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人気のない昇降口で靴を履き替えて、階段を上がる。放課後特有の、人の気配はどことなくあるのに、誰の姿も見えない学校を、日佐人は懐かしいと感じながら進んで行く。
ボーダーの任務終わりにわざわざ学校に寄ることになってしまったのは、明日提出しなければならないプリントを机の中に忘れてしまったためであった。宿題であれば明日の朝に半崎のものを写せばよかったが、今回は保護者のサインが必要な書類のため、そうもいかない。忘れたのは自分が悪いとわかっているものの、ただでさえ任務終わりで疲れているので、その足取りは重い。
すっかり日は傾いて、野球部の終礼がグラウンドから聞こえてくるような時間だ。日佐人はボーダーに入る以前は、運動部に所属していた。部活が終わって帰る時の景色はこんな感じだったなと思い出しながら、C組を目指して歩みを進める。
教室に入ろうとしたところで、ふいに女生徒の声がして、日佐人はどきりとして立ち止まった。誰もいないと思っていた教室に生徒がいたこともだが、なにより女生徒が日佐人の名を挙げたのが聞こえたのだ。どうやら教室には二人の女生徒がいるらしく、楽しそうに会話をしている。
日佐人は自分の名前を聞き取れただけで、それ意外の単語を拾うことは出来なかった。全く意識していない時でも、自分の名前が呼ばれるとわかってしまうのは何故だろうと日佐人はため息を吐く。聞こえなければ、すっと教室に入って目的の物を回収出来た。しかし少なからず自分の名前が挙がった直後に突然教室に入るのは憚られた。
とりあえず中の様子を確認しようと、日佐人はC級隊員時代に行っていた隠密行動訓練を思い出しながら、静かにドアの窓から教室の中を覗く。

「(オレの名前読んだの、名字だ)」

全く違う声質の二人だったため、顔を見てすぐにわかった。名前ともう一人の女生徒は、ジャージ姿で机の上に座って足をぶらぶらさせている。部活用のエナメルバッグを肩から掛けているため、帰宅直前のようだ。
日佐人はどうしたものかとその場にしゃがみ込んだ。このまま隠れて待つか。だが二人がいつ帰るのかわからないし、早く帰宅したいという思いがある。
日佐人は少し考えて、足音を立てないようにA組の教室の前まで戻る。そしてそこから、わざと足音が目立つようにして廊下を駆けた。学校が閉まりそうなので、急いで教室まで来たという設定を生み出したのだ。
ガラッと教室のドアを開けると、足音を聞いていたらしい二人が日佐人を見ていた。日佐人の顔を見て目をまん丸にした名前に対して、隣の女生徒は名前を横目で見ながら薄らと笑っている。二人が良い話題で日佐人の名前を出したのか、悪い話題で出したのかは表情からは読み取れなかった。悪口を言われていたなら気まずいなと思いつつ、日佐人はすっと息を吸い込むと、二人に笑顔で話し掛けた。

「あれ、まだいたんだ。部活終わり?」
「そー。笹森はどうしたの?」
「明日提出するプリント取りに来た」
「そうなんだ。おつかれ」

いつもより素っ気ない口調の名前に、日佐人は一刻も早く教室を出たくて堪らなくなっていた。一挙手一投足を見張られているような心地で机の中に入っていたプリントを引っ張り出していると、突然「名前、がんばれ!」と言いながら女生徒が勢い良く教室から出て行った。取り残された名前は、「ま、待って!」と手を伸ばすが、そこにはもう女生徒の姿はない。
静まり返った教室で、日佐人と名前の目がゆっくりと合う。

「あ、えっと……」
「な、なんだよ……」

明らかに挙動不審な名前につられて、日佐人もしどろもどろになってしまった。一体何を言われるのか、緊張で鼓動が速まる。
日佐人と名前は、小学一年生から現在に至るまでずっと同じクラスだった。小中と同じクラスだった人間は名前の他に二人いたが、一人は三門市から引っ越し、もう一人は別のクラスになった。日佐人と名前は、高校まで同じクラスになるなんてすごいねと、高校の入学式の日に二人で話していた。
ずっと同じクラスだからといって、休日に遊んだりするような仲ではない。あくまでクラスの中で仲が良いという存在だ。そんな名前が、一体自分に何の用なのかと、日佐人は固唾を呑む。

「あ、いや、その。笹森ってさ、最近何か、前と違うなぁって」
「へっ?」

予想外の角度から話題を出されて、すっとんきょうな声が出てしまった。それを聞いた名前は、はっとすると、わたわたと手を動かしながら言い訳するように口を動かす。

「や! なんか、大人っぽくなった、みたいな!? ほら、私たちって小学生の頃からずっと一緒じゃん。だからなんか、最近の笹森に良い意味で違和感あって」
「それ褒めてるのか……?」
「褒めてる!」

食い気味で言う名前に、日佐人は「ならいいけどさ」と照れながら返す。
先程の会話は悪口ではなく、今と同じようなことを話していたようだと日佐人はほっとして、身体から力を抜いた。

「この前大規模侵攻あっただろ。その時に色々あったから」
「そうなんだ。笹森、ボーダー隊員だもんね。すごいよ」
「まだまだだけどな」

はは、と笑う日佐人に、名前はぶんぶんと首を振る。
変わったと言えば、名前もそうだと日佐人は思った。小学生の時はもっとボーイッシュな雰囲気だったが、いつのまにか髪が肩口まで伸びている。部活で日焼けした肌は相変わらずだったが、本人はそれを気にしているらしく、「美白になりたい」とぼやいていたのを以前聞いた。だが日佐人は、名前の日焼けした肌が嫌いではなかった。そうなるまで努力した証だと思うし、健康的でいつも元気な名前に似合っていると思っていた。
頭の中で「脱線したな」と呆れながら、プリントを鞄にしまう。

「名字は帰んないの? オレもう行くけど」
「えっ、あ、ちょっと待って。……あのさ、笹森って、彼女とかいたっけ……?」
「え。いや、いないけど」

素知らぬフリをして答えたが、日佐人は気付いてしまった。名前の忙しなく動く指先も、泳ぐ視線も、赤くなった頬も全て、自分に向けられた好意であるということに。

「あ、そうなんだ。ほら、笹森と同じ隊の瑠衣ちゃん。めちゃくちゃ可愛いじゃん。私瑠衣ちゃん出てる雑誌買ってたし」
「おサノ先輩は別にそんなんじゃ」
「でも、近くにあんなに可愛い人がいたら他の人とか比べちゃうじゃん」
「あのさ、名字だって可愛いだろ」

急に自分を卑下し始めた名前にかちんときてしまった日佐人は、少しだけ強い口調でそう言った。刹那、名前が動揺してよろけた。机と椅子をなぎ倒す勢いに、日佐人は反射的に名前に手を伸ばして腕を掴む。

「セーフ……」
「ご、ごめん。ありがと」

日佐人に引っ張られて体勢を持ち直した名前は、耳まで赤くしたまま俯いている。日佐人もようやく照れが追い付いて来てしまい、今の状況に顔を赤くした。

「さ、笹森、あの、ね。私、好きなの、笹森が」
「……うん」
「付き合うとか、その……。や、忙しいよね! ごめん、帰ろ!」
「ちょっ!」

教室から出た名前は、直線の廊下を駆け出した。名前が本気を出していたらもっと速いはずだが、なんとか追い付ける速度だ。日佐人は名前の後を追いかけると、どうにか手首を掴んで動きを止める。日佐人の顔を見られないのか、名前は前を向いたまま息を整えていた。

「それはずるいだろ」
「だって今日告るつもりじゃなくて。近々って話してたら笹森、急に来るんだもん。焦った」
「ごめん」

悪いとは思っていないが、ひとまず謝ってみる。ううん、と首を振った名前の髪の揺れが小さくなるのを見て、日佐人はゆっくりと手を離した。

「返事、聞いてくれよ」

静かなトーンで放たれた日佐人の声が、廊下にすっと溶けていく。
次に目が合った時に、返事を伝える。そう決めて日佐人は名前が振り返るのを待っていた。名前は肩を強張らせていたが、やがて観念したのか、ゆっくりと振り返った。伏せられていた目線が、戸惑いがちに上がってくる。涙の膜が張っているその瞳には、緊張しつつ、意思を固めた面持ちの日佐人が映っていた。


20211212

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