Ep.04


見てはいけないものを見てしまったと思った。 運が悪いとしか言いようがない。 自分の恋人が自分以外の女の子と、楽しそうに歩いているところを見てしまうなんて。 彼に限ってそんなことがあるなんて、昔は思いもしなかった。 時の流れは残酷だ。 良くも悪くも人を変えてしまう。 昔は人と接することや関わることを避けていた彼でさえも、 今や自分が知る以外の女の子と、ましてや仮にも恋人と言う存在がいるにも関わらず、 二人きりで出掛けてしまうような男に変えてしまうとは。 とは言え彼とて歴とした男なのだ。 彼が自分だけしか見ていないなどという自信は、 結局のところ思い込みに過ぎなかったのだろう。 いくら付き合い始めた当初の彼が自分にそう言ってくれた事実があるとしても、 今現在もそれが変わっていないとは限らない。 もしその恋人という存在との関係が良好でなければなおのこと。 それなのに、光子郎に限ってそんなことはないだろうなどと思い込んでいた自分が恥ずかしくなってしまった。


「すみません、朝から体調が悪くて…今日は早退してもいいですか?」


が職場の上司にそう告げたのは昼時を過ぎ、所謂おやつ時に差し掛かろうとする頃だった。 二日酔いと言うほどではないが、 昨夜先輩に付き合ってもらった飲み会での悪酔いが尾を引いているのは言うまでも無かった。 決して飲み過ぎたわけでもない。 元から酒に強くない体質である上に、 上手くいっていない光子郎との今の関係に悩む最近のメンタルには、アルコールは刺激が強過ぎたらしかった。 加えて店員さんや他のお客さんに驚かれるほど居酒屋でボロ泣きしたのだ。 涙という形で水分を体から出し過ぎたせいか、 一晩良く眠ったとはいえ、朝からずっとふとした瞬間の軽い頭痛に悩まされていた。


「大丈夫か、?最近忙しかったせいか顔色もあまり優れなかったしな…。今日はもうピークも過ぎたし返って休んでいいぞ」


上司のその言葉に頭を下げ、は自分のデスクへと向かう。 ふらつく頭に顔を歪めると、ふと上げた視線の先で自分のデスクに腰掛けた例の先輩が心配そうにを見ていた。 思わず苦笑いを返すと、無理するな、早く帰れと言わんばかりに、会社から追い払う様な手振りをされてしまった。 はそれに小さく反応を返してからバッグを肩に掛ける。 会社を出て駅に向かうとまだ早い時間なのもあって、 街中は裕福そうな主婦層や学校終わりの学生で賑わっていた。 街の喧騒が頭に響く。 自分が思っているより本当に体調が良くないらしい。 大人しく早く家に帰ろうと、重い足を引きずりながら駅に向かう。 が前方の人混みに見知った顔を見付けたのは、もう少しで駅に辿り着くという寸前のところだった。 まさかという驚きのあまり、思わずそちらを二度見をすると、そこでようやく彼女の頭が冷静にその人物を認識する。

光子郎だった。

何故彼がこんなところに、と思うより先にその場で足が止まった。 昨夜職場の先輩の前で大泣きしたことで、彼との関係に悶々としていたその悩みは概ね晴れ掛けていたものの、 昨日の今日で光子郎と対面する覚悟は、はまだ出来ていなかった。 どうしよう、声は、掛けるべきだろうか。 彼はこちらに向かって歩いて来ている。 今はまだこちらの姿に気が付いていないとはいえ、さすがに擦れ違い様には自分の存在に気付くに違いない。 となると気付かない振りをしてスルーするわけにはいかなさそうだ。 ずっと連絡の無い彼に対してどう接したら良いか気まずさは拭えないが、 こうなってしまえばもう当たって砕けるしかないだろう。 砕けたくはないけれど、今日ここで偶然にも彼に会ってしまったことは何か意味があるのかもしれない。 だとしたら尚更何もせずには終われない。 その期待を一心にが口を開こうとしたその時、 人混みが捌けた視線の先、光子郎の隣に見知らぬ女性の姿を見付けた。


「こうしろ、う?」


目の前の光景への衝撃のあまり、無意識に発したの言葉に光子郎の視線がこちらを捉えた。 自分の名を呼ぶ声に反応した彼はこちらの存在に気付くなり、 『、さん』とだけ口にし、驚いたように目を見開いてを見た。 と同じようにその場で立ち止まってしまった光子郎の様子に、 彼の隣にいた女が驚いた顔で彼を振り返る。 呆然と立ち尽くし、気まずそうに視線を交わし合うと光子郎の様子を、彼女はさぞ不思議に思ったことだろう。


「光子郎くん?」
「…えっ、あ、、、」
「突然立ち止まって…どうかしたの?」
「えっと、その」


はっきりとしない光子郎の様子に首を傾げた彼女は、 どうしたのだとようやくそこで彼の視線を辿る。 するとそこにの姿を見付け、きょとんと目を丸くした。


「あ、もしかしてお知り合い?」


彼女が光子郎にそう問い掛けた。 尋ねられた光子郎は『え、えっと、その』と未だに言葉を濁している。 首を傾げる女と、自分達の関係性を問う彼女の問いにはっきりとした返答をしない光子郎。 目の前でそんな2人の姿を目にした途端、ああ、そうかとは全てを察してしまった。 今の光子郎には自分を『恋人』だと言えない理由があるのだろう。 やはりそうだったのか、彼が自分に連絡をくれなくなったその理由は。 自分への気遣いや配慮などではなかったのだ。 つまりそれは―――自分はもう随分と前から彼に見限られていたということ。 光子郎が自分だけしか見ていないなどという考えは、ただの自分の幻想に過ぎなかったのだ。 早く言ってくれれば良かったのに。もっと早くそう言ってくれればちゃんと別れたのに。 一番避けたかった悲劇的な結末を目の前に突きつけられて、は言葉が出てこなかった。 それでも泣きそうになる感情を何とか押し止めて、顔を上げる。 抜きの新しい未来を見付けた光子郎が、に対して後ろめたさや罪悪感を感じるあまり、 自分達の関係性を光子郎がはっきりさせられないというのなら。 自分がこの場で全てをはっきりさせ、終わらせるのが、年上としての自分の役目だろうとは思った。


「えっと、、その、彼女は―――」
「ただの友人です」


言葉を濁しはっきりしない光子郎の代わりに、が決定打を打つ。 努めて柔らかく笑顔を張り付けたような表情を向ければ、 光子郎の隣に立つ女は驚いたように目を瞬かせる。 の言葉に一瞬絶望したような顔をして唇を噛んだ光子郎の様子など、その女は気が付かなかった。


「えっ…そ、そうなんですか?」
「ええ、まさかこんなところで久しぶりに光子郎くんに会うとは思わなかったので…びっくりしてしまって、ごめんなさいね」
「いえ、ごめんなさいだなんて、そんな…!」
「お二人はデート中でしょう?邪魔してしまったら申し訳ないので、私はこれで失礼しますね」
「えっ、で、でも久しぶりに会ったのならお話されたいのでは…?」
「お気遣いは不要です、お二人で楽しんで下さいね、それでは」


作り笑顔を張り付けたまま強引に別れを告げるに圧倒されたのか、 女は苦笑いを浮かべたまま、に向かって小さく会釈をした。 それを確認したが何も言わずに光子郎の横を通り過ぎる。 の気配が自分から遠ざかっていくのを背中で感じながらも、 光子郎はその場に立ち尽くすことしか出来なかった。










俯いたまま家路を急ぎながら、は唇を噛み締めていた。 何も言わない光子郎に背を向けたのは自分だ。 だからこそ先程目の当たりにした現実に対して、 悲しい、腹が立つなどと感じる権利さえ自分にはないこともわかっている。 それでも仕事が忙しいあまりに、余裕の無さから彼に連絡をしなかった自分を棚に上げ、 その間に自分以外の女の子と楽しんでいたのだろう光子郎を責める言葉ばかりが頭に浮かんだ。 ずっと会いたいと思っていたのは自分だけだったのだろうか。 連絡が無いのはもう自分が彼にとっての特別では無かったからなのだろうか。 だとしたら彼にとって自分はいつまでも特別で、 連絡を取り合えずとも心のどこかで繋がっていると信じていたなんて、 自分はなんと浅はかで自惚れていたのだろう。 それを直接光子郎に告げられたわけではない。 それでもあれほどの衝撃的な場面を目の当たりにしてしまえば、 はそう思わざるを得なかった。 何より自分達の関係性を言葉にすることを拒み、 背を向けた自分を光子郎があの場で引き止めなかったことが、全てを物語っているとは感じていた。 終わった。これで全てが終わった。 いや、自分が自分の手で終わらせたのだ。本当はそれを望んでいなかったというのに。

涙はいつか枯れるなどと、よく言ったものだ。 昨夜散々先輩の前で泣き続け、てっきり自分の涙の泉は干上がったとばかり思っていたが、 どうやらそんなことはないらしい。 は家に帰り着くなり電気も付けないまま、真っ暗な玄関で泣き崩れた。


(20211018)

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