「凌牙って反抗期に突入してない?」
温かいマグカップを両手で包み込んで名前は小首を傾げた。神代家のダイニングテーブルには切り分けた手作りケーキが置かれている。璃緒の皿の上には『璃緒 誕生日おめでとう』の文字がミルクチョコレートのペンで書かれている薄いウエハースと食べ掛けのケーキが乗せられている。璃緒が座る対面の席には、まだ手がつけられていないケーキと『凌牙 誕生日おめでとう』と書かれたウェファースが置かれているが、それを与えられたはずの凌牙の姿がない。
「真っ直ぐ帰って来てって言ったのに。璃緒、連れてきてくれなかったの?」
「迎えにいったら既にいなかったわ」
璃緒は澄まし顔でケーキにフォークを入れた。今日は凌牙と璃緒の誕生日だ。隣の家に住んでいる名前と彼等は昔からこうして誕生日を祝っている。ささやかなパーティーに対する態度は、名前と璃緒は変わらないのだが、凌牙だけは年々悪い方向に向かっていた。去年は嫌々参加していたが、今年はついに姿を見せない。名前はその理由を反抗期だと思っていた。
「今年は手作りバースデーケーキなのに」
はあ、と名前が溜め息をつく。名前はこのケーキを作るために数日前から練習を重ねていた。
「いいじゃない。それに、たまには私だけを祝ってくれると嬉しいわ」
暗い顔をしている名前を他所に、璃緒は満面の笑みを彼女に向ける。凌牙が参加してくれないことは名前にとってはショックな出来事だが、璃緒にとっては寧ろ都合が良いらしい。
「きっと凌牙もそうなのよ」
「え?」
「わからない?」
璃緒が瞳を細めて怪しく微笑する。璃緒が言いたいのは、双子だからといって同時に祝われるのではなく、個人的に祝われたいという意味だ。それに気付いた名前は小さく笑う。
「そんな子供みたいなことをねぇ?」
「あら?少なくとも私は名前よりも子供だわ」
大した差はないのだが、名前は璃緒よりも年上だ。幼い頃から姉妹のように育っているので、そこに上下関係は存在していない。
「凌牙が帰ってきたら名前の家にお礼に行かせるから、その時に話せばいいわよ。だから今だけは私の名前。よろしくて?」
「はい、お姫様」
おどけて言う璃緒に名前が恭しく頭を下げれば、二人は思わず噴き出してしまう。璃緒の表情は心の底から幸せそうだった。
●
璃緒と別れ、帰宅した名前が雑誌を捲っていると、ふいにインターホンが鳴った。雑誌を閉じて玄関の扉を開ければ、そこには照れ臭そうな顔をした凌牙が両手をスラックスのポケットに入れて立っていた。制服のままでいるので、どうやら帰宅してすぐにここに来たらしい。
「凌牙。今帰ってきたの?おかえり」
「ああ」
「ケーキ見た?今年は手作りだよ」
「知ってる。帰ったら食う」
名前は見た目の感想を聞きたかったのだが、凌牙は堅く口を閉ざしてしまっている。それは一種の照れ隠しなのだが、素直に感想を聞きたい名前にとっては厄介なものだった。仕方がないので話題を変える。
「凌牙、反抗期でしょ」
「はあ?なに言ってんだお前」
「じゃあやっぱり璃緒の言う通りなのかな?」
「璃緒?あいつがなにか言ったのか?」
凌牙が訝しげに眉を寄せる。嫌な予感を感じ取ったらしい。名前は込み上げてくる笑いをこらえながら凌牙を小突いた。
「まとめて祝われたくなかった?」
「なっ!有り得ねえ!」
「照れなくていいのに」
「違ぇって言ってるだろ!あいつの言葉を鵜呑みにするな!」
凌牙は全力で否定しているが、名前は確信していた。冷静な凌牙がこうして声を荒げることは返って肯定を意味している。声に出して笑わないように無言で肩を揺らせば、凌牙はげんなりして額に手のひらを当てた。
「凌牙、誕生日おめでとう」
「……さんきゅ」
名前はこれまで二人の考えに気付かなかったことを後悔していた。一体何年前からこう思っていたのだろうか。名前は目の前にいる凌牙に聞いてみようと思って口を開きかけたのだが、凌牙がやけに嬉しそうな表情をしているので、この疑問は先伸ばしにしてしまおうと言葉を飲み込んだのだった。
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