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見る目ないな、と思う。
性格が良いやつ、顔が良い奴、ノリが良い奴。選ぼうとすればいくらでもいるのにわざわざ俺を選ぶあたり、名字ちゃんは見る目もなければセンスもない。ただ一時期席が近かっただけの男に心を寄せるとは、御しやすいにもほどがある。

名字ちゃんと初めてまともに交わした会話は、俺の座高の話だった。席替えで俺の後ろになった名字ちゃんは、黒板が見えないので席を変えてくれないかと持ち掛けてきた。「俺短足やからな」と真顔で冗談を言うと、名字ちゃんは「それよりも髪のボリュームが……」と真顔で言った。「短足は否定せえへんのかい」と返せば、口ごもりながらわたわたしていたのがおもしろかった。
名字ちゃんは俺の短足を必死に否定しようとして、「測ろう」と言って筆箱から定規を取り出し、他の奴らにも囲まれながら俺は足の長さを測らされた。定規なので正確ではないだろうが、ぎりぎり短足ではなかった。
それからよく名字ちゃんから話し掛けてくるようになり、誘われて一緒に帰ることがしばしばあった。俺はその誘いを簡単に受け入れて、適当に喋りながら何事もなく帰路についていた。しかし俺から誘ったことはないし、話し掛けることもほとんどない。それなのに性懲りもせず、名字ちゃんは俺に構った。そのうち飽きるだろうと踏んでいたが、回数を重ねるうちに名字ちゃんの様子に変化が出てきて、俺はそれを他人事のように眺めていた。
そんな俺に対して周りの奴らは敏感で、時々付き合っているのかと訊かれることがあった。名字ちゃんとはそういう会話をした覚えがないため、俺は必ず「付き合ってへん」と返した。それを聞いた名字ちゃんは歯痒そうな顔をして、同じように否定する。そういう端々で、名字ちゃんは本当に俺のことが好きなんやな、と感じる。
おそらく付き合ってほしいと言われたら、俺は素直に応じるだろう。だが俺から告白するほど好きかと問われたら即答出来ない。下手に出たくない、とはまた違うが、ボーダーのこともあるため今後相手に我慢を強いることが必ずある。なんとなく、俺が折れたらそこから崩れていくような気がして、ならばこのまま平行線でいいか、という考えに至った。
男女付き合いに興味がないわけではないが、それと同じくらいにめんどくさそうだとも思う。痺れを切らした名字ちゃんが俺から離れて、別の男の隣を歩いている姿をそのうち見ることになっても、俺は何事もなかったかのように振る舞えるだろう。

「水上くん、一緒に帰らない?」

教室のど真ん中で、名字ちゃんは笑顔でそう言った。堂々としたものだ。下駄箱で偶然を装って俺に声を掛けていた頃がもはや懐かしい。
俺はリュックを背負いながら、特別表情を変えることなく、「ええけど」と呟いていた。しかしどこか突き放すような言い回しだなと思い、「ええよ」と言い直す。すると名字ちゃんの表情が綻んだ。安堵しただけではない。俺と一緒に帰ることを心底喜んでいる顔だった。たったこれだけの言葉で感情を左右されて、忙しない。

「やった。今日は任務あるの?」
「いや、今日はなんも」

俺の住まいはボーダー内の寮のため、任務があってもなくても基地に向かう。名字ちゃんも途中までその方向なので、十五分くらいは一緒に歩く。

「だったらさぁ……」

遊びにでも誘われるのかと思ったが、名字ちゃんは「今日はゆっくり出来るんだね」と笑った。俺は「誰にも捕まらんかったらな」と皮肉めいた言葉を返して、名字ちゃんと共に教室を出た。
クラスの奴らは、ここ最近俺と名字ちゃんが一緒にいる時は話し掛けてこない。おそらくだが、応援されている。もしくは、楽しまれている。外堀を埋められても俺は自分のスタンスを崩すつもりはないが、名字ちゃんは何を思っているのだろうか。俺がいない教室で、友人に「早く付き合いなよ」と急かされていた名字ちゃんの表情を、俺は知らない。
ぱらぱらと生徒が散る校門を過ぎて、俺たちは特別なんでもないことを話しながら見慣れた道を歩いて行く。自分のことや、学校のこと、大阪のこと。するすると言葉が出てきて、特別な感情を抜きにしても楽しい。
名字ちゃんはおそらく知らない。三門市にはボーダーへ直通している地下通路がいくつもあって、学校の近くにもそれがあるということを。

「ボーダーってやっぱり大変?」
「藪から棒やな」
「いや、やっぱり気になるから。三門市民としては。って、大変に決まってるよね」
「まあ、人それぞれやろ。俺はわりと楽しんどる方やけど」
「そうなんだ」
「…………」

急に会話のテンポがおかしくなった。これは何かあるな、と名字ちゃんの言葉を待つ。名字ちゃんは乱れてもいない前髪を直したり、カバンを持ち変えたりと、細かな動きを繰り返していた。両手をスラックスのポケットに突っ込んで、ふい、と空を仰ぐ。今日は雲の動きがやけに速い。
名字ちゃんが口を開きかけた。噤んだ口が、また開く。その時、「水上じゃねぇか」と横から声が聞こえた。
足を止めて声がした方を見ると、ブレザー姿の荒船と犬飼がこちらを見ていた。荒船の後ろにいる犬飼は「あちゃー」という表情をしている。俺の影から名字ちゃんが出て来て、荒船も「しまった」という顔をした。しかしもう話し掛けられてしまったので、無視は出来ない。

「奇遇やな」
「帰りに会うの珍しいね。邪魔して申し訳ない」
「あ、いえ……」

犬飼が気を遣って名字ちゃんに笑い掛ける。名字ちゃんは戸惑いつつ、ぺこりと頭を下げた。頼むからいらんこと言うな、と念じる。

「水上の彼女か?」

内部通話なんかない生身であることを呪った。今一番触れてほしくない部分を的確に打ってくる辺り、マスタークラスは伊達ではない。ため息が出そうになるのを堪える。

「付き合うてへんわ……」
「そうだったか。悪いな」

犬飼が物陰で荒船を小突く。長居は無用だと、「じゃあボーダーでね」と犬飼がひらひらと手を振って二人は歩いて行った。目的地が同じため、少し離れるまでその姿を見送る。

「なんや、すまん。知らん奴が……」

尻すぼみに言葉の先が消える。絶妙に居心地が悪い空気を持ち直そうと名字ちゃんを見ると、彼女は今にも泣き出しそうな顔で、肩に掛けた持ち手を力強く握り締めていた。

「水上くん、気付いてると思うけど、水上くんが好き」

もう少し、凪いだ心でその言葉を聞くと思っていた。しかし俺はひどく動揺して、うまく言葉が浮かんでこない。
名字ちゃんは深く深呼吸して、少し口を開けた。人間、泣きそうな時に口を開けると集中出来なくなって、泣くことが出来ないらしいと教えたのは俺だった。それを律儀に実践している。その時俺は初めて、名字ちゃんをかわいいと思っている自分を自覚した。

「好きだから、本当はずっと、彼女って言ってほしかった」
「そか……」
「そか、じゃない!」

急に大きな声を出されて、驚いて一歩退く。名字ちゃんはぽろりと涙を溢しながら、俺に詰め寄った。

「一旦落ち着こか」
「無理だよ!」

どうどうと出した両手を握り締められて、ぎくりとする。手を引っ込めることも出来ないまま、冷たい名字ちゃんの手の柔らかさを感じていた。

「もうハッキリさせたい」
「ちょっ、手ぇ」
「水上くん、私のことどう思ってるの?」
「せやから、手……」
「なんで私の誘いを断らないの? 期待しちゃうじゃん」
「名字ちゃん」
「その呼び方も嫌!」

握られた手を投げられた。腕に力を入れていなかったため、足に勢い良くぶつかり地味に痛い。日頃の鬱憤を晴らすように、名字ちゃんは続ける。

「名字にちゃん付けなんて、なんとも思われてないみたいで、嫌なの……」

あかん。

「本当になんとも思ってないなら、言って? 私たち、ただの友達?」

かわいい。

「腕、ごめんね。痛かった?」
「かわいい」
「へ?」
「あ……」
「えっ!?」

ぶわっと名字ちゃんの頬が染まっていく。口に出てたか、と自分の口元を抑え、じっと名字ちゃんを見つめる。
これまで名字ちゃんに対して思っていた、「御しやすい」や、「おもしろい」や、「忙しない」が、ぱちりとひっくり返って、別の言葉に置き換わっていく。

「これから」

俺の呟くような言葉が続くのを、名字ちゃんは固唾呑んで見守っていた。

「これから、『彼女の』名前ちゃんでええんか?」
「う、うん……」
「うわ、恥ず。やっぱ名字ちゃんにしとくわ」
「やだ……」

拗ねと照れの境界線を漂う名字ちゃんはそっぽを向く。こんな表情をする子だっただろうか。それとも、俺が引き出しているのか。

「俺、アホやん……」

前半の長文モノローグのスカした俺は一体何だったのか。笑えない。あんな風に思っていたことは、今後絶対に口にも顔にも出さないと決意する。
名字ちゃんは、そわそわと落ち着かない様子で俺を盗み見た。まだ何かあるのかと待っていると、名字ちゃんは上目遣いで俺を睨んだ。

「ちゃんと言って?」
「あー……。自分真面目やな」

熱視線に耐えられず、身体をずらす。遠くに小さくなった荒船と犬飼の背中を見付けて、後で訂正しとくか、とぼんやり思う。柄にもなく緊張している自分に心底呆れて、俺はただでさえ細い目をさらに細めて、口を開いた。


20210820
リクエストありがとうございました!

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