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俺が一八年守り続けてきた純情が、名前さんに弄ばれている。

「匿って!」

どたどたと忙しなく廊下を走ってきた名前さんは、俺と目が合うと開口一番そう言って背中に隠れた。名前さんが何から逃げているのかは知らないが、ロクなことではないのはわかる。追手の姿は見えないが、時間の問題なのだろう。焦った表情で周りを見回している。

「ちょうど作戦室行く途中やけど、遊びに来ます?」
「行こう、早く!」
「焦らんでも、作戦室は逃げませんて」
「私が捕まったらどうする!」

背中を押され、廊下を歩きながら聞いた話によると、名前さんは忍田本部長から逃げているらしい。なんでも、仕事が立て込みすぎて名前さんは既に二徹目に突入し、色々と限界を迎えた。そこで何をとち狂ったのか、忍田本部長に渡すデータをファイルの中のファイル、そのまたファイルと、マトリョーシカのようにして渡したらしい。名前さんがこういった悪戯をするという話は聞いていたが、本部長相手にまでやるとは命知らずだ。

「どうせ怒られるんやから、大人しく投降したほうがええんちゃいます?」
「もうちょっとメンタル回復しないとムリ」
「なんやそれ」
「せっかくお風呂入ってサッパリしたところなんだから」

よく見ると名前さんの目の下にはクマが出来ている。二徹というのは嘘ではないらしい。ボーダーの労働基準法はイマイチ当てにならない。
作戦室に着くと、誰かしらいると思っていたが、珍しく誰も来ていなかった。グループチャットで確認すると、すぐにイコさんから『今から講義やで』と連絡が来たが、それ以外のメンバーは未読のままだ。こんなところで二人きりになるとは思っていなかったため、大人しく忍田本部長に引き渡した方がよかったか、と名前さんを見る。すごく疲れていそうなのに、目がギラギラしている。

「お茶でも飲みますか?」
「飲む」

作戦室の奥にある冷蔵庫からお茶を出し、コップに注いで渡すと、豪快に一気飲みした。ぷは、と口元を拭う。

「水上優しい」
「いやいや、普通っス」
「……水上って、何しても怒らなさそうだよね」
「なんなん突然」
「私、前々から水上を見ると思うことがあって」
「はあ」

目がおかしなことになっている名前さんが、じりじりと滲み寄ってくる。なんやねん、とちょっとたじろぐが、お構いなしに距離を詰められて、名前さんが言った。

「水上の喉仏……」
「は?」
「舐めてみたい」
「あらら、変態ですやん」

この人、徹夜で頭沸いたんか?
名前さんの変態発言をさらっと受け流したつもりだったが、名前さんは据わった目で俺の喉仏をじっと見ている。妙なことになった。

「帰って休んだ方がええと思いますけど」
「い、や!」
「ちょっと」

ぎゅう、と俺の胴にしがみ付いた名前さんが、にやりと俺を見上げる。腕の外から抱きつかれてしまったため、身動きができない。

「名前さん、あかんて」
「ダメ?」
「人来たらどないすんねん」
「気にするところそこなら、あかんくないじゃん」
「そういうことやなくて。危なっ!」

俺を抱きしめたまま、すぐそこにあった緊急脱出部屋に押し込まれる。ここなら人が来ても行為をすぐに見られることはないが、余計にまずい。

「名前さん、ダメですよ」
「私を助けると思って……。舐めさせてくれたら怒られてくるから」
「コラ、あー……あかんわこれ」

上目遣いでねだられて、満更でもない自分がいる。抵抗しないことを肯定と捉えたのか、名前さんは背伸びをすると、俺の喉仏に唇をくっつけた。くすぐったいのと、風呂に入ったばかりだという名前さんの匂いに、こっちまで頭がおかしくなってくる。ちゅっ、という音がやけに耳について、控えめに舌が這う。

「ほんまにやるやん」
「んー」

楽しそうな名前さんの舌が喉元の凹凸をなぞるように往復し、時々唇で喉仏を咥えられる。仮にもボーダーの正職員である名前さんが、高校生にこんなことをしている姿を知られたら、忍田本部長の雷だけでは済まない。日頃からの行いもだが、破滅願望でもあるのだろうか。

「水上の腰も好き」
「おおきに」
「私の肩から肘までの長さで抱きしめられちゃいそう」

俺の腕を解放した名前さんは、再び腰に巻きついてくる。胸が当たっているが、漫画のように感触どうこうは全くわからなかった。

「水上何か喋って、喉仏動かして」
「めっちゃ要求してくるし。ほんま、ダメな大人やな名前さんは」

吐息が濡れた喉仏にかかる。一体この行為はいつまで続くのだろうか。名前さんは勘違いしているようだが、女性にこんなことをされてフラットな状態でいられるほど淡泊ではない。それが表に出にくいだけで、そろそろしんどい。唇が離れたところを見計らい、名前さんの肩を押して離れさせると、むっとした表情をされた。

「おしまい」
「ケチ」
「んで、今度はこっちの番やな」

腰を抱きしめ返すと、名前さんは動転してたじろいだ。さっきまでの余裕ある態度が嘘のようで、違和感を覚える。

「み、水上?」
「やってもええのは、やられる覚悟がある奴だけやって有名な言葉ありますからね」

さて、どうしてやろうか。じっと見下ろすと、名前さんの小さい耳が目に入った。これなら喉仏とイーブンだろうと、耳に噛みつく。

「ひゃっ」

ゆるく噛み付いたままべろっと舐めてやると、名前さんの腰がびくりと震えて、引けていった。離れないように腕に力を込めて引き寄せる。耳輪を食んで、輪郭をなぞるように下ると、名前さんがぶるりと震えた。

「あっ……」
「めっちゃ耳弱いやん」
「ちがっ、ん! あっ、もう、や……」

嫌、と言っているわりには俺の服を掴んで離さない。俺の一挙手一投足に名前さんが喘いで、反応する様に興奮する。そこでふと、名前さんの行動に一つの仮説が思い浮かんだ。耳に唇をつけて、直接聞こえるように言う。

「もしかして名前さん、マゾなん?」

名前さんを見なくてもわかった。腰をしならせてぞくぞくしているのが丸わかりだ。

「こういう風に仕返しされたかったんや?」
「ちがっ、ちがう……」
「難儀やなあ」

もうこれは、何をしても許されるんとちゃうか。どうせお互いに人に言えないことをしているわけやし。
耳を食むのをやめて名前さんの顔を見ると、瞳を潤ませて何かねだるような表情をしていたので、キスしたろ、と顔を近づけたが背けられた。

「ダメ……」
「キスしてほしいって顔に書いとりますけど」
「したことないからダメ……」
「ないって、何を?」
「だから、キス……」
「キスしたことあらへんのに、人の喉仏舐めるんはいいんかい」

名前さんは正気に戻ったのか、俺の胸に手をついてやんわりと抵抗を始めた。しかしこのどこか煮え切らない感じは、俺の一押しを待っていると確信する。

「キスは、付き合ってる人しかダメ……」
「言わせたいんスか? ずるいわぁ」

俯いてしまった名前さんは、それから何も言わなくなってしまった。加虐心がくすぐられる。名前さんのせいで、自分の中に眠っていた性癖が露呈してしまったらしい。名前さんの頬に手を滑らせて上を向かせると、期待した顔の名前さんが俺を見て、すぐ逸らされた。告白とか知らん、構わず口付ける。

「んっ」

口を閉じた名前さんの唇をなぞり、強引にねじ込むと、すぐに観念して口が開いた。本音と建前がわかりやすい。チョロすぎて心配になるレベル。ぎこちない名前さんの舌を絡め取り、吸ってやると吐息が漏れた。名前さんの頭を撫でながら、上顎をなぞると身体がびくりと反応して、思わず笑みが込み上げる。どんな顔をしてるのだろうと離れると、息が上がった名前さんの頬は上気し、とろんと溶けた瞳は涙で潤んでいた。生唾を飲み込む。

「名前さん、べろ出して」

こうなってしまった名前さんは従順で、恥ずかしがりながらそっと舌を出してきた。

「かわいい」

その舌を引っ張ってやろうと思ったが、歯止めが効かなくなりそうでやめた。舌を絡ませてすぐ離す。

「名前さん、顔だらしなくなっとる」
「ばか……」
「付き合おか」

ん、と名前さんが大人しく頷いた。あかん、かわいい。このまま手を出してしまいたかったが、いつ誰が部屋に入って来るかわからないので、名前さんの頭をよしよしと撫で、緊急脱出部屋を後にする。

「ほな、忍田本部長に怒られてきてください」

正直に言って、こんなにもしおらしくなってしまった彼女を他の男の元へ向かわせたくはなかったが、それはそれでいい気もする。それに今の姿なら反省しているようにも見えるだろう。

「水上……」
「後で連絡しますわ」
「ん……」

名前さんが近づいて来たと思ったら、触れるだけのキスをされた。まさか自分からしてくるとは予想外だったため、一瞬身体が固まる。名前さんはしてやったり、とにやりと笑って作戦室を出て行った。

「なんやねん」

今更俺の顔も熱くなってきて、誰に見られているわけでもないのに、口元を手で覆う。とにかく、誰かが来る前にこの熱を冷まさなければと、本棚から詰将棋の本を引っ張り出して思考を働かせた。


20210316

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