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辻は自動販売機の前で、「あ」だとか「え」などと口ごもりながらオタオタしている。自動販売機からぞろりと出ている千円札から目が離せない。はっきり数えたわけではないが、間違いなく九千円だということがわかった。おつりを取り忘れた張本人、名前の去っていく背中と目の前の札を見て、辻は困り果てる。

個人ランク戦を終え、何か飲もうとロビーにある自動販売機に向かうと、名前が何かを買っているところだった。
辻と名前は同級生で隣のクラスだ。お互いに面識はあるが、辻の女性が苦手という性質のせいでほとんど話したことはない。向こうも辻の特性を知っており、特別な用事がない限りは関わって来なかった。そんな距離感のため、辻は名前が買い終わるのを少し離れたところで待っていた。
札を入れた名前は、ボタンを押すとおつりの小銭を回収し、飲み物を持って離れていく。不自然にならないよう、今来たばかりという体で辻が自動販売機に近づくと、先程の有様だった。
さすがに、見過ごすわけにはいかない。助けを求めて、他に誰かいないかと辺りを見回してみたが、顔も知らないC級がちらほらいるだけで、誰かに渡してくれるよう頼むわけにもいかなかった。汗をかきながら札を引っ張り出すと、やはり九枚ある。一万円を入れて、小銭だけ取って忘れたのだ。名前の意外な一面を微笑ましく思う反面、これを今から届けるとなると気が重い。物ならともかく、金銭なら尚更だ。それに加え、辻が悩んでいる間にも名前の背中は小さくなっている。このタイミングで渡さなければもっと気まずくなる未来が見えた辻は、意を決して名前を追いかけた。

「名字、さん……!」

走りながら声をかけたが、辻の消え入りそうな声に名前は気が付かない。もう一度「名字さん」と出来るだけ声を張ると、ストローを咥えた名前がくるりと振り返った。思わぬ人物から声をかけられて目を丸くする名前に、辻がまごつきながら札を差し出す。

「こ、これ……。忘れ、えっと……あ……」

伝えたいことをほとんど言えず、辻の頬が染まっていき、全身から汗が滲み出る。目線もうろうろと落ち着かない。しかし名前は、辻から差し出されたものを見ると、一瞬で物事を理解し、辻以上に顔を赤くした。想像していなかった反応をされ、辻はさらに緊張してしまう。

「う、うそ……。やだ、うわー!」

じたばたして「恥ずかし過ぎる!」と顔を隠した名前は、羞恥でへたり込んでしまった。辻はどうしていいかわからず、札を差し出した体勢のまま固まる。名前は泣きそうな目でそんな辻を見上げると、札をそっと受け取った。

「本当にありがとう……」
「う、うん……」
「恥ずかしいから誰にも言わないでくれる?」
「言わない……」
「ありがとう。買ったものより高い金額忘れるなんてバカだよね」
「あ……でも、気づいたから……よかった」
「うん、助かりました」

赤みが引かない顔で、名前がへらりと笑う。辻はその表情にどきりとして、それを隠すように「それじゃ」と短く言うと、当初の目的も忘れてその場を後にした。

翌日、昼食を食べ終えた辻が次の授業の準備をしていると、名前がとことこと寄ってきた。まさか自分の元へ来るとは思っていなかった辻は、混乱しながら目線を落とす。すると名前は、辻の机の前にしゃがみ込むと、彼の顔を見上げた。

「辻くん、昨日はありがとう」
「えっと、いや……うん」
「それでね、大したものじゃないんだけど、お礼にこれあげる」
「あ、ありがとう?」

机の上にぺらりと薄い長方形の紙袋が差し出される。汗ばむ手でそれを開けると、中から一枚のシールシートが出てきた。図鑑風の台紙に、リアルな恐竜と、恐竜の名前と説明文が書かれた小さなシールがひしめき合っている。

「辻くん恐竜好きだって聞いたから。それでね、恐竜好きな人って、デフォルメの恐竜が好きじゃない人もいるかもしれないって思ってそれにしたの。よかったらもらって。使わないかもしれないけど」

シールと名前の顔を交互に見れば、彼女がへらりと笑った。ぶわ、と汗が出る。辻は女子と話す際、緊張から常に汗をかいてしまうが、今回はその比ではなかった。自分が何故そうなっているのかを理解してしまった辻は、どうしようと狼狽える。

「じゃあね」
「あ、うん……」

名前がいなくなり、緊張も解けてきた辻は自分を落ち着かせるように長く息を吐くと、シールをまじまじと見つめた。シールだなんて小学生以来だ。ふと台紙の面をひっくり返すと、そこには本体の金額が書かれたバーコードシールが貼られていた。金額を消し忘れたのも名前のミスなのだろうと、辻は小さく笑う。
透明なビニールから台紙を抜き取り、ティラノサウルスのシールを剥がした辻は、机に出ていた数学のノートの、自分の名前の横にそれをぺたりと貼り付けた。ノートの上でティラノサウルスが咆哮する。なんとなくおもしろくなってきてしまい、机の中にあった国語のノートにも、同じ場所にステゴサウルスのシールを貼り付けた。ついでに「足跡の化石」と台紙に書かれた使い所のないシールもぺたりと貼る。他に何かないかと思った辻は、自分のスマートフォンの手帳型ケースを開くと、内側のカードケースになっている面の汚れを袖口で拭き、トリケラトプスのシールを貼り付けた。剥がれないよう念入りに親指で擦り付ける。辻は台紙をビニールに丁寧に戻し、大事にカバンの中に仕舞った。

「あれ、辻ちゃんケースに何貼ってるの?」

防衛任務が終わり、友人からのメッセージに返信していた時だった。ケースの半分を折り返していたため、カードケースの面が外側から見えていたらしく、犬飼が目敏くトリケラトプスを発見した。辻はぎくりとしたが、涼しい顔で答える。

「トリケラトプスですよ」
「そんなの昨日貼ってなかったよね。どうしたの?」
「えっと、もらいました」
「誰に?」
「名字さんです」
「名字ちゃん? 何で?」

犬飼の誘導尋問にまんまと引っかかってしまった辻は、しまった、と口を結んだ。昨日、名前に秘密にしてほしいと言われていたのを思い出して、必死に言葉を選ぶ。

「……忘れ物を届けたお礼です」
「へえ、辻ちゃんが」

きゅう、と犬飼の目が三日月を描く。確かに、辻があまり話したことのない女子の忘れ物を届けるのは不自然だ。しかし犬飼はそれ以上は追求せず、「見せて」と言って辻のケースに顔を近づけた。

「名字ちゃん、お礼にシールってファンシーでかわいいね」
「そうですね」
「あれ、肯定するんだ。珍しい」
「素直にかわいいなと思ったので」

男子しかいない場でならこういった話をすることが出来る。犬飼は何かを察したかのように「ふうん」と笑う。生暖かい視線を向けられて居心地が悪くなった辻は、ケースをぱたりと閉じてポケットに仕舞った。

「協力しようか?」
「そんなんじゃないですから」
「あれ、そうなんだ」
「犬飼先輩、からかいたいだけですよね」
「いやあ、前に名字ちゃんと廊下で話してたら、同じクラスの奴が名字ちゃんのことかわいいって言ってて」
「えっ」

しまった、と思った時には、犬飼の術中にハマっていた。赤くなる辻を見て犬飼は満足そうに笑う。

「まずはまともに話せるようにならないとね」
「はい……」

犬飼に隠し事は出来ないと悟った辻は、大人しく頷いた。次に名前に会ったら、絶対に意識してしまって今以上に話せないだろうな、と思いながら、辻は小さくため息を吐いた。


20210317

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