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 わたしと言葉を交えると、副交感神経が優位にはたらいて、たいていの場合、気を、ゆるめる。わたしは、子どもに読みきかせを行うように、やさしく、ゆっくりと、囁くように、話す。相手の目をみて、すこしだけ、ほほ笑む。そうすると、わたしの耳触りのいい言葉の、あまりの心地よさに、みんな気を、落ちつかせる。
 反対に、第一声に発した私の言葉が上手く心に入り込まない人間には、私は何の言葉も投げ掛けず、ただひたすらにトリガーとなる言葉が出てくるのを待つ。たった一言だけでも引き摺り出してしまえば、私はいとも簡単に相手に入り込むことが出来る。私には、そういった能力が先天的に備わっている。

「ここんところC級隊員が立て続けに辞めてるみたいなんだよな。名前、何か知ってる?」
 目を、ふせた。くしゃくしゃに丸められていた、まっ白なシャツを、つまみ上げる。ポリエステル製のため、シワにならずにすんだそれに、袖を通す。迅のシャツなので、サイズが大きい。前かがみになると、ゆったりとした襟元から、胸がみえてしまうな、とおもった。しかし、目のまえにいる迅は、先ほどまで、わたしの身体を、余すところなくみていたのだから、多少のはしたなさは、多めにみてくれるだろう。ベッドに座って、わざとらしく、首を傾げる。
「わざわざ、しつもんするってことは、わたしは、おこられて、いるのかな?」
「おっと、初っぱなからか。今は真面目に話がしたいんだけどなー」
 いー、と、おどけた顔で、迅は言う。わかっていたくせに、とは野暮なので、わたしは言わない。真面目に、と言うわりに、飄々とした態度なことも、わたしは指摘など、しない。これは、もうクセのようなものなのだろう。ここ数年の迅は、よく、笑っている。
「わたしは、いつも、まじめだよ」
「……わかってる。でも問題はそこじゃない。いたずらにC級隊員を唆すのはやめてくれないか」
 いたずらに、というのは、語弊がある。みんな、悩んでいたから、話をきいてあげただけ。ボーダー隊員として戦うことに、不安をかかえたまま、組織に属するような人は、向いていない。ただ、それだけ。息を、吐く。
「戦闘員として不向きな子に務まるのかな?」
「んー、未来ある若者の芽を潰さないでくれってだけだよ」
 素にもどったわたしの言葉に対し、眠たげなひとみで、迅は言った。わたしは、なにも答えなかった。答えなくても、迅はわたしがどうするか、わかっていた。目線を落とし、冷たい床に、足をつく。
「わたし、これから仕事、あるから」
 いつからだろうか。会話から、向きあうことを、やめたのは。
「その予定はキャンセルしておいた」
「どうして」
「名前が大切だからだよ」
 身勝手さが、当然のように許されると、おもうようになったのは。
「じゃあ、少しはやいけど、このまま、眠ってしまおうかな。迅は?」
「おれも休むよ」
 わたしは、わかっていた。迅が、ほんとうに怒っているのは、わたしが、C級隊員の相談にのるふりをして、辞めさせていることではない、ということを。迅は、わたしがこれから行うつもりだった、仕事のやり方に、怒っているのだった。だからこそ、わたしはこうして、先まわりして、迅の怒りを、和らげていた。ずいぶん前から、ずっと、そうしてきた。予知があっても、対処できない、方法で。
 わたしは、先に毛布に埋まり、そして、迅を迎えいれた。迅は、わたしにシャツを奪われたまま、毛布のすきまに滑りこみ、わたしを腕に、抱いた。
「おれの目が覚めるまでどこにも行かないでくれ」
「うん」
「名前、頼むよ……」
「うん」
「好きだよ」
「わたしも、すき。だから、ねむって、ゆういち」
 迅が、わたしの手をきつく、握った。ゆるやかに閉じるひとみは、今にも泣きだしそうだった。
 恨むだろうか。でも、わたしも、迅も、同じだ。わたしの無茶を、迅が止められないように、迅の無茶を、わたしは、止めることができない。
 わたしたちは、つねに、月の満ち欠けのようだ。ひとりが残り、ひとりはその姿を、隠す。満月のような日々は、もう、戻らないのかもしれない。それでも、たしかにわたしたちは、ふたりでひとつの物体だった。

 旧ボーダー時代、私達の仲間は来る日に向けて訓練を続けていた。私と迅もその一員で、現在の玉狛支部で切磋琢磨し、近界と交流を続けていた。
 同盟国であるアリステラの襲撃を受け、私達は星を渡った。その地での戦闘は過酷なもので、私達の星へ及ぶ被害は免れたが、アリステラは仲間の死を伴って滅亡した。
 迅の師匠である最上さんが、迅の目の前でブラックトリガーになった時、私はその傍らにいた。最上さんを象った塵が崩れ、それはまるで一種の祝福のように迅の頭から降り注いだのを見た。そして、その祝福の一部は私の間抜けに空いた口の中に入り込んだ。残りは、アリステラの地に舞い降りた。私は最上さんだった塵を噛みながら、砂を噛むような思いとは真逆な心境で、茫然と立ち尽くした。涙はおそらく出ていなかった。
 迅は足元に転がる最上さんのブラックトリガー、後に風刃と名づけられたそれを手に取った。私はその姿を見てようやく身体の動かし方を思い出し、迅に駆け寄った。私は迅の涙の跡に固まる塵を取り除こうとしたが、上手く出来ず、震える指先で彼の頬を傷つけた。動揺して謝る私に、迅は大丈夫だと微笑み、私を抱き締めた。お互いの身体の震えを止める様に、きつく、固く、壊れそうになるまで。そうして、最上さんを始めとした仲間達を失う代わりに力を手に入れた私達は、母トリガーと冠トリガーと共に、傷つきながら帰還した。
 亡くなった仲間を弔い、ブラックトリガーを保管し、ボーダーを去る人間を見送った。人が変わったような城戸さんと決別し、旧ボーダーに残った私は戦闘員を辞め、迅と同じように暗躍する道を選んだ。私のサイドエフェクトは、そういったことに、とても向いていた。

 迅が眠りについたころ、わたしは、自ずと目ざめる。わたしが起きることを知っていても、迅は起きることが、できない。深いねむりに落ちるよう、わたしが何度も、なんども、囁いたからだ。
 好物のせんべいが入った段ボールと、最低限の家具しかない、殺風景な部屋に、眠る迅。迅が見ている未来が、どんなものなのかは、わからない。わからないから、少しでも負担が減るように、わたしは働く。迅のためなら、わたしは、なんだって、できる。
 迅の額をなで、キスを、落とす。こころのなかで、謝る。どうか、夢のなかくらいは、穏やかに、すごしてほしい。そして、ぱっと、目ざめてくれることを、祈る。
「もしもし、唐沢さん。お疲れ様です。すみません、穴を開けてしまって。先方には私がこれから直接向かって謝りますから。……ええ、ああ、問題ないですよ。知ってるでしょう。……はは、はい。今回は結構大手ですからね、多少強引でも……。心配してくださるんですか、ありがとうございます。大丈夫ですよ。じゃあまた、終わったら報告しますので。何かあったら。はい、はい、失礼します」
 迅のシャツを、脱ぎすてる。わたしが戦うための服に、着がえる。髪をととのえて、化粧をする。

 わたしの仕事は、とても容易い。花が人知れず咲くように、言葉を開けばいいだけだ。
 言葉を開いて、言葉をひらいて、ことばをひらいて、ひらいて。あいてのこころを、ひらいて。ゆらして、ここちよさに、よわせて。ひつようなことばを、あつめて、もちかえるだけだ。
 ほんとうに、たやすい。こうしたことは、わたしがいちばん、うまくやれる。めんどうなかいしゃ、にんげん、すべて、わたしがあいてをする。
 じぶんのことばにすら、よいそうだ。きれいな、きょくせんをえがく、ぬれたグラス。ときどき、どこにいるのか、わからなくなる。せのたかい、いすに、すわっている。みずのなかに、いるような、あかるい、よるだ。オンレジいろの、でんきゅうが、てらす。さらくが、さく、きせつなのか、ゆがきふる、きせつ、なのか。トリオンたいにはかんけいない。わたしはトおりンたいではない。てきせつなきょりをたもつ。かわす。まるいこおりのなる、おと。あた、まがいたい。のどが縺、縺セ縺」縺ヲいきができない。豁サ縺ォ縺溘>。すこしだけ、ほほ、え、む。

 ひらかれた縺薙→縺ーをなおすためにわたしはいつもてみがをかく。あいては、きまっている。
 内ようは、わたしと迅のこと、わたしがどんな風に、すごしているか。今のボーダーのじょう況を、ひみつにふれないよう、ぼんやりと、伝える。へんじは、一ども、きたことが、ない。そのりゆうを、わたしは、知っている。それでも、わたしは、書きつづける。迅のことを、あいしていること。迅も、おなじ気もち、だということ。
 だいすきだった。しん友だと、おもっていた。わたしのことを、忘れても、わたしだけは、ずっと好きでいると、おもっていた。なのになぜ。なぜ、こんなにも、胸がすく。
 紙にしみわたるペンのインクは、かのじょの名まえを、覚えている。

『真都へ』

 明けがた、迅の部屋にもどると、彼はどこかから帰ってきたような、いつもと同じ服装で、わたしを待ちかまえるように、ベッドに腰かけていた。わたしが脱ぎすてた、白いシャツを着ている姿が、回復したつもりのこころに、突きささる。
 ほの暗さを残した室内に、カーテンの隙間から、わずかな朝日が、薄い膜のように、流れこむ。淡いひかりに照らされた、細かなほこりが、うっすらと煌めいて、浮遊していた。その中で佇む迅の表情は、どこか穏やかで、やさしく、諦めさえも、匂わせた。その表情は、ひどく、わたしに似ていた。
「名前、おいで」
 迅が手を伸ばし、空気が揺れる。安堵して、導かれるようにその手を取った。座る迅の前に立ち、誓いの言葉でも囁くように、両手を繋ぐ。わたしを見上げる迅は、見慣れた笑みを浮かべていて、約束を破ったわたしを責めたりなどはしなかった。
「具合は大丈夫か?」
「うん。もう平気」
 繋いだ手が離れて、迅の指の背がわたしの頬を撫でる。温かい手だった。迅は、深く眠れただろうか。いつ目覚めたのだろう。こんな何もない部屋に、一人残されて。
「疲れただろ?」
「うん……」
 迅の頭をそっと抱え込み、自身の腹に引き寄せた。されるがまま、迅はわたしにもたれて、ほんの少しの重みを分け与えた。髪を梳き、首筋に触れる。そこにかけられていた、最上さんの形見のサングラスを、両手でそっと持ち上げる。
「名前?」
 顔を上げた迅の額に、それはまるで神聖な戴冠式のように、恭しく載せた。親指で、少し下へずらす。迅の瞳が、ガラス色のプラスチックで覆われる。
「どうした?」
 わたしのおかしな悪戯に、迅は笑った。身を屈めて、迅の唇を奪う。迅は、わたしの後頭部に手を添えて、何度も角度を変えるように、唇を動かした。ベッドに片膝を乗せると同時に、迅はわたしを伴い、ゆっくりと後ろに倒れた。サングラスがずれて、その隙間から、水色の瞳がわたしを捉えた。わたしは、魂の尾をひゅっと掴まれるような心地で、それを見つめ返した。
「悠一、大好き」
「知ってるよ」
 わたしの髪が、天蓋のように迅の顔を包む。今この身を祝福の花に変えられるなら、迅の身体を覆い尽くせる。そうする準備はいつでも出来ているのに、まだ、夜は明け切らない。



イメージソング『花の唄』
20210717

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