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「お願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「うん、どうしたの?」

いかにも深刻そうに切り出した私に釣られて、たっくんが居住まいを正した。
長い付き合いなのでわかっていると思うが、私がこういう空気を持ち出す時は一割が大真面目、九割がくだらないことを言い出す時だ。けれど毎回一割の可能性にかけて真剣に話を聞こうとしてくれるたっくんに、毎度ながら惚れ直してしまう。
私はたっぷりと間を取ると、出来得る限り目を潤ませて両手を胸の前でぎゅっと組んだ。

「投げキッス、してほしいの……!」
「な、投げキッス……?」

困惑するたっくんに、私はぶりっこ路線でお願いしていたことをすっかり忘れ、武士のように力強く頷いた。

ことの発端は朝の情報バラエティー番組だ。ニュースも取り扱っているけれど、ほとんどエンタメに振り切ったこの番組は朝の支度をしながら見るのにちょうど良くてよく視聴している。
今朝もごはんを食べながら眺めていたのだが、ゲストとしてとある駆け出しアイドルが出演していた。そのアイドルはどうやら投げキッスでファンを魅力しているらしく、紹介VTRとして投げキッス十連発動画が流れたのだった。
投げキッスと言われてオーソドックスなものしか思い浮かばなかったが、その動画内で紹介された多彩な投げキッスを見た私は、食事も忘れてテレビ画面に釘付けになってしまった。決してそのアイドルに惚れてしまったわけではない。私の脳内では、大好きな彼氏であるたっくんが投げキッスをしてくれたら、という興奮でいっぱいになっていた。

「そんな事情があり、どうしてもたっくんの投げキッスを拝見したい所存であります」
「なるほど……」
「今日たっくんの家に来るまでに動画サイトにアップされたありとあらゆる投げキッス動画を見まくりました。たっくんには海外セレブ系投げキッスが似合うのではないかと。こちらをご覧ください」

たっくんの正面にタブレットを用意して、事前にスタンバイさせていた動画を再生する。たっくんは律儀にその動画を見てくれているが、なんだか落ち着かない様子だ。

「名前、さっきからどうして敬語を……?」
「お願いをする立場の人間が謙らなくてどうするんですか?」
「おお、いつになく真剣だね」

こういう反応をしてもらえた時、心からたっくんのことが好きだと感じる。傍から見たらアホくさいと感じるようなことも、私が真剣でいる限りたっくんも真剣に受け止めてくれるから、私はもうこの人意外の恋人は考えられない。
一通り動画を再生し終えて、タブレットの電源を落とす。一つ咳払いをしてから、私は背筋をぴんと伸ばした。

「では、お願いします」

横並びに座って向き合った私たちの間に緊迫した空気が流れる。たっくんがどの投げキッスを選んでくるか、ドキドキが止まらない。ごくり、と固唾を飲んでモーションを待っていると、「ちょっと」とたっくんが私から目を逸らした。

「そんなにまじまじと見られると恥ずかしいよ」
「何も恥ずかしいことはないです」
「いや……」

気恥ずかしそうにきゅっと唇を結んだたっくんにやましい気持ちが芽生えたが、ぐっと堪える。たっくんはふぅと息を吐くと、私の方をちらりと見て言った。

「そうしたら先に名前がやってみせてくれないかな?」
「へ?」

じ、とたっくんに見つめられて、私は怯んでしまった。この時さっと軽い気持ちでやってしまえばよかったのに、この一瞬の怯みのせいで投げキッスをすることがとんでもなく恥ずかしくなってしまい、私は「う、ええー……?」としどろもどろになってしまった。

「いや、私がしても、ねえ?」
「……恥ずかしいよね?」
「めっちゃ恥ずかしい! ごめんなさい!」

照れ隠しのためにわあわあと騒ぐと、ほっとしたのかたっくんの肩から力が抜けた。
私はなんてことをさせようとしてしまったのだろう。イコさんや米屋みたいなメンタルの持ち主ならともかく、本来一般人が投げキッスをするなんてとんでもなくハードルが高いことだった。
自分が投げキッスをしているところを想像して、ぶるりと震える。もはや投げキッスではなくカタパルトだ。ハートじゃなくて石つぶてを飛ばしてしまう。もちろんたっくんはそんなわけないのだが、自分がしたくないことを強要するのはよくない。そう思って、私は潔く諦めたのだった。



「それじゃあお邪魔しました」
「うん。またいつでも来て」

たっくんのご家族が帰ってくる時間なので、門の前まで送ってもらう。たっくんの家から自宅まではほんの五分程度で、なんなら直線距離でアパートが見えているくらい近い。なのでいつもさよならする場所はお互いの家の前だ。
たっくんも彼のお母さんも、いつも「夕飯食べて行けばいいのに」と言ってくれるが、来馬家でご馳走になると美味しいものが際限なく出てくる。そのおかげで一時期体重が六キロ増えてしまった。普通にやばい数値である。そのため、次にご馳走になるのはあと二キロ戻したら、ということになったのだった。

「また明日ね」

いつも通り手を振って踵を返すと、少しして「名前!」と呼ばれた。忘れ物でもしたかと思って振り返ると、意を決したような表情をしたたっくんが己の手の甲に口付けてから、私の方へ手を伸ばしたのだった。
それは紛れもなく、投げキッスだった。
来馬辰也の、投げキッス。

「たっくん!」

私は来た道を全速力で戻り、私の方に向かって飛んできたであろうハートをぱくりと飲み込んでから、海外ドラマのようにたっくんに抱きついた。飛びついた、の方が正しいかもしれない。

「名前、危ないから」
「もう今日帰らない! 一緒にいる!」
「わかったから、少し落ち着いて」
「むり!」

ぎゅうぎゅうと私に締め付けられているたっくんは未だに気恥ずかしそうで、だけど満更でもなさそうだった。
恋人からのサプライズにやられてしまった私は、その後ことあるごとに胸キュンに苦しめられてしまい、ご家族に大層心配をおかけしたのだが、それはまた別の話である。


20231102

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