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「#幼馴染」のBL小説を読む
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諏訪洸太郎のこれまでの五年間は、麻雀で例えるならばリーチをかけている状態だ。いつまで経ってもアガり牌が手元に舞い込んで来る気配はなく、現状を変えようにも制約上手牌を変えられない。かといって流局も程遠く、アガり牌が来るまで惰性でツモ切りをし続けている。
一進も一退も出来ないまま、諏訪洸太郎はもうすぐ二一歳の誕生日を迎えようとしている。

濁点を煮詰めたような蝉の鳴き声を聞きながら、諏訪は木陰の下を選んで歩みを進める。木陰が途切れると目が眩むほどの西日が襲う。諏訪は目を細めながら、年々暑くなるな、と心の中でぼやいて、熱を持ったコンクリートで靴底を擦り減らす。
時刻はまもなく一八時になるところだ。夏特有の日の長さに苦しめられながら、諏訪は飲み仲間が待ついつもの居酒屋に向かっていた。自宅で夕食をどうするか考えていたところに、雷蔵から「いつもの店集合。名字が奢るって。風間とレイジもいる」と連絡が入ったのだ。諏訪はそれを見て、嫌な予感に眉を顰めた。
日頃、金がないと言って隙あらば他人に奢ってくれと甘える名前が、何でもない日に自らの意思で四人分の飲み代を奢るとは考えにくい。名前が他人に何かを奢る時は、非常に良いことがあったか悪いことがあったかの二択だ。どちらにしろその日の名前は荒れる。その世話をするのは決まって諏訪の役割だった。
今回その場にいなかった自分がわざわざ呼ばれたのも名前の面倒を押し付けるためだろうと諏訪はわかっていたが、暇を持て余していたし、何より行かないと余計に面倒なことになると二十歳を越えてからの諏訪は存分に思い知らされている。
居酒屋の暖簾をくぐると、冷えた空気が肌の熱を冷ました。店内にはちらほらと客がいるが、飲み始めたばかりなのか、素面に近い客が多い。それなのに、店の奥の方はやけにうるさい。諏訪はテーブル席の客たちを横切り、賑やかな方向へ向かう。
いつも通される座敷には、レイジ、風間、雷蔵、名前の姿があった。少なくとも三十分以上前から酒盛りを始めていたことがわかる。
諏訪は心の中で「めんどくせぇ」と嘆きながらも、彼らに近付いて行った。

「うーす」
「お、来たか」
「諏訪ぁ、遅い! 始めちゃったよ!」
「おめーが早ぇんだよ」

だんっとジョッキを机の上に置いた名前が、やや据わった目で諏訪をじろりと見上げた。二杯は飲んでるな、と思いながら、諏訪は靴を脱いで空席だった名前と雷蔵の間に座る。
このメンバーで飲む時の定位置は決まっている。奥から名前、諏訪、雷蔵。向かいに風間、レイジだ。酒が入ると問題を起こしやすい二人を通路から隔離していたところ、この並びに落ち着いたのだった。

「急に呼び出されたわりには早かったな」

一人でラーメンを抱えて食べていた風間が顔を上げる。こちらもやや目が据わり始めているため、名前につられて早いペースで飲んでいるらしかった。

「ちょうど外出ようと思ってたとこだったンだよ」
「いや全然遅いし、間に合ってないし」
「うるせー。これでもくらいやがれ」
「ふがっ、あー溢れた!」
「すぐ渇くっつの」

お冷を口元に押し付けられて抵抗したために、名前のシャツに少量の水が溢れる。隣で喧しく「謝って!」と諏訪の肩をぽかぽか叩く名前を軽くあしらいながら、諏訪は従業員を呼び止めて生ビールを注文した。

「で、今日は何の集まりだ?」

レイジから差し出された箸を割りながら、諏訪はテーブルを囲む面々の顔を見回した。すると、未だ諏訪に謝らせようとしていた名前が突然感極まったように泣き始めた。怒ったり泣いたり忙しいな、と呆れながら、身体を名前の方に向ける。

「ううっ、本日はトップスピードドームライブ発表おめでとう後夜祭にお越しいただき、まっまごどにありがどうございまずぅ、う゛うー乾杯!」
「まだ来てねーよ!」

一人ジョッキを天高く掲げる名前に諏訪がツッコミを入れる。しかし風間、レイジ、雷蔵はジョッキを持つ気配がなく、彼女を無視して各々料理を食べたり談笑していた。

「ノれよあんたたち! 誰が金出すと思ってんの!」
「はいはい、乾杯。ドームおめでとう」

雷蔵が枝豆を食べる片手間に名前と自分のジョッキを合わせる。それでも彼女は満足したのか、うふふと笑うと、風間とレイジのグラスに自らジョッキをぶつけにいった。

「どうせそんなことだろうと思ったぜ」

店員が持って来た生ビールを受け取りながら諏訪が呟く。
名前は中学生の頃から『トップスピード』というアイドルグループを追いかけている。当時はデビューしたばかりで知名度がほとんどなく、メディアの露出もなかった彼らだが、最近はメンバー単体でテレビ番組に出演したり、深夜アニメの主題歌が決まったりと、地味に人気が出てきているようだった。
諏訪はテレビで活躍する彼らを一切見たことがないが、名前が勝手に知識を入れてくるので、メンバーの名前を覚えている。

「デビュー当初からずっと目標にしてたハコでライブが決まったの〜嬉しい〜。諏訪も乾杯しよ」

嬉し涙を拭いながら差し出されたジョッキに、諏訪はやれやれとジョッキをぶつけた。渇き切った喉に一気にビールを流し込む。キンキンに冷えた液体が喉を通っていく感覚に、諏訪はくうっと目を細めた。

「そしてはい、CD。全人類に聴いてほしい」
「いらん」
「風間! あんたこの前よりによって二宮にあたしがあげたCD横流ししたでしょ! 返却されたんだけど!」
「いらんと言ったのに押し付けるからだ。必要な数だけ買え」
「チケット当てるのに必要な枚数買ってるんですけど!」

名前はそれぞれの目の前に開封済みのCDを二枚ずつ積み上げ、ちゃんと持って帰れと圧力をかけた。ついでに二宮から返却された前回のシングルも風間の前に積み重ねる。その隙に雷蔵はレイジのカバンを手繰り寄せ、すっとCDを忍ばせた。

「おい、俺のカバンに入れるな」
「玉狛の後輩にあげなよ」
「雷蔵あんたも!」

ぎゃあぎゃあとうるさい名前にため息を吐き、諏訪はCDを一枚手に取った。
いい加減見飽きた『トップスピード』という売れなさそうなグループ名と、五人のメンバーの顔。CDが発売される度にこうして押し付けられるので、諏訪の家には彼らのCDが一通り揃っている。一度も聴いていないし、何度捨てようと思ったかわからない。だが諏訪はそれらを捨てられずにいる。

「とにかく今日はお祝いだから飲も飲も〜!」

ただでさえ日頃からテンションが高い名前が、ほろ酔いで上機嫌に笑った。それが諏訪にとっての憂鬱の始まりである。

名前は酒が好きなわりにそこまで強くない。その上とんでもなく酒癖が悪い。呂律が回らなくなるのは当たり前。気持ち悪くなってトイレで吐くのも当たり前だ。さらにひどいのは、くだを巻いたり理性を飛ばすことだった。これに風間が加わることで手に負えなくなる。このメンツで飲む場合、風間の世話をレイジが、名前の世話を諏訪がするのが定番になっていた。
時刻は二二時を迎えようとしている。酒が進んですっかり出来上がった風間は、真っ赤な顔でしばらくぼうっとしていたかと思えば、ふいに膝立ちをして視線を集めた。何だぁ、と諏訪が様子を窺っていると、ふいに風間は自分のTシャツをまくり上げた。

「俺の鍛え抜かれた腹筋を見ろ」
「いきなり何なんだよおめぇは……」
「俺への当て付けだろ」
「雷蔵、おめぇはちっとは痩せろ」
「おい風間、いいから腹をしまえ」

座敷は仕切りで遮られているものの、通りかかった他の客に見られる可能性がある。風間の小柄ながらもバキバキに割れた腹筋をしまうようレイジが諫めていると、それを見ていた名前がジョッキを置いて一歩下がった。

「あらしらっれまけにゃい!」

そして着ていたシャツに手をかけて服を脱ぎ始めた名前に、諏訪がビールを吹き出す。負けないと言うわりには全く割れる気配のない剥き出しの腹と、今にも見えてしまいそうな下着に諏訪は慌てて名前の手を掴んだ。

「バッカヤロウやめろ! おめー店でそれはマジでタチ悪ぃぞ!」
「はなせすあぁ!」
「じっとしてろ!」
「まけうわけにはいかにゃいんだぁ! ドームライブなんだあ!」
「勘弁しろよ……」

うごうごと暴れる名前の腕を押さえ付けながら、諏訪は天を仰いだ。
こうした名前の奇行は珍しいことではない。そのため、脱衣しようとしたこと自体に今更驚きもしない。実際に以前諏訪のアパートでの宅飲み時に、暑いと言ってTシャツを脱いだことがあった。その時、近くにあった自分の上着を押し付けて名前を廊下に追い出したのは諏訪だった。大人しく服を着るまでリビングには入れないつもりだったが、しばらくしても帰って来ないので様子を見に行くと、名前は上着を抱きしめて廊下で寝ていた。そんな彼女に服を着せてベッドまで運んだのも諏訪だった。

「見てねーで手伝え」
「その役目は諏訪しか無理だからなー」
「だな」
「ちっ、やっぱりめんどくせーことになったぜ。おい名字、ほら飲め酒だ」
「うむ!」

そう言って諏訪はただの水を名前に飲ませる。酒だと信じて疑わない名前は水を一気に飲み干すと、疲れたのか急にうとうとし始めた。

「こいつもこんなになっちまったし、そろそろ帰ろうぜ」
「そうだな。風間、帰るぞ」
「む……。ああ」
「おい名字、支払いどうすんだ?」
「んん、クレカ……」

諏訪は名前のカバンからサイフを取ると、伝票を持ってレジに向かった。諏訪はこのメンバーの中で唯一名前のクレジットカードの暗証番号を知っている。本来ならばあまりやりたくない行為だが、彼女が泥酔してまともに立っていられない時に代わりに支払いをしていたため覚えてしまった。
彼女の身の回りのことで知らないことなど、もうほとんどない。
会計を終えて先に店の外に出ると、むっとした空気がクーラーで冷えていた身体にまとわり付いた。暑く湿った空気の中、外に設置されている喫煙所に向かう。ようやく訪れたひと時の静寂に浸りながら、タバコに火をつけてゆっくりと吸う。
蛾が外灯に弾かれる音を聞きながらぼんやりしていると、トイレに寄っていた名前が雷蔵に連れられて店から出て来た。諏訪はタバコを灰皿に沈めて、名前のカバンを雷蔵から受け取る。それにサイフをしまいながら、彼女の顔を覗き込んだ。

「名字、帰んぞ。吐き気は?」
「まだない……」
「絶対ぇ早めに言えよ」
「うぃ」

程なくして風間がレイジに連れられて店から出て来た。人数が揃ったので、酔っ払いの歩く速度に合わせて帰路につく。

「そういや諏訪、来週誕生日だな」
「あぁ? ああ、まあな」
「今年も名字と? 長いよなー」
「祝ってもらうようになって何回目になる?」
「三、いや、四か? いちいち数えてねぇよ」
「相変わらず仲良いな」
「んないいモンじゃねぇ。こっちは利用されてるだけだっつの」

諏訪の肩に掴まって歩いている名前を横目で睨み付ける。名前は諏訪の視線には全く気付くことなく、半分眠っているような状態だ。時々ふらついて寄りかかられ、その度に諏訪は名前の身体を支えてやる。成人して酒を飲むようになってからずっとこんな調子なので、周りの人間も諏訪の甲斐甲斐しさに慣れてしまっていた。

「んじゃ俺はこいつ送ってから帰るわ」
「ああ、頼んだぞ」
「おー。じゃあな」

分かれ道に入ったので、ひらりと手を振って三人と別れる。
幸いなことに、ここから名前の家は近く、途中にコンビニがある。名前が泥酔した日はそのコンビニで水を買い、家に送り届けるのが一連の流れだ。
名前の不規則なヒールの音が夏の夜に響く。いい加減酒の飲み方を覚えさせないといけないと思うものの、飲んでいる時の楽しそうな顔を見ると本気で注意することが出来ない。今日のように自分がいる時に泥酔するぶんにはいいかと、なんだかんだで名前を甘やかしてしまう。
酒絡み以外でも、こうしたことを何年もしている己に、諏訪は自分でも呆れていた。このままではただの都合のいい相手だ。そうわかっているものの、なかなか抜け出せない。手を引いてしまったら今の自分のポジションに他の誰かが落ち着くかもしれないと考えると、余計に離れられなかった。

「コンビニ着いたぞ。便所寄るか?」
「へいき……」
「じゃあここで待ってろ」

駐車場の前に設置されているバーに名前を置いて、諏訪は水を二本とタバコを一箱買う。支払いは名前のサイフからだ。こうして送ってやる時は、タバコを一箱奢ると名前と約束をしている。
ビニール袋を下げてコンビニを出ると、名前が蹲っていた。瞬間的に「吐く」と思った諏訪は、ビニール袋の中身を全て出すと、袋を名前に持たせた。名前はえずいただけで嘔吐を堪えたが、苦しそうな顔をしている。諏訪はペットボトルのキャップを取ると、ほらよと名前に手渡した。

「水飲め。ったく、こうなんのわかってんだろ」
「ううー、ごめん……」

溢さないようにゆっくりと飲んで、名前が一息つく。涙が滲んだ瞳にコンビニの外灯がきらめくのを、諏訪は静かに見つめた。

「歩けっか?」
「うん」
「袋持ってろよ」
「はい……」

情けない顔で諏訪の後ろをついて来る名前に、諏訪は「ったく」と心底呆れた声を漏らした。
名前を労わりながらなんとかアパートまで到着し、鍵を開けてやる。玄関の電気をつけると、諏訪はカバンと水を置いた。

「じゃあ帰っからな。鍵ちゃんとしろよ」
「まって、すわ……」
「あ?」
「あたし、あした任務、七時起き……。アラームじゃぜったい起きられない……。起こしに来て……」

真っ青な顔でそう言うと、名前は諏訪に自宅の鍵を差し出した。反射で受け取ってしまったが、諏訪が「はあ?」と片眉を上げる。

「ンでてめぇを起こしに来んのに俺が六時起きしなきゃなんねんだよ、ざけんな」
「じゃあ泊まって……。あたしは寝る……じゃ」

名前はそう言い残すと、寝室のドアをばたんと閉めてしまった。玄関に一人取り残され、諏訪は思わずその場に蹲って項垂れる。

「こっちの都合は無視かよ……」

確かに明日は休日だと飲み会の際に話していた。だとしても勝手すぎる。だが名前は部屋に消えてしまった。
諏訪は仕方なく靴を脱ぐと、玄関に置き去りにされたカバンと水を持ってリビングに足を踏み入れた。アイドルのポスターやグッズで埋まる壁と、カラーボックスの中にぎっしり詰まっているCDやライブのDVD。見る度にいくら使ったのかと想像してしまうが、毎月これのために頑張っているのだと嬉しそうに言う名前の顔が浮かんだ。
エアコンの電源を入れて、水を一口飲む。寝室から物音がしなくなったため、名前が本当に寝たことがわかった。勝手知ったる家の中を、諏訪は自由に動き回る。
諏訪はベランダでタバコを一本吸うと、名前に昔奪われたTシャツをクローゼットから取り、シャワーを浴びた。風呂から上がる頃にはリビングも涼しくなっており、冷蔵庫で冷やしていた水を一気に飲み干す。
名前の水を持ち、寝室のドアを開ける。枕元にペットボトルを置くついでに、寝ゲロをしていないか確認する。今夜は平気らしい。ぽかっと口を開けた名前の間抜けな寝顔を見て、諏訪は内臓が出そうな程に深いため息を吐いた。
女なんかいくらでもいるはずだ。少なくとも酒癖が悪くなくて、もっと人に遠慮をする女は。自分勝手で、付き合っていない男にここまでさせる女の方が珍しいくらいだ。
諏訪は名前の部屋のエアコンをつけ、ベッドの下に落ちていたタオルケットをかけてやると、物音を立てずに寝室の扉を閉めた。そして廊下にある押入れに入っていた来客用のタオルケットを引っ張り出すと、アラームを六時五十分にセットし、電気を消してソファーに横たわった。

諏訪洸太郎は、名前に想いを寄せてからとうとう五年目になる夏の夜も、彼女の自宅のソファーで一人眠りにつくのだった。


20220311

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