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隠岐くんはきっと自覚していると思うけれど、私はあえて気が付かないふりをして、隠岐くんのことを見つめ返した。
隠岐くんのたれ目はふにゃりと緩んで、眉は困ったように八の字を描いている。つるりとした頬は鴇色に染まり、口元は微笑を湛えているものの、若干の緊張が窺えるくらいに強張っていて、いつものふんわりとした印象とは掛け離れていた。それは「また予定が合う時に、二人でどっか行きませんか?」というたった一言を絞り出すための表情だった。

「……また?」
「あーいや、暇やったら〜くらいで、全然です」

ゆるゆると力のない手を振りながら「ほんまに」と付け足した隠岐くんは、あはは、と少し諦めたように笑った。誘いを断るつもりはなかったけれど、少し気になることがあって、おずおずと尋ねる。

「あの、隠岐くんと私って、お出掛けしたことあったかな?」
「うん?」

私が首を傾げたのに釣られたのか、隠岐くんもきょとんとした表情で同じ方向に首を傾げた。その仕草が大きい小動物みたいだなぁなんて思っていると、隠岐くんははっと目を開いて、サンバイザーのつばをちょんと摘んで照れ臭そうに微笑んだ。

「あらら、これ方言なんかな。今のは『今度』って意味です」
「あっ、そうなんだね。ちょっとびっくりしちゃった。お出掛けね、いいよ。行こっか」
「ほんまですか?」

頷くと、ほっとしたのかゆるゆると表情が解けていつもの隠岐くんに戻った。そして無意識なのかわからないけれど、「緊張したわ」と胸に手を当ててへにゃ、とするものだから、私はニヤけそうになる口元を必死に堪えて、何にも気付いてないですよ、という顔でそれを聞き流す。

「ほんなら夜連絡しますわ。どこ行きはりたいか考えといてくださいね」
「わかった。待ってるね」

手を振ると、隠岐くんはぺこりと頭を下げて、心なしかうきうきしながら演習場を出て行った。完全に姿が見えなくなったところで、身体から力が抜けてしまった私は人目も憚らずしゃがみ込む。頬に手を当てると、想像通りの熱を孕んでいた。

「わ、わぁ……!」

薄々勘付いてはいたけれど、隠岐くんはおそらく、私のことが好きだ。
最初にあれっと思ったのは、隠岐くんに連絡先を聞かれた時だった。狙撃手の訓練は団体で行われることがほとんどなので、結構横の繋がりがある。級に関わらず人と接する機会が多く、訓練終わりに固まって立ち話をしたりするので、グループはあるものの基本的にはみんな仲良しだ。そのため連絡先の交換はごく自然な流れで行われるし、誰かが交換しているのを見ると、それに便乗したりもする。
隠岐くんと私が連絡先を交換したのは、太一と話している時だった。太一が趣味で作ったジオラマを見てみたいと言った私に、「それなら写真送りますよ!」と言われて連絡先を交換していた時、ふらっとやって来た隠岐くんが、「あ、ええなぁ。おれも教えてください」とにこにこしながら携帯を出したのだ。
隠岐くんは先に太一の連絡先を聞くと、次に私の方に携帯を向けた。「そういえば知らなかったね〜」なんて話しながら操作していると、携帯越しに隠岐くんの手が震えているのが見えた。どうしたんだろうと顔を見ると、ちょっと緊張した面持ちで色白の頬を染めているものだから、どきっとしたのを覚えている。
その時は、もしかしたら隠岐くんは意外と照れ屋さんなだけかも、と思っていたけど、その日の夕方に隠岐くんからメッセージが来て、『名前先輩こんばんは。隠岐です。ずっと連絡先聞こうと思ってたんですけど、ようやく聞けました。よろしくお願いします』という文面に、私は携帯を落としそうになった。
前半部分はいいとして、問題は後半の『ずっと連絡先聞こうと思ってたんですけど』の部分だ。この言葉に他意があるかないかによって、大きく意味が違ってくる。何とも思っていない相手にこんなこと言うかな、とは思ったが、相手が隠岐くんなので、言うかもしれないな、とも思った。
隠岐くんは顔立ちが整っていて、背が高くて、関西弁で話す柔らかな雰囲気の男の子だ。彼が転校して来た日は、下の学年が騒つくくらい注目されていた。私が初めて隠岐くんを見たのはボーダー内だったけれど、噂通りのイケメンだなぁと他人事のように思ったものだ。そんな男の子から、ずっと連絡先を聞きたかったと言われて舞い上がらない女の子なんているのだろうか。さすがに自惚れ過ぎだなぁとは思ったけれど、一人で盛り上がるぶんには誰にも迷惑を掛けないから、きゃあきゃあしながら返事をした。
それからやり取りが始まった。会話の内容は何でもないことだけど、長く続いているものだから切り時がわからなくなっている。会話が終わりそうになると、隠岐くんが新しい話題を出してくれるので、ますます終わらない。一日にするやり取りは少ないけれど、共通の話題が見付かると楽しいし、あまり知られていない隠岐くんの情報を私が持っていると思うと、嬉しくなってしまう。
隠岐くんは連絡がマメなんだなぁという印象だったのに、ある時水上くんが、「隠岐ほんまに連絡つかへん」と溢しているのを聞いて驚いた。水上くんによると、隠岐くんの返信はいつも遅くて、最悪の場合は無視されるという。返事をしろと言っても、「寝てしもうて、すんません」と笑うので、水上くんは諦めたそうだ。だから、大事な用事の時は電話をするか、直接言う方が手っ取り早いと言っていた。
それを聞いて、私ってもしかしたら特別なのかも、と何度目かわからない自惚れをしてしまった。だって、そうじゃないと色々と説明が付かないのだ。同じ隊の水上くんにはそんな感じなのに、私には連絡がマメなのも、みんなと話している時に気が付いたら隣にいるのも、遊びに行きませんかと誘われるのも、全部私のことが好きだから、という理由じゃなかったら、一体何だというのだろう。

『今大丈夫ですか?』

というメッセージが届いて、リビングのソファーでごろごろしていた私はさっと居住まいを正した。今日はずっとそわそわしていたから、その反動で気が抜けていたのだ。『大丈夫だよ』と返事をして数十秒、突然暗くなった画面に大きく「隠岐くん」と表示されて、私は携帯をソファーに落とした。

「(でっ、電話……)」

携帯と同じくらい震える指と、緊張で高鳴る心臓。鳴り続ける電話をずっと見ているわけにもいかず、勢いのまま出る。

「も、もしもし?」
「あ、こんばんは。電話の方が早いかなぁ思ったんですけど、今いけます?」
「あっ、ちょ、ちょっと待ってね。部屋に移動するから」
「ゆっくりでええですよ〜」

電話越しに聞こえた隠岐くんの笑い声がくすぐったくて、どきどきする。階段を上る私の呼吸が聞こえていそうで恥ずかしい。一方的に何か話してほしいのに、隠岐くんは律儀に私を待っていてくれている。
だって電話だなんて聞いていなかった。いつもみたいに、文字のやり取りをするものだとばかり思っていたから、心の準備なんて全く出来ていない。どうして今日に限って電話なんだろう。そう思って、水上くんの言葉がぱっと浮かぶ。「大事な用事の時は、電話する」。もし、その考えが隠岐くんにもあるとしたら。かあっと頬に熱が集まる。
すぐそっちの方向で考えてしまうのは、私の悪い癖かもしれない。でも、だって、私は期待してしまっているのだ。私が隠岐くんの特別な女の子だったらいいなと、最近本気で願ってしまっている。

「もう大丈夫だよ。お待たせ」
「ん〜、全然ですよ。名前先輩の部屋二階にあるんやなぁって聞いてましたわ」
「ええ、普通二階にない?」
「おれの実家マンションなんです。家自体は五階やけど」
「ふふ、何情報なの?」
「ふふ、なんやろ」

自室のベッドに座りながら、たわいもない話をしてようやく電話に慣れてきた頃に、隠岐くんが話を切り出した。

「そんで本題ですけど、行きはりたいとこ決まりました?」
「んー、改めて言われると難しくて。隠岐くんカラオケは苦手って前言ってたし」
「おれほんまに歌下手っぴなんですわ。マラカス担当でええなら」
「一人で歌うのやだよー」

私だって歌は上手くないのに、隠岐くんに見られながら、しかもマラカスで応援なんかされてしまったら歌どころではなくなってしまう。

「ほんなら無難にショッピングモール行きます? 名前先輩この前新しい靴ほしいって言うてはりませんでした?」
「よく覚えてるね。そうしたら、色々お店見たり、お茶したりする?」
「はい」

隠岐くんの弾んだ声が聞こえて、私はもう少しだけ踏み込んでみたくなってしまった。

「あの、さ。隠岐くん」
「うん?」
「これって、デート、だよね……?」

デートに違いないが、隠岐くんの口から聞いてみたかった。これまで私に対する好意のようなものは感じ取っていたけれど、直接その手の話をするのはお互いに避けて来た節があった。私はきっと、隠岐くんに好意を伝えられたら、「私も」って言うと思う。私は今、隠岐くんの言葉を待っている。
隠岐くんは少し躊躇うような吐息を溢すと、すっと息を吸った。

「デート、です。そのつもりで誘っとります」
「う、うん……」

絞り出すような声でそう言われて、きゅう、と胸が締め付けられた。隠岐くんは今、どんな顔をしているんだろう。

「名前先輩。デート、楽しみにしててもええですか……?」
「っ、うん、私も楽しみにしてるね」
「……はい。あの、あー、あかん。今おれ、あかんわ。日程とか後でまた連絡しますんで」
「お、隠岐くん……?」
「これ以上名前先輩と話したら、言ってまうかもしれへん……」
「っ!」

何を、と聞きたくて仕方がなかったが、言えなかった。そもそも言葉そのものが何も出てこなくて、私は口をはくはくさせて固まっていた。

「変なこと言うてすんません。ほなおやすみなさい」
「っ、お、やすみなさい……」

ぷつ、と切れた携帯をしばらく耳に当てたまま、どれくらいそうしていただろう。するりと手から滑り落ちた携帯がベッドの上で跳ねて、私はようやく意識を取り戻した。

「〜っ!!」

もう絶対、絶対絶対そう。そうじゃなかったら、隠岐くんは相当悪い男の子だ。お願いだから悪い男の子じゃありませんように。そう強く願いながら、私はベッドの上で蹲って、着信履歴の「隠岐くん」の文字を噛み締めた。


20211028

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