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その映画は白いような、青いような、緑色がかったような映像で、不規則にぐらぐらと揺れた。
田舎の真っ直ぐに伸びていくような道と、空との境にある電線のシルエットはいつまでも水平なようで、突然途切れるのかもしれない風景だった。夕暮れ時の淡いオレンジ色の日の光は、演者のアウトラインを背後から優しく包むようにしながら、その表情を深く染めて陰影を描き出していた。
ただ淡々としていて、静かに流れていく時の中で、名前は少しも動かず、しかし自然な体勢でテレビから一度も視線を外さなかった。
不気味な程にゆったりとした沖縄民謡が流れる昼下がり、少年が水を張った田んぼの泥水の中を全裸で泳がされているシーンも、オレンジ色の花が咲き誇る夏の庭で、売春させられた少女が穢れを落とすように、制服姿のまま頭からホースで自身を濡らしていたシーンも、主人公の唯一の心の支えだった歌手のライブチケットを同級生に破られたシーンも、名前はたじろいだり息を飲む様子など一切見せなかった。
隣に座って同じものを観ていた荒船は、映る景色全てが美しく、登場人物達に救いがなく残酷で、誰も幸福にしないその映画の中盤で集中力が途切れ、それからは名前の機微に気を配っていた。瞬きする気配すらも察知していたはずだった。それなのに、ふと気が付けば名前は音もなく、ひっそりと涙を流していた。顔を歪めることなく、素の表情から流れ落ちる涙は、顎を伝って名前の服に滲んでいた。濡れたまつ毛は窓から差し込んだ光で煌めいている。
いつから泣いているのか、一体どのシーンが琴線に触れたのかわからないまま、物語はエンディングを迎えた。青々とした一面の田園地帯、少し黄色くなった稲穂に、収穫され何もなくなった田園。そのシーン一つ一つに人物が佇み、ヘッドフォンでおそらく同じ音楽を聴いていた。
生温い水のような映像が終わり、再生画面に戻っても、名前の目線は未だテレビの向こうへ引きずられていた。荒船は何と声をかけたらいいかわからないまま、常温に戻ったお茶に口を付ける。そして、名前が何故この映画を一緒に観たがったのかを考えた。

これまで荒船と名前が共に観たものは、アクション映画にミステリー、コメディとジャンルは様々だったが、海外映画が多かった。
二人は映画が終わればすぐに話し合って感想を言い合い、その映画から想起された他の作品を掘り起こして次回に鑑賞したりしていて、意外にも引き出しが多い彼女を荒船は好ましく思っていた。時には意見が反発することもあったが、それも鑑賞の際の醍醐味だとお互いに理解していたため、最後にはプレゼンのようになって白熱したこともある。新作が公開されれば映画館に足を運び、食事をしている時も、帰り道の最後まで会話が途切れることはなかった。
そんな中で、今回のような重苦しい内容の邦画が自然と避けられていたのは、単に彼女の好みではないからだと荒船は思っていた。今思えば話題に上がったことすらない。そのため、名前がこの映画を見たいと言ってきた時、荒船は少なからず動揺した。
一部の界隈では絶大な人気を誇っているが、人を選ぶ内容だということは知っていて、出演者のクレジットを見れば見知った俳優がずらりと並んでいるのには驚いた。そんな作品を名前が今になって観たがる理由に、荒船は微かな心当たりがあった。
荒船は名前に数週間前にした告白の返事を保留にされている。
二人の間にはずっと恋人のような雰囲気があり、それをお互いに理解していた節があった。混じり合いそうな境界線の均衡を先に破ったのは荒船だった。
荒船の言葉を受けた名前は少し時間がほしいと言ったものの、これまで通り接して来るので、荒船は遠回しに振られたのだと思っていた。
それが今日、こうして名前が荒船の部屋に来ることになり、告白をした手前身構えていたのだが、普段通りサブスクリプションで映画を観る流れになった。そして荒船は、この映画が名前が告白を保留にした一因なのだろうと理解した。
名前は濡れた頬を指先で拭うと、小さな溜息を吐いた。

「泣くつもりではなかったんだけどな」

名前は涙脆い。映画の泣き所では殆どの確率で泣いていて、顔をぐしゃぐしゃにした。しかし今回のような、気配の無い泣き方をするのを、荒船はまだ観たことがなかった。

「泣くところあったか。これーーー」
「待って」

感想を言い合う流れだと思っていたが、言葉を続けようとした荒船に割って入るように名前が口を開いた。その表情は曇っていて、荒船は押し黙る。

「ごめん荒船。私この映画は、そういう感想とかあんまり聞きたくないんだ。自分の中に留めておきたくて……」

こう言われてしまったら、了承するしかない。荒船は「わかった」と頷いて、名前が何かを伝えて来るのを待っていた。
名前は余韻に浸るようにゆったりとした表情で、同時に戸惑った様子も見せていた。自分の中の思いを言語化するための時間をたっぷりと使って、少し俯きながら話し始める。

「私、一番好きな映画は何って聞かれたら、これを答える。もちろん荒船と一緒に観てきたみたいな映画もすごく好きだし、これからも二人で観たいなって思うよ。でも、多分私が自分のことを見つめ直す時に必要なのはこういうやつで、それを誰かと観たいとは思わないんだ」

これは告白の返事なのだろうか、と荒船は思考を巡らせた。どう受け取ったらいいかわからないが、彼女の言いたいことを拾い上げる。これからも二人でいたい。しかし、内面に触れるようなものを共有したくない。どこか矛盾を孕んでいる言葉に、荒船はまた少し考える。

「だったら名前はどうしてこれを俺に観せたんだ?」

名前の言葉と行為の矛盾。それを突くと、彼女は唇を噤んで、膝を抱えた。名前の髪が一房揺れる。

「そうだよね。でも知って欲しくて、私のこと。こういうものが好きな私丸ごと、受け入れてくれるのか試したかった、のかな?」

名前の横顔から覗くまつ毛が震えるのを、荒船はじっと見つめていた。荒船はふと口元を歪めると、不安そうに膝に顎をつけて座る名前の頭を乱暴に撫でる。

「別に趣味が合うからってだけでお前に告白したわけじゃねえからな。そもそも完全に一致する方が珍しいだろ」
「……確かに」
「俺が興味ないものを好きな名前も、俺が好きになった名前だろ。それで済む話だ」
「荒船ってキザだよね」
「だったら何だよ」

照れ臭くなって後頭部を掻く荒船に、名前はくすりと笑う。そして、うん、と自信を納得させるかのように数回頷くと、ちらりと荒船を見た。鴇色に染まった頬の曲線が、気恥ずかしそうに歪む。

「荒船、私と付き合ってくれますか?」
「俺はずっとそう言ってるだろ」

口角を上げて即答した荒船に、名前は安堵したように微笑んだ。強張っていた身体がふにゃりと緩んで、ベッドにもたれかかる。

「えへ、よろしく」
「おう」

居た堪れない空気にぎこちなくなる。これ以上付き合うということについて何を話せばいいのか分からなくなっていると、ふいに荒船が口を開いた。

「そういや、さっきの映画のライブ後のシーン、すげえ既視感あると思ってたんだが」
「ん!」
「もしかして桐島部活の屋上に行くシーンってこれのオマージュか?」
「絶対そうだよね! 作中で名前出てるし! てか荒船それは観たんだ!」
「話題になってたからな」

先程までの雰囲気が嘘のように、興奮した様子の名前が身を乗り出した。輝くような表情に荒船が満足気に笑う。
テレビからは映画のティーザービデオが繰り返し流れている。何度同じものが再生されたのかはわからないが、二人の話は尽きること無く、部屋から弾むように漏れ出していた。


20210330

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