×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


「(来やがった)」

後頭部に感情がチリチリと刺さる。影浦は後ろを歩いている生徒を盾にして早足で歩くが、視線の主は左右に移動したのか、今度は背中に感情が刺さってきた。無視できないほどに刺さる範囲が広がってきて、我慢出来ず背中を掻く。背後からぱたぱたと駆け足の聞こえてきたと思えば、朝から弾むような声が影浦の耳を刺激した。

「影浦くん、おはよー! 今日もいい天気だね!」
「うぜぇ……」
「うざくてごめんね。でも朝から影浦くんに会えてうれしい!」
「…………」

息を切らしながらにこりと笑う名前に、影浦はげんなりして目を細めた。悪口を言われているのに嬉々としている名前を横目で確認し、影浦はつかつかと歩みを進める。名前もそんな影浦の歩調に合わせて隣を歩く。

「教室まで一緒に行ってもいい?」
「だめだっつってもついて来んだろーが」
「だって、同じクラスだもん」
「チッ、勝手にしろ」
「うん。勝手にするね。ありがとう!」

嬉しそうに微笑む名前に影浦はため息を零した。
名前のこれが始まったのは二年生の頃からだ。クラス替えで同じクラスになった名前は、影浦に一目惚れをした。影浦は会話もしたことがない相手を好きになる奴は信用出来ないと無視を決め込んでいたのだが、刺さってくる感情は小っ恥ずかしいほどの好意だった。何をしたわけでもないのにそんな感情を抱かれるのは一周回って気味が悪く、初めのうちは視界にすら入れないようにしていた。だが授業中だろうが休み時間だろうが関係なく感情を刺してくるのがストレスで、影浦は授業を終えて帰り支度をしている名前に、ついに話し掛けてしまった。

「コソコソ見てんじゃねーよ。うぜぇ」

それは因縁を付けているようにも見える光景だったが、名前はというと、気付かれていたことに対して一瞬動揺を見せた後、すぐににこりと笑った。それがただの強がりではないことに影浦はすぐに気が付いた。名前はすっと椅子から立ち上がると、予想外の反応に固まっている影浦を柔らかい表情で見つめた。

「じゃあこれからは、正々堂々と影浦くんのことを見るね」
「は……?」
「影浦くんのことが好きだから見ていたいの。ね?」

何が「ね?」なのか理解出来ないまま、小首を傾げる名前に、影浦は何も言い返すことが出来ない。生まれて初めて告白をされた衝撃で放心していた影浦は、「影浦くん?」という名前の言葉ではっと我に帰ると、飛び退いて警戒するネコのようにじろりと彼女を睨み付けた。それでも臆するどころか嬉しそうな名前に、影浦の頭はますます混乱した。

「影浦くん、よかったら途中まで一緒に帰らない?」
「……帰んねーよ」
「そっか。じゃあ私は先に帰るね。また明日、影浦くん!」

ひらひらと手を振って教室を出て行く名前の後ろ姿を見送る。急激に発汗して、全身が痛んだ。見ると、教室に残っていたクラスメイトの視線が影浦に向けられていた。その視線は名前が告白をした辺りから向けられていたはずだったが、影浦は今になってようやくそのことに気付いたのだった。

「影浦、今おまえ告られたよな!?」
「どうすんだよ!」

比較的絡む男子生徒がわらわらと影浦を取り囲んで、影浦は反射的に「興味ねーよ!」と吠えた。言葉の通り、影浦は名前に興味がないどころか、うざったいとすら思っていたし、彼女が自分に好意があることを事前に知っていた。それなのに面と向かって言われて動揺している己に、影浦は自己嫌悪のようなものを抱いた。
名前が影浦が好き、という噂は一気に広まった。しかしクラスメイトから茶化されても名前は笑顔で頷くだけなので、からかい甲斐もない。そのうち面白半分で茶化す生徒もいなくなり、ただの共通認識として落ち着いた。
名前は隠す必要がなくなったと判断したのか、影浦に直接好意を伝え続けた。
初めのうちは戸惑ってキツい言葉を投げていた影浦だったが、さすがに一年以上その状態が続くと慣れてきて、周りをチョロチョロされるのも言うほど気にならなくなっていた。名前から向けられる感情も今まで全く変わることがなく、純粋な好意以外の意識が混ざることがない。生まれた頃から様々な感情を体感している影浦だが、ここまで同じ感情だけを刺してくる人間はほとんどいなかったので、不気味に思う反面、むず痒さも感じていた。
名前は簡単に「好き」と口に出す。しかし彼女は「好き」とは言うが、「付き合ってほしい」とは一度も言わなかった。そのため、影浦はただひたすら彼女の言葉を受け流し続けていた。
登校中に出会っても、喋るのはほとんど名前だ。影浦はそれを気分によって無視したり、相槌したり、質問に答えてやったりする。今日は機嫌が良い方なので、名前の会話に付き合っていた。

「ねぇねぇ、影浦くんって今日の夜ってお家にいる?」
「あ?」
「今日親の帰り遅くて夕飯別々なんだ。だから影浦くん家のお店に行こうかなって。一人で行っても大丈夫?」

店に一人用の鉄板はないが、稀に一人で来る客もいる。しかし女子高生が一人でお好み焼き屋に来るのは、相当のメンタルが必要だろうと影浦は思った。しかしすぐに、この女にメンタルの心配はいらねぇか、と思い直す。

「店来んのに許可なんかいらねーだろーが。つか一人で来んのかよ。ダチいねぇのか?」
「いるけど、平日だし急に誘ったら悪いから今日はいいの! もし影浦くんを見掛けたら話し掛けてもいい?」
「話し掛けんな」
「冷たい! でもそういうところも大好き!」
「……うぜぇ」

靴箱から上履きを落として、ひっくり返ってしまった片方を足で直しながら、影浦は今日の予定を思い出す。昼から防衛任務があるため特別早退するが、夕飯前には任務が終わる。影浦は小さく舌打ちをすると、スニーカーを靴箱に押し込んで名前と共に教室に向かった。

「カゲ、今日なんかソワソワしてない?」

普段通りに任務をこなし、回収班への引き継ぎをしている間、北添が何気なく影浦に尋ねる。影浦が反応するよりも先に、イーグレットを手にした絵馬が屋根伝いに合流して会話に加わる。

「確かに、今日のカゲさんいつもより初速が速い気がする」
「やっぱり? そのせいでゾエさんの活躍ほぼなかったよ……」

泣くふりをする北添に、影浦は眉を潜める。図星とまではいかないが、確かに任務中に落ち着きがなかったことは自覚していたため、影浦はむっとして目を細めた。

「もしかして名前ちゃんと何かあった?」
「は?」
「あれ違った?」
「名前さんって、カゲさんの彼女の?」
「ちげーよ!」
「ちょちょユズル、その辺はちょっとデリケートだから」
「ごめんゾエさん」

コソコソとしているが丸聞こえの会話に、影浦は「おめーら……」と低い声で牽制した。おそらく当真辺りが絵馬に名前のことを吹き込んだのだろう。あの野郎、と心の中で呟いて舌打ちをする。
名前は影浦の彼女ではない。彼女ではないが、最近の影浦は名前のことが嫌いではない。

「もう上がりだぞおまえら、帰って来い! てか恋バナすんならアタシも混ぜろ!」
「きめぇこと言ってんじゃねえ!」
「あぁん? なんだよ照れんなよカゲェ」

通話越しに一人盛り上がる仁礼を無視して、影浦は北添と絵馬を引き連れて本部へ帰還する。影浦は後ろでにやにやしている北添と絵馬に「刺さってんだよ!」と一吠えして、頭を掻き毟った。

任務を終えて自宅に着く頃には、日はすっかり暮れていて、店は平日だというのに外からでもわかるくらい賑わいを見せている。影浦は名前が本当に一人で来ているのかどうかだけ確かめようと、裏口からではなく、店の正面入り口から入って店を見回した。ざっと見たところ、一人の女性客はいない。まだ来ていないのかと思っていた時、チリチリと敵意のような感情が影浦に刺さった。何だ、とそちらの方向に視線を移そうとした瞬間、「影浦!」と誰かに呼ばれる。見るとそこにはさほど親しくないクラスメイトの男子と、名前が鉄板を挟んで向き合うように座っていた。
その時、影浦は初めて名前の浮かない表情を見た。どれだけキツいことを言われても笑顔を崩さなかった名前が、影浦に会ったというのに笑わない。そして向けられた感情は居た堪れなさ、戸惑い、悲しみなどの負の感情だった。影浦は弾けるようにテーブルに向かう。影浦を見上げる男子生徒が何か言い掛けたのを遮るようにして口を開く。

「てめーこいつに何かしたか?」

金色の瞳に睨まれて、男子生徒は思わず息を飲む。名前は驚いた表情を見せたが、すぐに俯いてしまった。すると男子生徒は、影浦の様子を鼻で笑うと、見上げるようにしてニヤつく。

「付き合ってあげないくせに彼氏気取ってんの? ウケるんだけど」
「あ? 喧嘩売ってんのか?」
「そういうつもりじゃないけど。まあ影浦がそう思ったならそれでもいいよ」
「まどろっこしいこと言ってんじゃねーよ。つか質問に答えろコラ」
「座れば?」
「……名字、詰めろ」
「う、うん……」

名前はカバンと上着を端に寄せて、右にずれる。影浦は空いたスペースにどっかりと座ると、「で?」と冷たく言い放った。
鉄板の上には焼き途中のお好み焼きがじゅうじゅうと音を立てている。普段の影浦であれば、お好み焼きが焦げるのは許せなかったが、今はそれ以上に目の前の男に腹を立てていた。

「んでてめーが名字とここにいんだよ」
「さっき偶然会ったから一緒に来ただけ。一人だっていうから。それだけだけど」
「だけじゃねーだろ、あ? 舐めてんのか?」
「ガラ悪……」

減らず口を叩いているが、内心びびっていることはわかっている。隣で小さくなってしまっている名前に多少悪いとは思いつつ、影浦は男子生徒を睨め上げた。男子生徒は言い逃れ出来ないと悟ったのか、咳払いをしてから言う。

「名字にもう影浦諦めたらって言っただけだよ」
「そんなことおめーに関係ねぇだろ」
「いやオレ名字のこと好きだから。影浦だって迷惑そうにしてんじゃん。名字もいい加減可哀想だしハッキリしてほしいんだけど」

可哀想、と影浦は心の中で呟く。確かに今の状況を側から見れば、名前は可哀想なのかもしれない。だが、影浦はこれまでに一度も、名前に対して「可哀想」だとは思ったことがなかった。そして名前自身も、好きな男に振り向いてもらえない自分が可哀想だとは微塵も思っていなかった。
影浦はハッと鼻で笑うと、焦げ始めているお好み焼きをヘラで切り分けて、名前の皿に積み重ねた。名前は突然のことに目を丸くして、お好み焼きと影浦を交互に見た。

「仮に俺が名字を振ったとして、付き合えるとか思ってんのかよ。めでたい頭だぜ」
「なっ……」
「どうなんだ名字」

話を振られた名前は動揺したが、小さく頷いておそるおそる言葉を繋ぐ。

「あの、私、多分影浦くんに振られても、影浦くんのこと、まだ好きだと思うから……。他の男の子と付き合うとかは、考えられないです……」
「だとよ」

男子生徒は一瞬怯むが、声を荒げて影浦に噛み付く。

「肩持つわりに、そうやってずっと名字のこと一年以上キープしてるの失礼じゃね? そういうとこがムカつくんだよ。付き合うつもりもないくせに」
「さっきから付き合う付き合わねぇとかうぜぇんだよ。第一俺は名字に付き合ってくれなんざ言われたこともねぇ」
「は……?」

意味がわからない、と男子生徒は眉を潜める。そして影浦は、男子生徒の中では「好き」と「付き合ってほしい」は同義なのだと悟った。確かに一般的な認識ではそうかもしれないが、一年以上名前の言葉を聞いている影浦にとっては、名前の「好き」がただの感情であることを知っていた。

「影浦くんの言ったこと本当だよ。私は影浦くんのこと好きだけど、付き合ってって言ったことないよ。私がただ一方的に好きなだけだから。それに影浦くんのこと、私の好きな人のこと悪く言ってほしくない……」

ようやく口を開いた名前は、じわ、と目を潤ませた。それを見て男子生徒はたじろぐ。仮にも名前のことが好きだというのだから、泣きそうな姿に罪悪感を覚えたのだろう。
男子生徒は長く息を吐くと、名前を真っ直ぐに見つめた。

「名字、おれと付き合って」
「……ごめんなさい」
「……わかった。色々ごめん」

茶番だ、と影浦は思ったが、口には出さなかった。
男子生徒は財布から札を二枚ほど出すと、「これで払って」と言い残して席を立ち、店を出て行った。残された名前と影浦はしばらく沈黙する。店内の賑やかさが、ここだけ切り取られたようだった。影浦は上着のポケットに両手を突っ込んで、長椅子に浅く腰掛け、壁にもたれた。
名前は相変わらず浮かない表情で、感情もまだ沈んでいる。いつもと同じように隣にいるのに、落ち着かない。

「……付き合うか?」
「えっ」
「二度は言わねぇ」
「えっ、えっ……」

影浦は席を立って正面に座ると、見たことがないくらい顔を真っ赤にしている名前の言葉を待った。普段照れもせず何でも口に出す名前でも、普通に照れるんだな、と他人事のように思いながら、慌てふためく姿を眺める。

「なんで急に。うそ。影浦くん、私のこと好きじゃないのに……」

誰もそんなことを言った覚えはない、と影浦は思ったが、あえて言わず、ダルそうに頬杖をついて名前を見据える。こういう時に自分の感情も相手に刺さればいいと、影浦はこれまで何度思ったかわからない。

「どうすんだよ、オラ」
「わ、わ。本当に? 同情してるとかだったらやめておいた方がいいよ。だって私と影浦くんの感情、きっと釣り合わないよ……」
「ごちゃごちゃうるせーんだよ。どうしてぇんだおめーは」
「つ……、付き合ってください……」
「じゃあこの話は終わりだ。さっさと食え」
「えっ、終わりなの?」

影浦はアルバイトを呼び止めて注文をすると、そわそわしている名前に顎で「食え」と促した。あまりにもあっさりと交際が始まったので実感が持てない名前は、下の面が少し焦げたお好み焼きを口に運んで、飲み込む。

「影浦くん、本当に? これ、夢?」
「バカか?」
「だって、これが本当に現実なら、私多分泣いちゃうよ」

影浦は顎に掛けていたマスクを鼻先まで持っていくと、爪先で名前の靴を軽く小突いた。「へっ!?」と名前の肩が跳ねる。

「目ぇ覚めたかよ」
「かっ、影浦くん……。す、すきぃ……」

ぶわ、と目に涙を溜めた名前は、両手で顔を覆うと絞り出すようにそう言った。影浦は呆れつつも、どこか愉快な気持ちでそれを眺めていた。
その後、オーダー品を持ってきた母親に泣いている名前を見られて勘違いをされたが、涙を拭いながら必死に庇う名前は、心底うれしそうに笑った。影浦は笑顔を取り戻した名前に安堵している自分に気が付いて、苦い顔をするのだった。


20210910
リクエストありがとうございました!

back