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皮ごと食べられない果物は嫌い。種があるものなら尚更だ。皮や果汁が爪の間に入って汚れるし、食べるまでに時間がかかって面倒くさい。すでに剥かれているなら喜んで食べるけど、という話を随分前に犬飼先輩にしたことがあった。確か犬飼先輩がぶどうが好きだと言ったので、こんな話になったのだ。
最近は品種改良が進んで、皮ごと食べられたり、種がないぶどうが増えてきているとその時に聞いた。ぶどうの皮にはポリフェノールが多く含まれていて、体にいいのだという。だから皮ごと食べられるのは実に合理的なのだ。
それなのに机を挟んで目の前に座る犬飼先輩は、何故か皮ごと食べられない巨峰をわざわざ買ってきて、先程から私のためにせっせと剥いてくれている。マットな質感の立派なぶどうの表面には、白い粉のようなものが付着している。ブルームというもので、これが多くついているほど新鮮で美味しいらしい。私が何故こんなにもぶどうに詳しいのかというと、犬飼先輩のことが好きだからに他ならない。

「ほら名字ちゃん、あーん」

犬飼先輩は楽しそうに瞳を細めて、紫がかった黄緑色のぶどうを私の口元に近付けて来た。丸く透き通ったそれは、つるんとしていて瑞々しい。大人しく口を開けると、犬飼先輩は満足そうににこりと笑って、私の口にぶどうを押し込んだ。種は入っていないようで、躊躇することなく噛み砕くと、弾けて甘酸っぱい果汁が滲み出た。

「美味しい?」
「美味しいです」
「ならよかった」

ぶどうが好きなのは犬飼先輩のはずなのに、先程から自分で食べている様子がない。見ると、丁寧に皮を剥いてくれている犬飼先輩の指先は、紫色に染まってしまっている。

「スミくん先輩、そんなにしてくれなくてもいいですよ。自分で食べたらどうですか?」
「そんな冷たいこと言わないでよ。俺が名字ちゃんに食べてほしいだけなんだからさ」

犬飼先輩は結構尽くすタイプだ。気が利くというレベルではなくて、色んなことに先回りして手を打って、これでもかと言うほどに甘やかしてくる。時々遠慮してしまうけど、断られるのが逆にショックなようで、甘んずると心底満足そうにする。
私はこれがとても不思議で、あちこち動き回って疲れてしまわないのかな、と常日頃から思っていた。すると犬飼先輩は、自分の意思で尽くしたいと思う相手に何かをしてあげるのが嬉しいのだと言った。その言葉に、二人いるというお姉さんの姿がチラつく。仲は良好なようだけど、犬飼先輩の様子からして、小さい頃から色々と仕込まれてきたのは想像に難くない。
ぶどうの皮を楽しそうに剥きながら、犬飼先輩は「名字ちゃんはさぁ」と口を開いた。

「付き合う前なんかずっと遠慮してたのに、今ではすっかり甘え上手になったよね」
「甘え上手とはちょっと違うと思うんですけど……」
「そう?」
「遠慮することを諦めたんです」

そう言うと、犬飼先輩はあはは、と笑った。
犬飼先輩は持ち前の明るさとコミュニケーション能力の高さから、常に人の輪の中にいる。カゲ先輩には少し嫌われてしまっているみたいだけど、気にしていないメンタルの強さも犬飼先輩の魅力だと思う。
そんな人が、私だけに特別優しくしてくれることが嬉しくて、少し気恥ずかしい。これだけ色々してくれる犬飼先輩に、私は一体何を返せているのだろうと悩む時もある。犬飼先輩はもっと甘えてきて欲しいと言うけど、対等でない関係は嫌だ。そんなんだから、私はいつまで経っても犬飼先輩が望む「スミくん」呼びが出来ずに、「スミくん先輩」なんて呼んでいる。

「ほら、あーん」

剥いたばかりのぶどうを差し出されて、ぱくりと口の中に収めると、やはり犬飼先輩は満足そうに微笑んだ。そして犬飼先輩は皮がついたままの巨峰を自分の口に持っていくと、少し潰して実を押し出すように皮を摘んだ。手のひらに果汁が滴り落ちて、その筋を舐め取っている。

「私のはあんなに丁寧に剥いてくれるのに、自分が食べる時はそんな感じなんですか」
「いやいや、そんなもんでしょ」
「私もそんな感じでいいですよ」
「それはダメ。俺の特別な女の子なんだってことちゃんと自覚して。もっと尽くさせてよ、名字ちゃん」

溶けそうなほどに甘いセリフを恥ずかし気もなく言うものだから、まともに顔を見られなくなってしまった。それを見て犬飼先輩は目を細めて「可愛いなあ」などと言っている。
このまま黙っていたらずっと犬飼先輩のペースになってしまうので、反撃の意味を込めて必死に言葉を繋ぐ。

「私、相手にしてあげたいことって、してほしいことの裏返しだと思うんです」

犬飼先輩の手元に置かれていたぶどうの房から、一粒をぷち、ともぎ取る。

「名字ちゃん、指汚れるよ。貸して」

私の手の中のぶどうを取ろうとした犬飼先輩の手を躱して、皮の剥がれたところに爪を立てた。校則でマニキュアは禁止されているので、爪磨きでぴかぴかに研いだ爪が紫色に染まる。簡単に剥けるだろうと思っていたのだが、どんどん皮が薄くなって千切れてしまったり、強く握ってしまったせいで実が崩れてしまったりと、私のぶどうはひどく不格好になってしまった。それでもなんとか全体的に剥けたので、それを犬飼先輩の口元に差し出す。

「スミくん先輩、あーん」

自分で言っておいてかなり恥ずかしい。犬飼先輩はじわじわと口元を歪めると、「キョーレツ」と意味のわからないことを口走りながらそれを口で受け取った。

「美味しい。ありがとう名字ちゃん」
「不器用ですみません。うまく出来なくて……」
「これまで食べた中で一番美味しかったよ」
「またそんなこと言って……」
「本当だって」

犬飼先輩は非常に上機嫌だけれど、私の汚れてしまった指先を心配してか、ティッシュで拭ってくれている。

「それくらい自分で出来ます」
「でも名字ちゃん、手汚れるの嫌いじゃん」
「嫌いなことでも、スミくん先輩のためならしてあげたいですよ」

すると、犬飼先輩の顔がぶわっと赤く染まった。「今のはズルい」と言って、腕で顔を隠そうとしているので、私はもう一つぶどうを摘み取り、今度は慎重に皮を剥いていく。

「いつものお返しですよ」
「俺こんなキャラじゃないんだけど」
「どんなキャラでも好きですよ」
「うわうわ、ちょっと、もー……」

畳み掛けると、犬飼先輩は両手の付け根部分を合わせて顔を隠し、隙間から私を見た。指先が汚れているから、手で顔を隠すことが出来ないのだろう。普段飄々としている犬飼先輩のこんな姿を見られるのは、きっと私だけだ。

「名字ちゃん、抱き締めたくなっちゃったからそっち行っていい?」
「手を洗ってからなら、いいですよ」
「焦らすねえ」

犬飼先輩は力なく笑うと、大人しく席を立った。そして何故か私の背後に回る。

「ほんと、名字ちゃんには敵わないな」

そう言って、犬飼先輩は私の頬に軽くキスをして、手を洗いに向かったのだった。


20210409
あかま様リクエスト作品

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