。「いつもの公園の方に行くから、近くに来たら連絡してくれ」というメッセージの後に追加で送られてきた「ゆっくりでいいぞ」という文字に、嵐山くんの優しさが詰まっている。

私はボーダーに入隊するため三門市に一人で引っ越してきて、家族は離れたところにいる。大学で知り合った仲のいい友人もいて、その中の一人が嵐山くんだった。
切っ掛けは何だったのか自分でもよくわからないが、私は少しずつおかしくなった。頭痛や肩こりが慢性的に続き、本を読んでいても文字が滑って内容が頭に入って来なかった。しまいには朝ベッドから一歩も動けなくなり、ようやく症状を自覚して、なんとか心療内科の予約を取ったのだが、当日の朝になって家を出られるか不安になってしまった。そんな時に偶然嵐山くんから連絡が入って、藁にもすがる思いで一緒に病院に行ってくれないかとお願いしたところ、散歩のついでだからと言って付き添ってくれたのだった。謝り倒す私に対し、嵐山くんは「頼ってくれてありがとう」と言ってくれて、こんな優しい人の手を煩わせて申し訳ない気持ちと共に、心から感謝したのだった。
上層部の計らいで大学とボーダーをお休みして三ヶ月になるが、ようやく規則正しい生活が送れるようになってきた。症状が軽い日は外に出て好きなことが出来るようになり、医者の話によると経過は順調なようで、自覚もしている。
嵐山くんは私の身体と心を心配してくれたが、直接的な言葉は何も言わなかった。具合はどうだと聞かれたこともない。ただ時々コロちゃんの写真と、近況報告のような短いメッセージをくれて、気が向いた時には一緒に散歩をしてくれる。ただの同期にここまでしてくれるのは、嵐山くんの人柄だろう。忙しい時間を縫って迅くんのことも気に掛けているようだし、本人は否定するだろうが慈悲深い人だ。

簡単に身支度を済ませて家を出る。太陽の光が暖かい。コンビニで小さいお茶を二本と、犬のおやつを買って公園へ向かう。すると携帯に着信が入った。ディスプレイを見ると嵐山くんで、電話に出ると「今道路の向かいにいる」と言われた。見ると、軽装に身を包んだ嵐山くんがこちらに手を振っていて、その隣にコロちゃんが舌を出して座っていた。嵐山くんと横断歩道の前で落ち合うと、彼は「すれ違いにならなくてよかった」と笑った。

「わざわざ来てくれたの?」
「コロの行きたい方向に任せてたら、たまたまこっちだったんだ」

コロちゃんは私の膝に手をついて立ち上がると、コンビニの袋に鼻先を近付けた。嵐山くんが咎めると、すぐにやめて彼の顔を見上げた。

「おいしいのあるってわかっちゃったんだね」
「またおやつ買ってくれたのか? いつもすまない」
「ううん、コロちゃんが嬉しそうなの見るのが好きだから」

ずっと横断歩道の前にいたら邪魔になってしまうので、公園に向かって歩き出す。コロちゃんがいる時は必ず行くドッグランがある公園で、この時間ならちらほら人がいるだろう。
嵐山くんは顔が知られていて、一人の時はよく声を掛けられているようだ。私と一緒にいるときは若い人は話し掛けてこないが、高齢の方にたまに声を掛けられて、私まで差し入れをもらってしまうこともある。調子が良い時は会話も弾むが、悪い時は知らない人に話し掛けられるのが苦痛で、そんな時に嵐山くんは自然な流れで会話を終わらせ、その場を離れてくれる。そして何事もなかったようにゆったりとした空気を作ってくれた。でも、そんなことも嵐山くんにとっては特別なことではないのだろう。嵐山くんの優しさは生まれ持った彼の素質で、私はそのおこぼれを分けてもらっているのだ。

ドッグランでコロちゃんのリードを離すと、一瞬駆け回って、すぐに戻ってきた。やはり私が持ってきたおやつが気になるようだ。コンビニ袋からおやつを出すと、まだ封も切っていないのに、おすわりして右腕を差し出した。

「気が早いぞコロ」

その様子に嵐山くんは笑って、しゃがんで写真を撮った。おやつを小さく千切り、私もしゃがむと、コロちゃんは私の位置に合わせて座り直し、手を差し出してきた。その手を握り、反対の手を求めるとすかさず左手をすっと上げて私の手に乗せたので、「よし」と言っておやつをあげた。数回噛んですぐに飲み込んでしまったコロちゃんは、次のおやつを求めている。

「嵐山くんがあげて」
「ん? わかった」

千切ったおやつを渡す。嵐山くんはコロちゃんをぐるりと一回転させてから、おすわりをさせた。鼻の上におやつを乗せられて待機を命じられたコロちゃんは、鼻をひくつかせながらもじっとしている。

「よし!」

ぱくりと鼻の上に乗っていたおやつを落とさずに食べて、コロちゃんは上機嫌に笑った。

「かわいいなあ」
「コロに名字が来るぞって言ったら、すごく喜んでたぞ」
「本当?」

嘘でも嬉しいが、嵐山くんがそう言うなら本当なんだろう。コロちゃんはもうおやつがもらえないとわかったのか、遠くへ走り出して他の犬たちと追いかけっこを始めた。私と嵐山くんは近くにあったベンチに座り、その様子を窺う。元々動物が好きなので、この光景はいつまでも眺めていられる。

「よかったらこれどうぞ」

ペットボトルのお茶を差し出すと、嵐山くんは「ありがとう」と受け取って、早速一口飲んだ。その姿がなんだかCMみたいで、心の隅で笑う。

「どうかしたか?」

視線に気づいた嵐山くんは、少し首を傾げてペットボトルのキャップを閉めた。私は「なんでもないよ」と首を振って、自分の分のお茶を一口飲む。

「今日は暖かいな」
「ほんとだね」

日当たりが良いベンチなので、背中に太陽の光が当たってポカポカしている。嵐山くんから連絡がなければ、今日こうして外に出ることもなかっただろう。

「嵐山くん、いつもありがとう」
「こちらこそ。名字とこうしてるのが好きだから、嬉しいよ」

お礼を言うと、嵐山くんはそう言ってにこりと笑った。勘違いしてしまいそうな言葉だが、嵐山くんのことだから他意はないのだろう。自分の気持ちを素直に口に出せるのは美徳だ。

「私も、嵐山くんとこうしているの、ほっとするから好きだな」

見習って素直な言葉を述べると、嵐山くんは少し驚いて、ふいに目線を下げた。何かまずいことを言ってしまったかもしれない。どうしよう、と焦っていると、嵐山くんは「あ、すまない。違うんだ」と顔を上げた。頬がわずかに赤らんでいて、彼が照れているのだとわかった。

「嵐山くんも照れるんだね」
「当たり前だろ」
「嵐山くんってみんなに親切だから、こういうこと言われ慣れてると思ってた」
「みんなにってことはないけどな」
「でも迅くんのことも気にかけてるじゃない」
「それは……」

口元に手を当てた嵐山くんは、少し悩む素振りをして、ちらりと私を見た。楽しそうにはしゃぐ犬の鳴き声を聞きながら、嵐山くんの様子を窺う。少しの沈黙があって、彼が口を開いた。

「俺は誰に対しても同じようなことをしてるわけじゃない」
「そうかなあ。意識してないだけで、色んな人が嵐山くんに助けられてると思うよ」

それはボーダーの人間だったり、彼の家族だったり、市民の方々だったりするだろう。嵐山くんの言葉、行動が、どれだけ多くの人を救っただろうか。現に私は今、嵐山くんに救われている。あの時病院について来てくれたこと、外に出るきっかけをくれたこと、コロちゃんと引き合わせてくれて、心を和ませてくれること。思い当たることがいくつもある。
私の言葉を受けた嵐山くんは、足元を見つめて、何か戸惑う様子を見せた。それから、少し照れた表情で、真っ直ぐに緑色の瞳を私に向けた。

「俺は……。俺なりに名字を特別に想っているが、あとどれくらい特別に想えば本気にしてもらえるだろうか」

は、と息を飲む。嵐山くんの顔がみるみるうちに赤くなっていって、その言葉がどんな意味を孕んでいたのかを浮き彫りにさせた。心臓が早鐘を打ち、周りの音が聞こえなくなる。反射的に目を逸らすと、嵐山くんは「ごめんな」と謝った。

「今の名字にこんなこと言うつもりはなかったんだが……。困るよな」
「え、っと……」
「でも、みんなと同じじゃないってことはわかってほしい」

一体いつからそう想ってくれていたのだろう。要素が思い付かないが、嵐山くんは本気にしてほしいと言った。その言葉に対して、聞かなかったことにすることは出来ない。

「嵐山くんにそう言ってもらえて、すごく嬉しい。ただ、私はまだ自分のことで精一杯というか……。今の自分の状態もまだよくわかってなくて、傷付けちゃうかもしれないのが怖い。……ずるい返事でごめんなさい」

そう言うと、嵐山くんはうんと頷いて、優しく微笑んだ。

「今すぐどうにかなりたくて言ったわけじゃないぞ。ただこうして名字の気配が近くにあるだけで結構嬉しいしな」
「気配……」
「笑わないでくれ」

言い回しがおもしろくて思わず笑ってしまうと、嵐山くんは照れ笑いを浮かべた。私も嵐山くんの言うように、彼の気配があると安心するので、そういうことだろうか。

「とりあえず一年くらい検討してもらえるとありがたい」
「一年……」
「短かったか? 一応目安としてってだけだから、もっと長くても短くても大丈夫……。いや、待つっていうのはプレッシャーになるのか?」
「違くて、一年も待ってくれるんだなって思って……」

嵐山くんは目をぱちくりさせると、ふっと表情を緩めた。当たり前だろ、と言っているようで、言葉に詰まる。
本当はすぐにだって返事をしたい。でも、おそらく今私の心の容量はほとんどなくて、両手で受け止めるくらいのわずかな量しか持つことができない。でもたったそれだけでも私の心を温めるのは十分で、私も早く嵐山くんに、この温かさを返せるようになりたいな、と強く思った。


20210419


尾崎放哉「いれものがない両手でうける」
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