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雨さへふれば
驟雨に襲われて軒下で雨宿りをする水上と名前は、それぞれ本と睨み合っている。
水上は趣味である落語を新しく覚えるため、ブルートゥースのイヤホンを片耳だけに付けて、流れる音声と本に書かれた文字を追いながら黙読している。対して名前はというと、来週に迫ったテスト勉強のために、古典の教科書を必死に目で追っていた。
傘を持っていない二人は、ここから一番近いボーダーの地下通路への入口へ向かう途中で、小降りになる度に走り出しては、また軒下へと移っていたが、とうとう足止めを食らって二十分が経った。その時間を有効活用するため、お互いに本を取り出したのだ。
アスファルトに雨が叩きつけられる音を聞きながら、名前は水上を横目で見た。すぐに視線に気が付いて、水上は本で口元を隠しながら「なんや」と問う。

「テスト期間に関係ない本を読んでるって、頭がいい人は違うなって思って」
「褒めてくれたお礼に、覚えたての落語披露したろか」
「やだ、関係ない情報を入れたくない」
「冗談やんか。えー、困った時の神頼みなんて言いますが」
「始めないで!」

ぽかんと軽く殴られた肩口を摩りながら、水上は目を細めた。名前はしかめっ面でカ行下一段活用をぶつぶつと唱えている。

「それ基礎中の基礎やん。今回の範囲、源氏物語やろ」
「何もわからないから初心にかえったの。ねえ、頭いい人ってどうやって勉強してるの?」
「古典は暗記や。暗記は自分との戦いやな」
「全然参考にならない」

がくりと肩を落として、名前は教科書を一度仕舞い、カバンの中に入っていたチョコレートを口の中に放り込んだ。モゴモゴと動く名前の口元をじっと水上が見ていると、名前は水上にチョコレートの包みを一つ差し出した。お礼を言って水上もチョコレートを口の中で溶かしていく。
雨は止む気配がなく、薄暗い雲は辺り一面に立ち込めていて、過ぎていくクルマが音を立てて水飛沫を上げている。

「あ、暗記って、動きと一緒に覚えるといいって言わない?」
「テスト中に動くんか? おもろいなそれ。ちょっと踊ってみ」
「やんないよ! ほら、例えばさぁ、例えば……」
「何も出て来ぇへんのかい」
「例えば! 水上が私に壁ドンしながら現代語訳言ったりとか!」
「アホ。俺がそんなんしたら軽く事件やで。隠岐にやってもらい」
「冗談じゃん!」

きゃんきゃんと吠えるので、水上は「ご近所迷惑や」と持っていた本で名前の頭を軽く小突いた。名前はムッとした表情で水上を見上げている。すると、突然水上の正面に立った名前は、水上を閉じ込めるように背後のシャッターに両手をついた。しかし想像よりも大きな音が出てしまい、すぐに手を引っ込める。

「だ……いたんやな、名字」
「何その間……」
「びっくりしただけや」
「嘘だ、表情何も変わってないもん」
「ほんまやで。証拠に心臓バクバクしとる。触ってみ」
「えー……」

眠たそうな目をした水上は、しらっとした表情のまま自分の胸の辺りを指差した。名前は水上の胸を触ることに戸惑いを見せたが、急かされるので、水上の左胸にぺたりと手の平をくっつける。規則正しい水上の心音を手の平に感じて、名前は首を傾げた。

「え、バクバクしてる?」

胸に手を当てたまま見上げると、水上は素知らぬ顔で、んべ、と舌を出した。からかわれたのだと瞬時に理解した名前は、水上の胸をぽかんと叩いて「嘘付き!」と騒いだ。

「さっきまでしとったけど、名字が触るの遅いから治ってもーた」
「水上の嘘付きブロッコリー! カリフラワー! ロマネスコ!」
「ブロッコリー三段活用すな」
「もー全部忘れた!」
「何も覚えてへんから大丈夫や。ちゃんと教えたるから」
「むー」

落語の本と片耳のイヤホンを仕舞い、名前のカバンから教科書を抜き取った水上は、出題範囲のページをパラパラとめくる。意味もなくカラフルなマーカーが引かれた教科書を見て苦笑しながら、「雨もまだ止まへんし、ゆっくり行こか」と優しい声色で言った。


20210414

室生犀星『なめくじのうた』
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