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ボーダーの食堂で働き始めてから三ヶ月が過ぎた。ただの派遣の調理師の私だが、まさか勤務先が異界の敵と闘ってくれている組織になるだなんて、調理師免許を取るために勉強していたあの頃の自分に言っても信じないだろう。
一般人が中に入ることが許されないボーダー内部は想像よりも広く、圧巻されたのを覚えている。その時行われた説明会で、機密事項やボーダーに関する必要以上の情報を知ってしまった場合、記憶封印措置を取ると言われ、書類にサインを書かされた時はとんでもない場所に来てしまったと思ったが、お給料は悪くないし、スタッフ同士の人間関係も良好だ。入れるエリアが限られているため、ボーダー隊員がどんな訓練を受けているのかはわからないが、食事をする彼等は意外と年頃の少年少女らしく、和気藹々としていて拍子抜けする。
そんな風に、私は順調に仕事をこなしていた。しかし今私は、食堂の隅でうどんを食べながら、少し離れた位置に座る、お揃いの赤と黒の服に身を包んだグループの会話を聞きながら、だらだらと汗をかく羽目になっている。

食事を提供する時、隊員と軽い会話をすることはあったが、こちらはボーダーに関する情報を知ってはいけないので、接触は極力避けてきた。そのため、ほとんどの隊員の名前も年齢も知らない。だが最近になって、「イコさん」という厳つめの関西人に声を掛けられるようになった。それが始まったのは先月のこと。食事を提供していた私に対し「ちょっとええですか?」と話し掛けてきたのだった。
その時の私は、てっきり提供間違いか、異物混入だと思って怒られる覚悟をしていたのだが、彼は提供したばかりのナスカレーを指差すと、「このメニューお姉さんが考えはったん?」と言ってきたのだった。

「はい……?」
「いや、ナスカレーがあんの結構珍しいやん? 俺ナスカレー大好物やねん」
「そ、そうですか……」
「せやから、もしお姉さんがメニュー考えはったんやったら気ぃ合うなぁ思って」

真顔でそんなことを言ってきたものだから、私は拍子抜けしてしまって「はあ」としか言えなかった。確かに、それがメニューに追加された時、珍しいなとは思った。だが「自分はナスカレーが好物です」とわざわざ言ってくる人がいるとは思わず、困惑している私の返事を待っている間に、次のお客様が来てしまったので、慌てて答える。

「私はただの調理師なので、メニューは特に。おそらく本社が考えてるのかと」
「そおか。ほんなら気ぃ合うんはお姉さんの会社いうことやな。時間取らせました、ほな……」

そう言うと、険しい表情を一切変えないまま「イコさん」はぺこりと頭を下げて、何故かスプーンではなく割り箸を取ると、すたすたと去って行った。そして、しばらくしてからスプーンを取りに来た。その時ぺろりと舌を出していたのがおかしくて、厨房の壁に向かって必死に笑いを堪えた。
そしてその数日後、またもや「イコさん」が私に声を掛けてきた。その日は一人ではなく、同じデザインの服を着た、もさもさしたオレンジ色の髪の眠たげな男の子を連れていた。「イコさん」は提供したマグロカツ丼を指差し、言った。

「なぁなぁ、このマグロカツ切らはったんお姉さんやんな?」
「え、あ、はい……。さっき作りましたけど」
「せやろ? この鮮やかな切り口、えらいもんやなー思っててん。孤月でバッサリいったみたいやし。お姉さんが攻撃手やったらすぐええとこ行けるで」
「こ、孤月?」
「イコさん、食堂のお姉さんが孤月知ってるわけないやん。えらいすんません」

眠たげな少年は私にぺこりと頭を下げると、「イコさん行きますよ」と言って彼の背中を押した。私はその日一日を「孤月」が機密事項に当たるのではないかとヒヤヒヤしながら働いたのだが、記憶が残っているので大丈夫な情報だったようだ。
この時、厳つめの男性の名が「イコさん」であることが判明し、それ以来、彼が来ると心の中で勝手にイコさん、と呼ぶようになった。

イコさんはどうやら関西からボーダーにスカウトされて来た人物らしい。同じデザインの服を着ていた男の子も、おそらくそうだろう。そして見かけによらず、かなり面白いタイプであることもわかってきた。
見かけが凛々しく、怖いので最初の方は恐る恐る対応していたが、口を開けばナスのくたくた具合が天才的だの、味噌汁に浮かんでいるネギが人の顔に見えて可愛いだの、精悍な面構えからは想像できないような言葉がつらつらと出てくる。私もだんだんと面白くなってきてしまって、イコさんに話し掛けられるのを楽しみにしていた。そして昨日のイコさんは、私にこう話し掛けて来た。

「お姉さん、お名前何て言わはんの?」
「名字です」
「えらい可愛らし名前やな。お姉さんにぴったりやし。大事にしぃや」
「名字が可愛いって言われたの初めてですけど。ありがとうございます」

名字、いつか変わっちゃうかもしれないけどね、と思いながら返すと、イコさんは真顔のまま自分の額をごつんと拳で一回叩いた。その行動がツボにハマってしまって、口を抑えて笑う。

「ほんで、ちなみに下の名前も訊いてかまへん?」
「名前です」
「名前ちゃんな、覚えたで」
「覚えられちゃった」
「今更忘れてくれー言われてもあかんしな? 俺、記憶力には自信あるし」

カウンターに肘を突いてカッコつけるその姿が面白くて、ついに笑いを堪えきれなくなってしまった。仕事中でなければ大口を開けて笑っていたところだが、食品を扱っている以上それは出来ない。なんとか笑いを噛み殺しながら、うんうんと頷くと、イコさんは「ほなな」とその場を去って行った。

「名字ちゃん、またあの子?」

オーダー品を作っていると、ベテランのパートさんがすっと寄り添ってきた。先程の光景が浮かんできて、思い出し笑いをする。

「もう本当に面白いですよねあの人」
「ナンパでしょ、あれは」
「へ?」
「やだ、気付いてなかったの?」

ベテランさんはにやりと笑うと、「すみませーん」とカウンターで呼ぶお揃いの白い服の男の子たちの元へ向かって行った。
私は作る手を止めて「ナンパ」と呟く。あれって、ナンパなのだろうか。いやしかし、普通ナンパだとしたら、初めての会話でナスカレーのことなんて話題に挙げるだろうか。それだけではない。ナスやらカツやらネギやら、そんなことばかり言われているし、今日ようやく名前を聞かれたくらいだ。うん、あれはナンパじゃない。

そう思っていた昨日。時は戻り現在。少し離れた位置に座るイコさんは、机に突っ伏してわんわんと泣くフリをしている。私が座っている位置はイコさんの背中側なので、彼は私がここにいることに気付いていない。イコさんの両脇には元気そうな男の子と、スーツのような服を着た女の子。向かいには、前にイコさんと一緒にいた眠そうな男の子と、その隣にやけにイケメンな男の子がいる。
イケメンは突っ伏したままのイコさんに朗らかに笑いかける。

「イコさんて、女子のことすぐ可愛いとか言えるタイプやないですか。何でそんな回りくどいことするんですか?」
「いや、ほんまはナスでも何でもかまへんねん。せやけど言えへんねんな、可愛いですねーの一言が。堪忍してくれ……。もうやめとこか……」
「え、やめはんの?」
「あかんし! 名字さんほんまに可愛いねんもん。わろた顔見たことある? あーあかん、むっちゃ可愛い……」

瞬時に、「あ、これは私が聞いちゃいけないやつだ」と心臓が跳ね、汗が吹き出た。どくどくと脈打つ心音を聞きながら、素知らぬフリでうどんを啜る。どうしよう、席変えようかなと思っていると、イコさんの頭越しに、眠たげな男の子とがっつり目が合ってしまった。慌てて目を逸らして、またちらりと窺うと、彼は私から一切目を離さず、イコさんに語り掛ける。

「ほんならもうここはスッと名字さんのこと気になってますーて言うたらええねん」

飲み込んだばかりのうどんを鼻から出しそうになった。なんてことを言うんだ、君は。
緊張と恥ずかしさで箸を持つ手が震える。するとイコさんはゆっくりと顔を上げて、背筋をぴんと伸ばし、まるで正座でもしているかのように椅子に座り直した。

「いけるやろか」
「いや知らんけど」
「責任持て水上! 一世一代の告白やぞ!」
「イコさんバリうるさいねんけど! 周りの迷惑やで!」
「イコさん告っちゃいましょう! 打ち上げはカラオケで!」
「海、イコさんがフラれる前提で話進めんのはあかんわ」

やいやいと騒がしい塊の影で、私はもうあまりの緊張で水を飲むことも出来なくなっていた。だって、意図していなかったとはいえ、本人が知らないところで告白されているのだ。眠たげな男の子、もとい水上くんは、相当性格が悪い。この場をどう切り抜けるか必死に考えていると、イコさんの頭で隠れていた水上くんが、ひょいと顔を出した。

「ほな名字さん、返事していただいて」
「えっ」

ぐるりと上半身を捻ったイコさんは、ゴーグルをぐいと額に持ち上げて私を見た。初めてイコさんの瞳を見た。いや、そんなことよりも、イコさんだけでなく、その場にいた全員の視線が私に刺さっている。

「やっ、あの……」

すると、イコさんはゴーグルを上げたままのポーズで無表情のまま、耳の先までをガーっと真っ赤に染めた。あ、これは本気のやつだと察知した私は、ぽろりと箸を落としてしまう。ころころと転がった箸を、海くんと呼ばれていた男の子が拾ってくれた。

「お姉さん顔真っ赤! 大丈夫ですか?」
「大丈夫ではないです」
「ってうわ! イコさん顔やば!」

私のお盆に箸を乗せてくれた海くんは、振り返ると私以上に赤くなっているイコさんに驚いた。

「イコさん、男かましてください」

水上くんがイコさんの背中をぽんと叩くと、イコさんが静かに席を立ち、律儀に椅子を仕舞った。隣にいた女の子が「嘘やん、ほんまに? ほんまに言うてる?」と顔を赤くしてイコさんを見上げる。イケメンも少し顔を赤くして、「イコさん男やな〜」とサンバイザーのツバをつまんだ。

「名字さん」
「はいっ」

ガタッと音を立てて席を立つ。うどんの汁がお盆に溢れた。向かい合うと、イコさんの額にはうっすらと汗が滲んでいるのがわかった。私も相当緊張しているけれど、イコさんはそれ以上に違いない。

「す……」

ごくりと、私だけではなく皆の生唾を飲む音が聞こえるようだった。

「好きなメニューは何ですか?」

ずごーっと、お約束のコントのように机の上を少年少女たちが滑る。

「イコさん!」
「アホ! やらすなこんなこと!」
「うっさいねん! 俺かて必死やぞ! 真綿で包むみたいに優し優ししてくれんと! 名字さん!」
「はい!?」

突然呼ばれたと思えば、刺されるのではないかと思うほどのスピードで手を差し出された。

「結婚を前提にお付き合いしたいのでお友達から始めてください」
「いや重っ!」

思わず突っ込んでしまうと、イコさんが明らかにショックを受けた顔で固まってしまった。

「あっ、いや! 違くて、ちょっと待ってください」

ノリが移ってつい口が滑ってしまった。長く息を吐いて自身を落ち着かせる。そして、差し出されたままのイコさんの手、グローブの上から、人差し指をちょんとつまんだ。

「まず、イコさんの名前を教えてください。話はそれから……」
「生駒達人十九歳職業大学生。ねこ座のB型で好きなものはナスカレーとご飯屋の新メニューとサッカーと名字さんです」
「あっ……」
「あっ、言うてしもた!」

ぶわっと顔に熱が広がっていく。水上くんが「むしろ先にそれ言うとかなあかんやつやろ」と冷静に突っ込んでいるが、頭に入って来なかった。居た堪れなくて、つまんだままのグローブの先端をこねくり回してしまう。
生駒くんがここまで言ってくれたのだから、私も応えなければ。男は度胸。女も度胸だ。生駒くんの手をぎゅっと掴むと、彼はびくりと震えて、私の手をほとんど反射で握り返した。

「今日、仕事終わるの二十時です」
「っ!」
「……待っててくれますか?」
「なんぼでも待ちます」
「はい……。あの、じゃあ、うどん、食べます」
「ああ、はい。どうぞ」
「あ、箸……」
「すぐ持って来ます」

生駒くんがカトラリー置き場に向かって爆走する。ぽつんと取り残された私に、生駒くんのチームメイトの目線が刺さる。ちらりと見ると、水上くんは「やったやん」とでも言うような顔をして鼻の下を擦り、イケメンは「わ〜」と頬を染め、女の子は「マジか!」とはしゃぎ、海くんは「オレ告白が成功するとこ初めて見ました!」と大声で言った。
まだ付き合うかどうかわからないよ、とは言えず、静かに席に座る。いやでも、多分私は生駒くんと付き合うと思う。箸を片手に猪突猛進してくるその姿が、あまりにも面白すぎるから。


20210513
関西弁を監修してくださったねりさん、本当にありがとうございました!

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