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「石みたいな字だね」
 中学一年生の時、初めて王子にかけられた言葉がこれだった。終礼が終わって、部活に行く生徒やおしゃべりをしている生徒の横で一人机に向かって日誌を書いていた時に、背後からひょっこりと顔を出した王子がそう言ったのだ。振り返ると、王子は女子よりも小さくて美しい顔を少し傾けて、私が何故驚いてるのかを疑問に思いながら微笑んでいた。
 中学生の頃の王子は学内でかなり浮いた存在だった。綺麗な見た目と穏やかな話し方から、入学当初はみんな「本当に王子様みたい」と浮き足立っていたのだが、彼は悪い意味で好奇心旺盛な生徒だった。決して「不良」ではなかったが、「問題児」だったのは確かで、外聞など歯牙にもかけず、気になったことややってみたいことに貪欲なところがあり、自分勝手に場を混乱させるようなことをするので、教師たちはいつも王子の行動に目を光らせていた。しかし当の本人はいつも飄々としていた。
 誰にも指図されず、やりたい時に好きなことをして、時には教師すら論破してしまう。その姿は一部の生徒の憧れでもあった。王子の真似をして問題を起こす男子生徒もいた。ただあの傍若無人な振る舞いは王子の地頭の良さと、彼の中にある美学によって成り立っていたものだったので、何の考えも持たない生徒が似たようなことをしても、ただ馬鹿に見えるだけだった。
「石……」
 そんな特異な存在に突然声をかけられた私は当然驚いたが、その後すぐに王子に対して嫌悪感を抱いた。何故なら、私は自分が書く字に自信があったからだ。中学に上がる前まで習字を習っていたし、賞をとったこともある。この時の私は、ただ綺麗な字を書くのではなく、法則性のある特徴的な字を書くことにハマっていたので、王子の言う「石」という言葉に少なからず傷付いていた。だって、石なんて全然美しくない。ゴツゴツしていて、その辺に落ちている灰色の塊だ。拘って書いた字をそんなものに例えられてショックだった。しかもそれを言ったのが王子だったから尚更だ。
 何故だかわからないが、王子の吐く言葉は全くの真実のように聞こえる。彼がその辺で見た緑色を適当に「エメラルド色」だと言えば、本当は違う名前を持つ緑色だったとしても「ああ、この緑色はエメラルド色なんだ」と認識させてしまうような、信じ込ませる力があるのだ。今思えばそう認識させられるのは自分の無知ゆえなのだが、王子は間違いを指摘されても「へえ、そうなんだ」程度の言葉で片付ける人間だ。他人への影響力があるのに、王子は自分の言葉に何の責任も持たないし、そもそも発言自体を覚えていない可能性すらある。だからきっと、高校生になっても私がこの言葉を引きずっているなんて王子は知らないだろう。そんなことを言ったことさえ忘れてしまっているに違いない。
 当時の私は、王子が私の字を「石」だと言ったら、他の生徒もそう思うようになるだろうと思った。幸いなことに教室に残っていた生徒は王子の言葉を誰一人として聞いてなかったため、私だけが私の字を「石」のようだと思った。それが悔しくて、私は王子に対して「負けたくない」「舐められたくない」という対抗心を抱き始めたのだった。
 それから私と王子の妙な関係が始まった。
 王子の行動にいちいち突っかかっていたら、いつの間にか「委員長」というあだ名を付けられていた。学級委員長ではなく、風紀委員長の「委員長」だ。私はこのあだ名が大嫌いだったが、本名をもじったあだ名を付けられるのも嫌だったため、「委員長」というあだ名を甘んじて受け入れていた。

「委員長ってセックスしたことあるかい?」
 それを言われたのがいつだったかは思い出せない。ただセックスという単語を発した王子は特に照れたりせず、いつものように穏やかな微笑を湛えていたことは覚えている。
 同級生の口から出る「セックス」という単語は低俗に聞こえるのに、王子はまるで教科書を読むように何の感情も含ませずにそう言った。そのせいか、私は自分でも意外なほどすんなりと答えてしまった。
「ないけど、王子は?」
「ぼくもないね」
「意外。遊んでそうなのに」
「うーん、そういうことにあんまり興味がないからね」
「じゃあ何で私に訊いたの?」
 すると王子は目をぱちくりして、「本当だ」と笑った。興味がないくせに何故私の経験の有無が気になるのかわからなかったが、私はなんだか小馬鹿にされたような気分だった。
 クラスの中で初体験を済ませていく子がぽつりぽつりと増えていく中で、私は彼氏すらいない。王子は彼女を作ろうと思えばすぐに出来るだろうが、私は彼氏を作る努力をしないといけない側だった。だから王子に馬鹿にされたと感じたのだ。
 不機嫌な私とは対照的に、王子は笑みを絶やさないままそっと私に近付いた。王子の制服のシャツから香る柔軟剤の匂いにドキッとしていると、再び王子が私に訊いた。
「ならオナニーはするのかな?」
「なっ!」
「するんだ」
 動揺したのがいけなかった。王子は私の自慰に興味を示していた。好奇心の塊である王子はこうなると厄介だ。それは今までの王子のことを見ていればわかることだった。
「どんな風にするんだろう」
「うるさい」
「週に何回?」
「知らない!」
「見てみたいな、委員長が一人でしてるところ」
 王子は私をからかったわけではなく、本気で私の自慰を見たがっていた。そんなの見せたいわけがない。馬鹿なこと言わないで、と言おうとした瞬間、王子の瞳に、気圧されて緊張した私の顔が映っているのが見えた。
 断ったらきっと、王子は「なんだ、つまらない」と言う。そして心の底から私のことをつまらない人間だと思う。私は自慰を見せるよりも、王子にそう思われることの方が嫌だった。負けたくなかった。
「じゃあ王子のオナニーも見せて」
 本当は「オナニー」なんて口に出すのはすごく恥ずかしかったけど、強がって何でもない風に繕った。王子は目をぱちくりさせると、長いまつ毛に縁取られた目を細めて、にこりと笑った。
「いいよ」
 そして一瞬の逡巡すらせずに、あっさりと承諾したのだった。
 私はこの約束をひどく後悔した。このまま王子のことを無視し続ければなかったことにならないだろうか、どうすれば断れるだろうかと思考を巡らせたが、その日の放課後、終礼が終わってすぐ私の席に現れた王子は、「行こうか」と言って私の退路を断った。私は授業中ずっと憂鬱に過ごしていたのに、王子はわくわくしながら放課後を迎えたようだった。
 上機嫌な王子の背中を見つめながら歩いていると、私はいつの間にか王子の家にいた。どれくらい歩いたのかも、靴を脱いだ時にちゃんと揃えたのかも覚えていなかったが、ちゃっかりと王子の部屋のベッドに座っていた。
 王子は小学生の時から使っていると思われる勉強机の椅子に座って、私が自慰を始めるのを今か今かと待ちわびていた。ここまで来てやっぱり出来ないなんて言えない。けれどこの状況で自慰を始められないし、そんな気分になれないのも事実。自業自得なのに追い詰められていた私は、泣きそうになるのを堪えてだんまりを決め込んだ。
「委員長」
 それを見兼ねた王子は、椅子から私の隣に移動すると、私の顔を覗き込んだ。
「緊張してるね」
 私の手を取った王子の手はとても温かかった。私の手が冷えていたから、余計にそう感じたのかもしれない。王子は私の手を撫でながら、優しい口調で言った。
「オナニーじゃなくてセックスにしようか」
 その提案に、私はうんと頷いてしまった。引くに引けない場面で、自慰ではなくセックスをするという新たな選択肢が救いの言葉に聞こえたのだ。
 頷いたことを後悔する暇もなく、王子が私にキスをした。緊張して噤んでいた私の唇に、王子の柔らかい唇が触れただけのキスだった。それでも私はファーストキスに死ぬほどドキドキして、息が上がっていた。
「キスって気持ちいいね」
 照れもせずにそう言った王子は、また私にキスをし、ゆっくりと私をベッドに押し倒した。経験がないなんて嘘ではないかと疑うくらいスムーズに押し倒された私は、馬鹿みたいに興奮して王子のシャツにしがみついていた。
 私の身体に触れて徐々に興奮していく王子はなんだか新鮮だった。私の口の中を蠢く王子の舌の味や、吐息の温度はこの世で私だけが知っている。クラスでは目立たず何の特徴もない私が、問題児の王子とこれからセックスをするという事実は、どうしようもなく私を滾らせた。
 あっという間に全裸にされた私の上に王子が覆い被さる。恥ずかしくて、気持ち良くて昂って涙を流す私を見下ろして、王子は笑った。
「委員長ってそういう顔するんだ」
 色白の頬を上気させ、余裕なさげな顔をする王子に、私も内心「王子もそんな顔するんだ」と思った。
 前戯もそこそこに私の膣に陰茎を押し込めた王子の気持ち良さそうな呻き声。くちゃくちゃと鳴る粘着質な水音。全て現実味がなくて、頭がくらくらした。コンドームをつけることすら忘れるくらい夢中になっていた。
 イくほど気持ちいいわけではなかったけれど、セックスというのは中学生の私たちには刺激的な娯楽だった。それに王子は退屈していた。王子は自ら行動を起こして面白さを求めにいくくらい日々に飽き飽きしていたから、新たな娯楽に貪欲だった。そしてかく云う私自身も、本当は退屈していたのだ。特徴のある字を編み出して書くよりも、セックスの方が魅力的だった。
 それから私たちは爛れた季節を過ごした。私の両親は共働きで、一八時以降にならないと帰って来ない。王子の家も両親が不在なことが多く、場所に困ることはなかった。
 放課後にどちらかの家でセックスをして帰る。それが日常になった頃、王子が飽き始めた。それは私がようやく中イキ出来るようになってきた矢先のことだったので、これからだと思っていた私は裏切られたような気持ちになっていた。
 セックスとは、キスをして服を脱いで身体を触って、挿入して出す。文字に起こすとなんの変哲もない行為だ。しかし私は王子とするセックスが好きだった。あの綺麗な顔が私の胸や性器を舐めたりするのも、射精直前に荒々しくも甘い声を出すのも、教室では余裕綽々の顔が切羽詰まるのを間近で見られることも好きだった。しかし王子はあっさりと飽きた。それが許せなくて、私は王子を引き止めるのに必死になった。そして「提案」をした。すると王子は瞳に光を取り戻し、私との関係を継続させた。その時の私はあまりにも愚かで、これが悪手であることに気付かなかったのだ。
 最初に何をしたのか思い出せない。手足を拘束したり、目隠しをしたのが最初の方だった記憶がある。その時はまだ引き返せた。しかしそんな生温い行為ではまた王子が飽きると思って、危ない方へと歩み続けた。そうしているうちに王子からも「提案」してくるようになり、私はその全てを受け入れてしまった。
 王子が一番好きだったのは首絞めプレイだったと思う。首絞めと言っても、私の首の側面を手のひらで包み込んで圧迫するくらいで、呼吸が出来ないくらい強い力で締められるわけではない。しかし何回されても私は怖くて身の毛がよだった。舌の付け根から嫌な感覚がじわじわと身体に浸透していく感覚を、恐怖ではなく興奮だと思い込むようにして、私は王子にされるがまま抱かれていた。
「委員長って強がりだよね」
 酸素が足りなくてぼうっとしていると、王子がそう言った。首を絞めた後とは思えないくらい爽やかに笑う王子に、何故か私の胸はときめいていた。
「強がりで意地っ張りだ」
 大きく呼吸をする私を四つん這いにして、片手を私の顎の下にするりと添えた王子と姿見越しに目が合う。
「だから委員長がどこまで許してくれるか試したくなってきた」
 その言葉を聞いた私は、何故か少しだけ笑っていた。
 王子の好奇心は止まらなかった。
 王子は私が放尿しているところを見たいと言って、私にたくさんお茶を飲ませた。これだけは最後まで断ろうと思っていたが、王子が望むなら応えてあげたいと思う自分がいて、結局承諾してしまった。
「お風呂行こうか」
「え、トイレじゃないの……?」
「トイレだと見えないだろう?」
 お風呂場でスカートと下着を脱がされた私は、浴室に連れ込まれて座らされた。王子は乾いたバスタブのフチに足を組んで座り、私が放尿する瞬間をじっと見つめて待っていた。しかし人間の尊厳を失いたくなかったのか、数十分絶っても尿が出ることはなかった。たくさん水分を取らされたせいでおしっこをしたい気持ちがあるのに、一番最後のところで堰き止められる。身体は放尿を促しているのに、頭がそれを許さなかった。
「王子、無理、出ない……」
「うーん」
「ごめん、トイレ行かせて……」
「委員長なら大丈夫」
「大丈夫じゃない。もう出し方がわかんなくなっちゃって……」
「ずっと見られているのがプレッシャーなのかもしれないね。少しだけ向こうを見ててあげようか」
 私のことを凝視していた瞳がそっぽを向いたことで、強張っていた身体から少しだけ力が抜ける。出せば楽になる。自分にそう言い聞かせて、排泄のやり方を思い出していく。
「あ……」
 しょろ、と控えめに音が鳴ったのと、王子が振り返ったのは同じタイミングだった。
「う、あ……」
 途切れ途切れに出ていた尿が次第に勢いを増していく。これまでに感じたことのない快感から、身体が軽くイッているみたいにぶるりと震えた。排泄を気持ち良いと思った時点で、私は人として終わってしまった。
「う、うっ、ひっ」
 全てを出し切った私は、尊厳を失った羞恥心に苛まれて子どもみたいに嗚咽をもらして泣いた。そんな私の前にしゃがみ込んだ王子は、私の頭を優しく撫でてから、あやすように私を抱き締めた。
「頑張ったね、委員長」
 今度は安堵で涙があふれた。王子はシャワーで私の股を洗い流し、排水溝に向かって床も一通り流し終わると、柔らかいタオルで私の身体を拭いてくれた。幼稚園児のような扱いをされたが、不思議と嫌ではなかった。
 何故嫌ではなかったのか、答えは単純明快だ。私は王子と身体を重ねていくにつれて、だんだんと彼のことが好きになっていた。好きだから何でもしてあげたいし、喜んでほしい。王子が私に対して恋愛感情を抱いてないのはわかっていたけれど、私のことを少しでも特別に感じていてくれればそれだけでよかった。
 こんなことをさせてあげるのは私だけしかいない。そう思われたくて何でも許した。最初あれだけ渋ったオナニーだって、この頃には見せることに躊躇しなかったし、お尻の穴を弄られても構わなかった。だからどうか私から離れていかないで、とだけ願っていた。しかし中二の春から夏にかけて気温が高くなってきた頃、三門市に近界民が現れたことにより、私たちの関係は呆気なく終わりを告げたのだった。
 近界民のことが落ち着くと、今度は受験という問題が立ちはだかった。中二のクラス替えで王子とは別のクラスになっていたし、中三の時にはほとんど接点がなかったため、彼がどの学校を受験するのか知らなかった。しかし王子の学力であれば六頴館だろうと思って、志望校をそこに決めた。実際に王子は六頴館を志望校としていたようだが、どうやら面接で落とされたらしい。確かにあの王子がしおらしく善良な生徒として面接に挑む姿を想像出来なかったので、不合格になったのも納得だ。結局王子は三門第一へ、私は六頴館に進学し、それから高三の現在まで顔を合わせることは一度もなかった。
 正直に言うと、何度も連絡を取ろうとした。私の代わりが見つかる前に、もう一度王子と話がしたかった。しかし王子がボーダーに入ったと噂で聞き、そんな気も失せてしまった。きっと王子はもう退屈していない。退屈していないから、私のことも必要ではない。そう思ったのだ。
 ボーダーで活躍している王子に対して、私はあの頃と変わらないまま、自分の字を見返して、王子に「石みたいな字」と言われたことを思い返すだけの存在になっていた。
 高校に入って気になる男の子がいなかったわけではないが、王子以上に好きだと思ったことがない。クラスで仲良くしていた男の子に告白された時も、王子のことがちらついて結局断ってしまった。思い出を美化し過ぎている自覚はあった。それなのに数年間顔すら見てない相手を想い続けているなんて本当に馬鹿だと思う。私はいつまで王子に囚われ続けるつもりなのだろうとへこむ時もあった。
 私が勝手に想い続けているだけで、王子はとっくに私のことを忘れ、ボーダーで楽しくやっている。もしかしたら王子にお似合いの彼女がいるしれない。そう思うと胸が張り裂けそうで、あまり考えないようにしていた。

 暖かな陽気と、少し冷えた風が心地好い季節になった。数週間前まで街中はハロウィン一色だったが、今ではクリスマスカラーに移行している。この時期の日本はイベントが盛り沢山で忙しなく、ころころと色を変える。クリスマスの装飾が施された駅前を通り過ぎ、大型書店の中に入る。
 高校生活で得たものはあまりなかったが、唯一カリグラフィーという趣味を持つことが出来た。テレビで放送していた分冊百科のCMから興味を持って、初回は安いからと買ってみたのがきっかけだ。
 カリグラフィーはペンとインクと紙があれば出来るので手軽だろうと思っていたが、それぞれに膨大な種類があり、収集欲を掻き立てられる。それらをまとめて取り扱っている店舗は三門市内にはほとんどなく、唯一、本屋と雑貨屋が一体になっているこの店にだけコーナーがある。そのため暇があるとそこに出向いて、財布と相談しながら新しいインクを買うのが私にとっての癒しだった。
 前回見た時からずっと頭を離れなかったインクはまだ売っているだろうかとドキドキしながらコーナーを目指す途中、視界の端に見覚えのある後ろ姿が映った。ドキドキとはまた違う、心臓の内側から強く握り潰されたような感覚がして息が苦しくなる。おそるおそるそちらを見遣ると、外はねした栗色の髪の男の子の後ろ姿がそこにあった。
 あれは王子だ。だが彼が見上げているのは少年マンガのコーナーだった。中学生の時の王子がマンガの話をしたことなど一度もなかったし、部屋にもそれらしい本はなかった。でも王子も普通に高校生なのだからマンガくらい読むか。そんなことをぐるぐると考えながら、私は王子の後ろ姿を凝視した。
 どうか振り返ってほしい。そして私のことを見付けてほしい。自分から話しかける勇気がないくせに、都合のいいことを願う自分に呆れてしまう。
 王子のことをずっと見ていることも出来ずに、全く興味のない平積みされた月刊誌の表紙を眺めていると、王子が「あ」と言うのが聞こえた。
「羽矢さん、探してた本は見つかった?」
 ぶわ、と冷や汗が吹き出た。勢いでその場を離れたが、王子の元に駆け寄って来たのは明らかに女性だった。こんなベタな展開に自分が遭遇するとは思ってもみなかったので、悲しさを通り越して笑えてきてしまう。
 「羽矢さん」というのはおそらく王子の隊のオペレーターだ。ボーダーの公式サイトをよく見ているのですぐにわかった。あの王子が本屋について来るくらい仲が良い相手なら、私が付け入る隙はないだろう。そこで私は、王子と幾度もセックスしたにも拘らず、デートをしたことは一度たりともないことに気が付いた。
 コーナーに着いた私は、上の空のままお目当てのボトルインクを探した。ブルー系のインクにゴールドのラメが入ったやつだ。しかし目が滑ってしまい、なかなか見付けられない。そもそも、もうこの売り場にはないのかもしれない。泣きそうだ、と思った瞬間、私の背後からひょっこりと人影が現れた。
「髪が伸びたね」
 びくっとして振り返る。私の顔を見下ろす王子は、爽やかににこりと笑った。あまりにも突然だったので、瞳に溜まっていた涙がぽろりとこぼれる。商品に落ちたらまずいと思って慌てて棚から距離を取ると、王子は口元に微笑を湛えたまま私のことをじっと見つめた。
「話しかけられるの嫌だったかな」
「違っ、びっくりして」
「ぼくも驚いたよ。まさかこんなところで逢うなんてね。元気だったかい?」
「うん、元気、かな……」
 王子は後ろ手を組むと、私が見ていたコーナーを端から端まで視線でなぞった。その隙に涙を拭い取り、濡れた手をコートで拭う。
「インク?」
「うん。文字を書くのが好きだから」
「じゃあ今年は年賀状を送ってもらおうかな」
「え?」
「クリスマスカードでも構わないけどね」
 意味不明なことを言われて困惑していると、王子が何気なくインクの箱を手に取った。それは私が買おうとしていた同じシリーズのもので、それが置いてあった左隣に私の目当てのインクが置かれていた。
「な、何で年賀状なんて欲しがるの?」
「それは委員長の字が好きだったからだよ」
 箱を元の位置に戻した王子に、「こいつ……」と苛立ちを覚える。
「私の字のこと『石みたい』って言ったくせに」
「言ったね。『宝石みたいだね』って」
「え?」
 コン、という音と共に、歪な何かがスパッと割れたような感覚がした。私の疑問符に王子が首を傾げる。見つめ合ったまま数秒経ち、だんだんと言葉の意味を理解していく。
「石って、宝石ってことだったの?」
「正しくは『鉱物みたいだね』って言いたかったのかな」
 あの時王子は「宝石」だなんて言わなかった。王子に言われたあの言葉を一字一句間違えずに覚えているので、彼が記憶違いをしているのは間違いない。しかし王子の中では、あの「石」という言葉は褒め言葉として用いられたものだったのだ。そうだとわかった瞬間から、記憶が形を変えていく。
 喜びも束の間、すぐに私の気が落ちた。王子と関わるようになったきっかけの言葉が形を変えたからといって、王子としてきたことが変わるわけではないし、王子が私に興味をなくして連絡してこなくなったのは紛れもない事実だ。何故今日話しかけてくれたのかはわからないが、王子は私と過ごした日々のことも忘れてしまったのだろうか。
 ため息を押し殺して、欲しかったインクの箱を手に取る。
「ボーダー楽しい?」
「充実してるよ」
「なんで、私とのことやめたの……?」
「それはきみのことが好きだったからだね」
 さらっと言われたセリフに思考が停止する。
「……え?」
「正確には途中から好きになったっていうのが正しいかな。最初はただおもしろい人だなって思っていたからね」
「意味がわからない……」
 呆然とする私の手からインクの箱を取った王子は、何を考えているのかわからない笑みを浮かべながら通路を歩き出した。頭が真っ白のままその背中について行く。王子はレジに並ぶと、私が買おうとしていたインクを勝手に会計してしまった。それにも混乱して、私は導かれるまま店の外に出た。
「何、何で……」
「これで年賀状を書く気になるかと思ってね」
「違う、そうじゃなくて……」
 王子から渡された袋を受け取らずにいると、王子が目を細めた。
「ぼくが委員長のことが好きだから会うのをやめた話のことかい?」
「そ、それ……」
「委員長が何を考えていたのかわからないけど、これ以上ぼくに合わせて無理をさせるのは嫌だなと思ったんだ」
 かっと頭に血が上った。何だそれ、と怒鳴りつけてやりたい気持ちだったのに、口がはくはくと動くだけで声が出てこない。代わりに先程押し込んだ涙があふれてきて、私は店の前でぼろぼろと泣いてしまった。私が泣き出したのが想定外だったのか、私の顔を見て珍しく王子が慌てたような顔をしていた。顔が焼けるように熱い。
 暮れなずむ街の中に、乾いた音が小さく響いた。私に頬を打たれた王子は、目をまん丸にして言葉を失っていた。
「……かに……で……。馬鹿にしないで……!」
「……委員長、少し歩こうか」
 暴力を振るわれたとは思えない穏やかな声でそう言った王子は、私の手を取ると人気の少ない路地の方へ私を連れて行った。その間も私は俯きながら泣き続けていた。昔の王子だったら私に打たれた時点でどう仕返しをするか考えただろう。それなのに目の前を歩く王子は私を責めない。空白の数年間で王子は変わったみたいだった。それがとても寂しくて、さらに視界が歪む。
「うーん、どうしようかな」
 王子があまり困っていなさそうに呟く。こういうところが嫌いだ、と思った。そして同時に、やっぱりまだ王子のことが好きだ、と強く思う。王子も私も、あの時ちゃんと気持ちを伝えていたらこんな風にならなかったのに、と後悔が止まらない。
「確かに怖いこともあったけど、王子だったから嫌じゃなかった」
「え?」
「王子のこと好きだったから。だから……」
 ぴたりと王子の足が止まる。顔を見るのが怖くて俯いたままでいると、王子は掴んでいた私の手を離した。
「ぼくは今、委員長の言葉が過去形だったら少し悲しいなと思ってる。ぼくは今日まで委員長のこと忘れられなかったからね。でも迷惑かなと思って連絡をしなかった。……もし嫌だったら突き飛ばしてくれて構わないけど、抱き締めていいかな?」
 答えるよりも先に、王子の腕が私の背中に回された。王子のシャツから柔軟剤の匂いがしたが、数年前と同じものかどうかはわからなかった。
「やだ」
「ごめん」
「外じゃやだ……」
「……うん」
 絞り出した声は確実に王子に届いていた。王子は私の手を再び取ると、路地裏をうろうろと彷徨った。そして雑居ビルに紛れた施設を探し出すと、何も言わずに自動ドアをくぐった。
 こんな夕方からラブホテルに入れるのかと不安に思っていたが、それは杞憂だったらしい。王子は黙々と手続きを済ませ、私をエレベーターに乗せた。
 指定された部屋の中に入ると、王子が再度私を抱き締めた。中学の時、王子にこんな風に抱き締められた記憶がないため、やけに緊張してしまう。
 王子は私に髪が伸びたと言ったが、王子は随分と身長が伸びた。相変わらず線は細いけれど、しっかりと男性的だ。王子の背中に腕を伸ばすと、頭の上で小さくうれしそうな笑い声が聞こえた。
「さっきはビンタしちゃってごめんなさい」
 顔を上げて王子を見ると、私のビンタで唇が切れたのか、血が付着していた。さっと血の気が引いていく。
「ごめっ、唇、血……!」
「大したことないよ。痛くないし」
「いやっ、本当にごめんなさい。ティッシュか何か……」
 部屋のどこかにあるはずのティッシュを探そうとしたら、私の背中に回っていた王子の腕に力がこもった。動けず、おそるおそる王子を見上げる。
「本当は怒ってる……?」
「いいや。ただ、ティッシュじゃ少し味気ないなと思った」
 王子が口を閉じて笑ったせいで、切れた唇が強調される。何をねだっているのか理解してしまった私は、バクバクとうるさい心臓を宥めながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
「だめかな?」
 ずるい。自分が怪我をさせた手前断れないし、嫌じゃない自分が恥ずかしい。意を決して、王子の肩に手を置き、背伸びをする。
 下唇がわずかに触れた。ふにふにと柔らかい唇に入った切れ目を舌でなぞると、かすかに血の味がした。一度舐めただけでは拭い切れないと思い、舌を二、三回往復させる。これで大丈夫だろうかと背伸びをやめると、今度は王子が身を屈めて私にキスをした。啄むようなキスから、唇の裏側まで舐められるようなキスに変わる。
「キスって気持ちいいね」
 聞き覚えのあるセリフに、過去を追体験している気分になる。
「そうだ、これは先に言っておかないと」
「何?」
「改めて言うと少し照れるけど、ぼくは委員長のことが好きだ。だから付き合ってほしい。どうだろう」
 王子は微塵も照れていなさそうな表情で私と目線を合わせた。緑色の瞳に魅入られて、一瞬時が止まったように感じる。この緑色は何という名前なんだろう。エメラルドだろうか。それとも別の名前を持つ色なのだろうか。吸い込まれそうになったまま、言葉を紡ぎ出す。
「私たち、お互いのことあんまり知らないと思うけど、いいの?」
 王子は頷く代わりに口角を上げると、私をベッドに座らせた。柔らかすぎるベッドの上に押し倒され、深い口付けを交わす。私の歪な部分が削ぎ落とされていくようなキスは、数年間の寂寞を温かく包み込んでいった。
 頭や肩を撫でられながら舌を絡ませ合う。その間に唇を何度も食まれ、ほんのりと甘い唾液が私の唇を濡らした。
「はあ、はあ……」
 キスの主導権を握っていた王子は、私が大きく息を吸っている様子を見て薄く笑った。
「委員長のそういう顔を見るのが好きだったんだよね」
「顔?」
「そう。目が潤んで、どこか物欲しそうにする顔」
「……見ないで。電気消してよ」
「それは聞けないな」
「んっ」
 髪をかき分けられて、耳にキスをされた。私がぴくりと反応した後に、舌全体で耳を舐められる。
「やっ、あっあっ、あ」
 王子の舌が首筋に伝い、その間にシャツのボタンが外された。王子は昔から手先が器用で、あっという間に服がはだける。ブラジャーのホックを外されてシャツごと脱がされた私は、突然の羞恥に苛まれて胸を隠した。それを見た王子は愛おしそうに微笑むと、私の鎖骨を指でなぞり、肩にかかっていた髪を優しく払った。
 肩口を二、三回撫でられて観念した私は、王子の首に腕を回して彼の頭を抱き締めた。引き寄せられた王子は、私の胸の膨らみに幾度か口付けると、まだ柔らかい乳首を唇で啄んだ。
「んっ、ふ、あっ」
 じわじわと乳首が硬くなっていく。胸を寄せるように揉みしだき、尖った乳首に舌を這わせる王子のことを見ていると、ふいに王子が目だけを私に向けた。
「はあ、はあ、んっ」
 見せ付けるような舌使いに興奮して、呼吸に熱が伴う。王子の柔らかい髪を梳いたり撫でたりしながら胸を吸われていると、下半身に熱が集まってきた。意識したことで余計に熱くなり、触られてもいないのに入り口が疼く。触ってほしくて身を捩ると、王子はふふ、と笑った。
「王子……」
「そんな風に呼んでもだめだよ。もっと時間をかけないとね」
「んんっ」
 硬くなった乳首をこねられたり、爪でひっかかれる。かと思えば全体を円を描くようにして揉まれ、再び乳首をピンピンと弾かれる。王子が言う通り、じっくりと時間をかけて愛撫されて、もどかしさで気がおかしくなりそうだった。
「あんっ」
 ぢゅうっとわざとらしく乳首を吸われる。これまでで一番大きな嬌声が出てしまい、咄嗟に口を塞いだ。これは気のせいではないと思うが、身体の感度がかなり高くなっている。このまま胸を攻められ続けるとまずい。
「王子、もう胸っ、いいから」
 頭を軽く押して静止を促したが、王子は何を思ったのか、じっくりと乳首をなぶった後、早急に舌先を動かして乳首を転がした。
「ああっ、やっ、待って王子、それだめぇっ」
 緩急をつけながら攻め立てられ、呼吸がおかしくなってくる。子宮がキュンキュンと強く疼く。
「だめっ、ああっ、あっ!」
 腰がガクガクと揺れ、電流のような快感で脳が痺れた。どこかに飛んでいってしまいそうな錯覚に陥り、両手で枕を掴む。
 乳首でイくのは初めての経験だった。そもそもこんなにじっくりと胸を触られたことがないので、自分でも何が起こったのかわからない。混乱したまま荒い息を整えていると、王子がよいしょとベッドに座った。
「委員長と離れてから、あんな危ないやり方じゃなくて、もっと労ってあげたらよかったなって色々考えていてね。そのうちの一つが上手くいってよかった」
 やったね、と王子がピースサインを作る。この状況で一体何をやっているんだと呆然としたが、こういう独特なところに王子らしさを感じて、吹き出しそうになってしまった。
 王子は自分が着ていたシャツを脱ぐと、適当に畳んで邪魔にならないところに置いた。そして私のジーンズ、靴下、ショーツを順番に脱がしていく。
「触っていいかな?」
「うん……」
 私の返事に王子は頷き、指先を割れ目に滑らせた。滴ってしまうのではないかと心配になるくらい濡れそぼった秘部を王子の指が往復する。
「すごく濡れてるね」
「そういうのいちいち言わなくていいよ……」
 足を開いた時、ぐちゅ、と水音が鳴った。動くだけで音が鳴ってしまうくらい濡れるなんて、ここ最近ではなかったことだ。クリトリスはとっくに充血して膨らんでおり、王子に触られるのを今か今かと待っている。しかし王子の指は陰部の形をなぞるだけで、なかなかクリトリスを触ってくれない。もちろん辺りを撫でられるだけでも気持ちいいのだが、今の私には物足りなかった。
「ん……、あ……」
「ここヒクヒクしてる」
「あっあッ」
 穴の縁を撫でられ、身体がびくっと跳ねた。そのせいで王子の指が穴に押し当てられ、さらに身体が跳ねる。
「王子、もう触って……」
 我慢出来なくなり、両手で太ももを外側に開いて王子を誘う。王子は「まだ焦らしたかったんだけどな」と言いつつ、身を屈めて私の太ももにキスを落とした。
「王子、あ、あっ……」
 れろ、と王子の舌がクリトリスを撫ぜた。強い快感に腰が浮いてしまったが、王子は私の足を押さえ付けて、執拗にクリトリスを舐めていく。
「やっ、はあ、うそっイく、もうイっちゃ、イく、イクッ!」
 舐められてまだ数秒しか経っていないにも拘らず絶頂してしまった。痙攣する腰を掴んだ王子は、尚もクリトリスを舐め続け、私の理性を削り取ろうとしてくる。
「ひぁっ、あっ、やらっあ、きもちいっ、あ゛はっ!」
 さらに王子の指がぐちゅぐちゅと私の中をかき回す。
「あ゛〜っ、ひぐっ、ぅあっ、んいっ、イッてる、もういいっ、おーじ、やあっ!」
 わざとらしく指を引き抜かれた拍子に潮が飛んだ。王子はぐしょぐじょに濡れた指を舐め、ベッドの上に情けなく寝転がる私を見下ろした。
「少し休憩しようか」
「ん……」
 私を置いて備え付けの冷蔵庫を物色し始めた王子は、中から水のペットボトルを二本取り出した。そのうちの一本を差し出されて、「ありがとう」と受け取る。キャップを開けて水を飲むと、火照った身体の内側に冷たい水が浸透していった。
「気持ちよかった?」
「なっ……。見てたらわかるでしょ?」
「わかるけど、直接言われた方がうれしいからね」
「……気持ちよかったよ」
「それならよかった」
「あの、私もしようか?」
 何をとは言わなかったが、王子は私がフェラチオのことを言っているのだとすぐにわかったようだった。これまで私は王子に何もしてあげていない。それに休憩を挟んだことで多少萎えてしまっているはずだ。王子の太ももに手を置き、おそるおそる中心部に向かって滑らせる。すると、服の上からでもわかるくらいガチガチに勃った性器にたどり着いた。思わず手を引っ込める。
「ぼくも驚いてるんだけど、さっきから全然萎えないんだよね」
 キシ、とベッドが軋む。先程まで王子の方に身体を傾けていたはずなのに、気が付くと王子が私の方に迫っていた。無言の圧に思わず後ずさる。背中にクッションが当たり、これ以上退がれないところまで来ると、王子がベルトを外し始めた。ごくりと生唾を飲み込む。色白のせいで薄ピンク色に染まった性器をぶるんと露出させ、全裸になった王子がにっこりと微笑んだ。
「今日はぼくのことはいいから、もう挿れていいかな?」
 ベッドボードに置いてあったコンドームを装着しながらそう言った王子はゆっくり私を押し倒すと、私の片手に指を絡ませて繋いだ。恋人繋ぎに胸がきゅんとする。
「挿れるね」
「あっ……」
 迷いなく一発で穴の位置に亀頭をあてがい、ぐーっと押し込まれる。膣の中を王子の陰茎が突き進み、一番奥まで届かせると、王子はもう片方の手も繋いで私に覆い被さった。
「委員長の中、温かくてぬるぬるしてて気持ちいいね」
「だから、そういうの言わなくていいってば」
 王子の饒舌は昔と変わらない。しかし一つわかるのは、これは私を煽るために言っているのではなく、感じたことをそのまま口に出しているだけだということだ。
「委員長」
「ねえ、もうそのあだ名で呼ばないで」
「どうして?」
「名前で呼んで……」
 実のところ王子に本名で呼ばれた記憶がない。さすがに知らないなんてことはないだろうが、恋人になったのだからいい加減「委員長」呼びはやめてほしい。
「王子?」
 私の言葉にきょとんとしていた王子が何も喋らなくなってしまったので、手を握って反応を窺う。はっとした王子は、私の顔をじっと見つめると、ふいに照れたように視線を逸らした。
「もしかして、名前で呼ぶの恥ずかしいの?」
「そうかもしれないね」
 照れる王子なんてレアだ。むしろ初めて見た。とんでもないことをさらりと言ってのけるのに、名前呼びが恥ずかしいなんて小学生みたいで、逆にこっちも照れてしまう。
「こういうのはあんまりぼくらしくないな」
「そう、だね。本名で呼ぶのいや?」
「そんなことないよ」
 王子は突っ張っていた腕を折り曲げると、私の身体にぴたりと身体をくっつけた。
「名前」
 そして耳元で私の名前を呼んだ。
「あっ」
 ぎゅう、と膣が締まる。一度締まっただけでなく、その後も連鎖するように中がうねって、ぶるりと身体が震えた。
「そんな風にされると我慢出来なくなるけどいいのかな」
「っんあっ、あ! 王子、ああっ」
 揺すぶられ、膣の中を王子の性器で擦られる。
「あんっ、あ゛! はあっ、はあっ、んん゛ーっ」
 ぎゅー、と奥に押し付けられ、息が止まる。
「っはあっ、はあ、あぁ゛……、ッ、んあっ」
 気持ちいい。全く普通のセックスだというのに、今までした中で一番気持ち良くて脳が蕩けそうだ。手を離して王子の背中に腕を回す。
「名前、はあっ、好きだよ」
 気持ちいい、と呟いた王子の背中が熱い。打ち付けられる腰に合わせて、パンパンと鳴る音がどんどん速くなる。
「王子、好きっ、気持ちいい、あっあっ、んう、う゛ーっ、ふぅ、はあ、はあっ」
「ごめん、あんまり持たないかもしれない」
「いいっ、出してっ、私ももう、やっあっ、ああっ!」
 落下するような感覚のあと、ぞくぞくぞく、と快楽が競り上がってきて全身が震えた。膣内の陰茎をぎゅうぎゅうと締め付けると、王子は甘い唸り声に似た声を出しながら少し乱暴に抽送した。
「くっ……」
 強く抱き締められて、王子が射精したことを悟った。無防備な王子の背中を撫でていると、愛おしさで胸がいっぱいになる。好きな人とするセックスがこんなに気持ち良いだなんて知らなかった。娯楽だと思っていたのは、セックスをするに至る感情が欠けていたせいだ。例え途中から両想いだったとしても、一方通行では伝わらない。今日王子と再開出来て本当によかったな、と思いながら、少しだけ微睡む。

 王子は二回目を所望したが、時間があまりなかったため、今日の行為はここまでとなった。
 衣服を整えて、退室時間まで話をしていた時、ふと思い出してしまった。
「そういえば、今日王子って人といたよね。置いてきちゃって大丈夫だった?」
 さすがに「同じ隊の人といたよね」と言うとストーカーみたいになってしまうので、少しだけはぐらかす。
「ああ、クラウチと羽矢さんには『ちょっと行ってくるね』って言ったから大丈夫じゃないかな」
「蔵内くんってうちの生徒会長の……。って、『ちょっと』って、本当に大丈夫なの?」
 王子が携帯を取り出す。隣で何気なく画面を見ていると、着信履歴が数件入っているのが見えた。
「折り返した方がいいんじゃない?」
「いや、二人には次に会った時に謝るよ。それよりも次はいつ会える?」
「バイト入ってない時ならいつでも」
「じゃあ明日デートしよう」
「あ、明日?」
「映画でもどうかな」
 前のめりな誘い方に戸惑っていると、王子は相変わらずの綺麗な顔でねだるように私を見上げた。あざとい表情に心臓が跳ねる。
「きみとデートするのが夢だったんだ」
 一つ一つの単語をはっきりと言った王子は、今日一番の笑顔を私に向けた。なんて平凡な夢なのだろう。だがその言葉を聞いて、うれしくて思わず涙が出そうになる。
「そうだこれ。受け取ってくれるよね」
 インクが入ったビニール袋をぽんと膝の上に乗せられる。私は「うん」と頷いて、その袋をそっと抱えた。
 カリグラフィーが趣味だと言っても、書いたものを誰かに渡したことはない。キラキラと輝かせた文字たちは、引き出しの中に埋もれている。しかしこれからは王子の部屋で標本のように眺められる存在になる。そう思うとうれしくて、年賀状もクリスマスカードも書いてあげようという気になった。


20240111
「End &」書き下ろしの再録

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