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もう自分の姿もよくわからなくなってきている。
毎日が退屈すぎて、日によってトリオン体の容姿を変える遊びがいつしか日常に変わった頃、わたしは生身でいることが怖くなった。
人間はゆっくりと老いる。毎日顔を見合わせていても、今日と前日に何の変化も感じられなくても、たしかに老いていく。微々たる変化の蓄積に気付かれたくなくて、わたしは劇的な変化を求めた。
わたしはあの人の母のように、娘のように、恋人のように姿を変えて、役割さえも全うする。

朝、わたしは母になる。
殺風景な部屋にある、寂しい机にぽつんと置かれたドライフラワーを生けた花瓶。ぽろぽろと落ちた花びらをそっと集めて、キッチンのゴミ箱に捨てる。
冷蔵庫で冷やしていた果物を手に取り、流水で軽く洗う。わたしが食べるぶんだけをカットして、透明なガラスの器に載せ、花瓶の横に置く。
洗い物を流しに置きっぱなしにするのはいやで、まな板と包丁を洗い、布巾でさっと拭いて片付ける。
わたしを整えるための作業を終わらせてから、仕事の報酬として買い与えてもらったサイフォンで、城戸のためにていねいな一杯を抽出する。
ミルにコーヒー豆を入れ、ハンドルに手をかける。粒は中挽き。熱を持たせないようゆっくりと、一定のリズムでハンドルを回す。深く呼吸をして、豆の香気を堪能しながら、一人、キッチンに立つ。
豆を挽き終えてサイフォンの準備をする時、わたしはいつも初めて作業をするような気持ちでいる。フィルターをセットする時も、フラスコにお湯を注ぐときも、今日が最後の一杯だと思って、心を込めて作業をする。
コーヒー液がフラスコに落下するのを眺めている頃、浅い眠りから目覚めた城戸はリビングに入って来て、しっかりしているけれど普段より覇気のない声で「おはよう」と言う。おはよう、という特別な響き。わたしも同じように返す。
カップにコーヒーをそそいで、城戸の前に出す。薄くくゆる湯気は、城戸が新聞を開くとふっと消える。そしてまた立ち上って、城戸の鼻先をかすめる。私は城戸の正面の椅子に腰掛け、まだ冷たい果物を食べる。
とても静かに、朝は始まる。

昼、わたしは娘になる。
界境防衛機関ボーダーという組織は歴史が浅いので、会議室には過去の栄誉を表するものなどは一切飾られていない。軍旗のようなものもなければ、歴代の幹部の写真もない。それはおそらく、この先もずっとそうに違いない。
会議室の天井は高く、背の低いわたしにはずいぶんと遠く感じる。部屋の一面にある大きな窓は一点のくもりもなく、どんな敵が来ようとも一目でわかる。
会議中、わたしはその窓の外をぼんやりと眺めたり、根付や鬼怒田にいたずらをしたり、忍田の膝に座ったり、唐沢からもらったお菓子を食べたりと、奔放な振る舞いを許されている。しかし最後には必ず城戸の斜め後ろに立って、あるいは座って、待機している。
つまらない会議が終わると、城戸とわたしは二人、会議室に残る。難しい顔でこめかみに指を当てる城戸に視線を集中していると、彼は横目でわたしを一瞥して、「来たまえ」と言う。椅子から立ち上がった城戸は、わたしの背中に軽く手を当て、退室を促す。わたしは城戸を先に歩かせて、部屋を出る前に一度、振り返る。
昼の空は美しく、青く澄み渡っている。

夜、わたしは恋人になる。
城戸が所持しているビデオテープのケースの背は、ずいぶんと色褪せてしまっている。一体どのくらいの間、日に当てられたのだろう。棚にきっちりと詰められたビデオテープを一本抜き取り、城戸とわたしはソファーに並んで古い映画を観る。
作られた物語、言葉、表情。作り物の話に、本物の感情を与えられる。わたしは日常の中であまり泣いたことがない。けれど映画を観て泣くことがある。不思議なことに、現実よりも、虚構に魂を揺さぶられる。
城戸は泣かない。何の感情も悟らせない横顔はテレビの光に照らされて、陰影が付けられるだけ。
城戸は映画が好きだ。わたしと共に観る映画を、好きだと思っていてほしい。こうして過ごした時間があったと、いつまでも覚えていてほしい。言葉を交わさずとも、心を通わせた日々があったと。
テレビの音だけがしている、夜。

城戸の頬は、年々痩けてきている気がする。柔らかい血管が浮き出た手の甲の皮は、わずかに薄くなっている気がする。白髪も混じってきている。傷。顔に走る一本の傷。今ではあの傷が、城戸を城戸たらしめる。
たった数年で城戸は変わった。いや、数日で城戸は今の城戸になった。
今の城戸は嫌いではない。貫かれそうなほどに鋭くて、叩いても響かない石のような彼の傍は、意外と居心地がいい。けれどわたしが大好きだった表情は、もう二度と見ることが出来ないだろう。
いつだったか、わたしが彼に「一緒にオースティン・パワーズが観たい」と言った時の、困ったような呆れたような笑い顔。あの顔がとても好きだった。わたしが観たいと言った映画はあまりにも下品でばかばかしいので、城戸の好みではないのは知っていた。だからこそ城戸と一緒に観たかった。口を開けて笑い合いたかった。彼のことが好きだったから。

わたしは城戸の母にも、娘にも、恋人にだってなれる。だがわたしが本当に望んでいる姿は、決して女の顔をしていない。
わたしはあの成り損ないの独眼竜のためなら、片倉小十郎にだって、五島黒にだって、燭台切光忠にだってなってやりたい。彼を補助し、征野へ運び、切っ先を振るわれるくらい、頼られる存在でありたい。そうなれる時間は限られているのに、城戸はわたしの寿命を緩やかに削り続ける。おそらく、わたしがわたしでいる限り、これからもそうなのだろう。

停滞しているのか前進しているのかわからない日々は、今日もなだらかに過ぎていく。
総司令室から出てきた三輪にちょっかいをかけてから、断りもなく部屋に入る。書類に目を通していた城戸は、無礼な客人を一瞥すると、すぐに視線を落とした。

「ノックくらいしたまえ」

開けた扉を二回ノックすると、城戸は書類の文字を目で追いながら「いいだろう」と呟いた。体裁を整えたがるのは昔からだ。パタンとドアを閉めて、部屋に足を踏み入れる。
座るところもないので、机の一角を簡単に片付けて腰掛ける。少し気に障ったようだが、城戸はわたしを咎めることなく書類仕事をこなしている。ボーダーの書類はほとんどデジタル化しているため、これは市や企業に送るものなのだろう。

「わたしも手伝いましょうか? サインはともかくハンコなんて誰が押しても同じでしょう」
「そんなことよりも、また勝手に出撃したと忍田くんから聞いたが」
「手が空いていたから出ただけですよ」
「後陣を育てる気はないようだな」
「わたしの後ろ姿から学んでもらえたらと。いつか見えなくなる背中ですもの」

ゴム印が紙から剥がれる。まだインクが乾いていないそれを端に置くと、城戸は次の書類に目を通し始めた。わたしの言葉に何の反応もないことが、わたしを焦らせる。

「だってたまに動かないと腕が鈍っちゃうじゃん! 護衛なんて一番つまんない」
「では今の任を解こう。これからは好きにしたまえ」
「やだやだ、見捨てないで」

慌てて机から下りて、城戸の背後に回る。椅子の背に体重をかけて城戸の仕事を邪魔すると、彼はため息を吐いて静かにペンを置いた。
城戸の手に自分の手を滑らせる。上からそっと握り込んで、骨をなぞる。城戸の手に武器はない。おそらくこれから先、城戸が武器を手に取ることはないだろう。城戸の指は戦場から遠退いてしまった。だからわたしは、城戸から役目を授かることでしか、彼の武器になれない。

「ねえ、わたしが一番なりたいわたしにはいつなれる?」
「まだその時ではない」
「わたし、不良在庫なんかじゃないよね」
「心配せずともきみの使い所は考えている」
「そう……」

今のわたしが一体どの姿なのか、わたしにはもうわからない。だからわたしは、まぶたの裏に理想の姿を思い描く。
城戸の骨張った指が指す方へ、跳ぶように駆ける。わたしから伸びる閃空はさながらモーセのように道を開き、主のために勝利をもたらす。
その姿は、まさしく。


20220514
タイトル×キャラ交換企画で書かせていただきました!

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