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破城の続編

実家の片付けが終わり、市役所でマンションの譲渡手続きまで済ますと、いよいよこの身一つになってしまったのだと実感が湧いてきた。
やるべきことを一つずつ終える度、現実がどんどん迫って来るような恐ろしさを覚える。しかし逃げ続けたとしても事実は覆らない。ただ現状を粛々と受け入れていくしかないのだ。
家族がいないのも、実家がないのもボーダーでは珍しいことではない。家族を亡くして一人で生きている年下の隊員もいる。ボーダーだけではなく、三門市にはそういう人間がたくさんいる。
これからも、近界民の侵攻は続くだろう。また誰かが平穏を捻じ曲げられて、孤独になるかもしれない。それでもこの地に留まり、生きていくことを選んだ人々を守るために、今日も明日も、私は戦うと決めたのだ。

本部に引っ越して来てから半月ほど経ったが、一人暮らしは中々大変で、一日の間にやることが多すぎる。自ら望んで本部住まいをしている外岡くんは「慣れですよ」と言っていたが、元々自立していなかった人間が突然一人の生活に慣れるのは難しい。これまで何もしていなかったツケが、今になって回ってくるとは思わなかった。
洗濯は気を抜いていると干すのを忘れたり、逆に干しっぱなしにしてしまうこともある。朝起きられなくてゴミ捨てを逃がしたのも一度や二度ではない。こんなことになるなら、もっと家のことを手伝っておけばよかったなと、たらればに駆られることもしばしばある。
特に、本部住まいになって最初に困ったことは食事だった。実家で暮らしていた時に料理はほとんどしておらず、加えて部屋の簡易キッチンは狭くて使いづらい。自分一人のために料理をする気力も出ない。そのため基本的にはボーダー内の食堂を利用しているのだが、これがまた寂しい。親しい人がいれば一緒に食べるが、広い食堂に一人でいると、余計に自分が孤独なことを思い知ってしまう。
風間さんはそんな私に気が付いてくれて、本部にいる時は一緒に食べようと言ってくれた。その言葉を聞いた時、私は安堵したせいか泣いてしまった。寂しさと嬉しさがない混ぜになった涙だったが、風間さんは呆れることなく私が泣き止むのを待ってくれた。
風間さんのおかげで、私は随分泣けるようになってきていた。頼ってもいい存在が出来たことで、張り詰めていたものが緩んだのだろう。状況的に考えても風間さんを困らせるだけではないかと不安に思っていたが、風間さんはそんなことはないと断言して、私を抱き締めてくれた。

あの日の一件から、風間さんとお付き合いをしている。
私は以前から風間さんに憧れていたが、風間さんは私のことをあまり知らない状態だったので、恋人らしいことよりも先に、お互いを知ることから始めようということになった。
「何か質問はあるか?」
恋人同士の会話というより、質疑応答という言葉が相応しい物言いに風間さんらしさを感じながら、私はずっと気になっていたことを質問してみた。
「あの時、どうしてキスをしたんですか?」
そう問うと、風間さんは腕を組んでこう言った。
「好きだと思ったからだ」
涼しげな表情で、あまりにもあっさり言うものだから、私は「そうですか……」と照れてしまい、それ以上のことは何も訊けなかった。
風間さんはとても忙しい人なのに、私のために時間を割いてくれる。勝手な想像だが、恋人という精神的な繋がりがあるのだから、頻繁に会わなくてもいいと思っていそうなタイプだと予想していたので驚いた。今の私が特殊な環境にいるからそうしてくれているのかもしれないが、風間さんにはとても救われている。

   ●

自室でお茶の準備をしていると、来客を知らせるインターホンが鳴った。ドアを開くとそこには風間さんがいて、その手にはドーナツの箱が下げられていた。
風間さんからドーナツを買ったと連絡が入ったのは一時間ほど前の出来事だった。大学の知り合いから、手作りドーナツのお店を聞いたのだという。
今日は土曜日で、任務も非番なので荷解きをするつもりだと数日前から風間さんに伝えていた。だから私が部屋にいるのは間違いないと思ったのだろう。もう少し早く連絡をもらえたら部屋を片付けたのに、というレベルの散らかり方ではないが、せめてゆっくりする場所を確保しなければと片付けを進めて、頃合いを見計らってお茶を淹れていたのだ。
「待たせたな」
「全然ですよ。いらっしゃい」
風間さんは躊躇なく部屋に入ると、私が用意していたスリッパを履いた。自宅から持って来たもので、あの時貸したものと同じだ。風間さんはローテーブルの上にドーナツの箱を置くと、部屋をぐるりと見回した。
「もう少し片付いていると思ったが」
開けっ放しの段ボールや、配置が決まらない雑貨が床に転がっている様子を見て、風間さんが淡々と言う。確かに風間さんの言う通り、片付けはあまり順調ではなかった。実家から持って来た物を見るとやはり気が沈み、気疲れして昼寝をしたのだ。
「汚くてすみません」
「食べたら任務まで手伝おう」
「ありがとうございます」
実家のソファーはこの部屋には大きすぎたので、あの部屋に置いてきてしまった。取り急ぎ買った座椅子は一つしかないため、風間さんにはベッドに座ってもらう。先程淹れたお茶をローテーブルに並べて、ありがたく箱を開けると、箱いっぱいにドーナツが詰まっていた。とてもじゃないが、二人では食べ切れない量だ。種類は一つも被っていない。
「風間さん、こんなにたくさんどうすれば……」
「おまえの好みがわからなかったからな。好きなものを選べ」
そう言って風間さんはマグカップを手に取り、お茶を一口飲んだ。そういえば私たちはお菓子の好みさえもまだ知らないのだな、と思いながら、チョコレートがコーティングされたドーナツを取る。
「私はチョコレートが好きです」
「覚えておく」
「風間さんは?」
「何でも好きだ」
風間さんは手を伸ばすと、一番取りやすい位置にあったドーナツを掴んで頬張った。三分の一程がたった一口でなくなる。風間さんは見かけによらず一口が大きい。頬を膨らませて咀嚼している風間さんを横目で見ながら、私もドーナツを食べる。
チェーン店の商品と違い、手作りなので形に多少の歪さはあるが、生地は程よく甘く、ビターチョコレートのほろ苦さと合っていてとても美味しい。
「美味しいです。ありがとうございます」
「ああ」
生活を整えるためにわざわざ散らかした部屋の中で風間さんとおやつを食べていると、現実なのか夢なのかわからなくなりそうだ。いつまでもぼんやりしているわけにはいかないとは思っている。しかし制御出来ない感情の波が突然襲って来る。今、この時間が幸せだと感じていても、数分後にどうなるかわからない自分が怖い。
私のドーナツが半分になった頃、風間さんは二つ目を手にした。私はお茶を一口飲んで、風間さんを見た。
「風間さん、質問してもいいですか?」
「何だ?」
「人から聞いたんですけど、風間さんもお兄さんを亡くされてるんですよね」
「ああ。もう何年も前になる」
風間さんのお兄さんは、ボーダーの前身の組織に所属していて、戦いの最中に命を落としたと聞いた。風間さんがボーダーに入ったのは、そのことと関係があるのだろうか。しかしこれを質問したところで、一体何になるというのだろう。何でも質問していいと言われたが、しなくてもいいこともある。
「もう質問はないか?」
「えっと、もう一つあります」
赤い瞳が、私を見つめている。
「風間さんは、どうしてそんなに強くいられるんですか?」
問うと、風間さんはわずかに考える素振りをした。何に対しての「強さ」なのかを提示しなかったせいかもしれない。言葉を付け足そうかと考えていると、ふいに風間さんが口を開いた。
「そうなろうとした結果が付いてきただけだ」
「結果……」
「ああ」
とりとめのないことを話したような表情で、風間さんがドーナツにかぶり付く。私はそんな風間さんから目を離せずにいた。
風間さんの言葉が、胸にすとんと落ちてくる。風間さんの「強さ」とは、持ち前のものではなく、自分で作り出すもののようだった。
強くなろうと思って、強くなった。それなら私も、強くなりたいと思えば、風間さんのようになれるだろうか。
開け放った窓からすっと風が入り込むような感覚がする。レースカーテンから差し込む陽の光は、眩しいほどに明るい。
「風間さん」
「ん?」
「私、風間さんのことが好きです。なので、風間さんのことをもっと知りたいです」
突然の告白に、風間さんは目を丸くした。こうしてきちんと告白をせずにお付き合いが始まったので、改めて気持ちを伝えたいと思った。
「俺もだ」
ふ、と微笑む風間さんの柔らかな表情に、胸が温かくなる。つられて私も微笑んだ。

様々なものを失った街の中で、私たちの関係はこれから始まっていく。
自分で未来を作り出すのだ。


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