Ep.03


「おいおい、お前そんなことで悩んでたのかよ…はあ、やっぱり若いって良いなー…」


自分を見つめる先輩の呆れた様な表情に、は思わず怪訝な表情を浮かべた。 恋人との関係に悩み思い詰めた様子の彼女を心配した先輩が 『よし!今日はパーっと飲みに行くぞ!!!』と誘ってくれたのは良いが、 相談に乗ってくれるどころか、 ただ単純に先輩は酒が飲みたかっただけなのではないかというほど良い飲みっぷりを披露してくれるので、 は思ったより自分の酒が進んでいないのが現状だった。 それにそこまでお酒に強い方でもない。 大学時代はサークルの飲み会で調子に乗って飲み過ぎた結果、 『そんなに飲んだら駄目だと言ったでしょう!飲み会参加禁止にしますよ!』と光子郎に怒られたことがある程だ。 ほんの1、2年前のことなのに、しばらく彼に会えていないせいでそれすら随分と昔のことに感じてしまい、 は胸が締め付けられる思いがした。


「先輩あの…もしかしてもしかすると、私のこと馬鹿にしてません?」


が眉を寄せてそう言えば、先輩は心底心外だと言う顔をして彼女を見遣った。


「なーに言ってんだよ、大体な、彼氏に会いたいのに素直に会いたいって言えないとか、そういうピュアな悩みや葛藤は若い頃特有のもんなんだよ」
「はあ、」
「俺にもそんな悩みがあったかなと思ってな…思い返したら青春時代が懐かしくなったんだよ」


過去へ意識をやるように、一人遠くを見つめ始めた自分の先輩の様子を見て、 この人は本当に自分を慰めてくれる気があるのかと疑問に思った。


「まあ俺が言いたいのは一つだけだよ、人生短いんだから後悔しないように生きろってことだな」


一人自分の世界に入り込んでいた先輩から視線を外し、 しょぼくれたように静かに自分のグラスに口を付けていたは、 突然投げ掛けられた先輩からの助言にふっと視線を上げる。 彼女がグラスをテーブルに置けば、色鮮やかな液体が入ったグラスの中で氷がからんと音を立てた。


「何だかそれってすごくアバウトなアドバイスじゃないですか?全然役に立たない…」
「おまっ、人が折角相談に乗ってやってるってのに何つー生意気な…」
「それが出来ていたら、こんなに悩んでないってことですよ」


むくれるように少し頬を膨らませた後輩を見詰めながら、彼女の先輩は困ったように頭を掻いた。


「お前の話を聞いて俺が一番思ったのは、お前らがお互いに相手に遠慮し過ぎてるってことだな」
「自覚がないんですけど、やっぱり気を遣い過ぎてるんでしょうか?」
「お互い好き同士なんだし付き合いも長いんだったら、今更そんなに遠慮する必要はないと俺は思うけど」
「相手が昔から私に遠慮してばかりの人なので、自然と自分もそうなってしまうというか…」
「おいおい、何でお前までそうなっちまうんだよ」
「だって向こうが遠慮してくれてるからって自分がそれに甘んじるのは違うと思うし、年上の自分が我儘を言って彼を困らせるのも嫌ですし」


先輩が心配そうに自分を見つめるその瞳を見つめ返すことが出来なくて、は再び俯いた。 そんな彼女の様子に気付いた彼は、小さく息を吐いてから確信を突くことにした。


「お互いに好きでずっと一緒にいたいと思うなら、ちゃんと本心で向き合うようにしないと続くものも続かないぞ」


真剣なまなざしで自分を見詰める先輩の言葉は、今のに重く圧し掛かった。 指摘されずともそんなことはわかっていた。 頭では理解しているのに自分にはそれが出来ないから、だからこそ辛いのだ。 早い段階でそれに気付いていれば既に対処できていたかもしれないのに、 相手に気を遣い過ぎて、更には仕事に忙殺され、それを言い訳に現実から目を背けていたせいで手遅れになってしまった。 実際のところもう手遅れなのかはわからないけれど、 問題を解決しようと自分から踏み出すには少しばかり相手に距離を置き過ぎてしまったのだ。 仕事にかまけて連絡も取れずにいた自分に気を遣ってくれたのであろう光子郎は悪くない。 それに甘んじて大丈夫だろうと思い込んでいた自分が悪いのだ。 全ては自分の考えの甘さとふがいなさが招いたことだ。 光子郎との関係に対しての不安を仕事に忙殺されることで忘れようとしたせいだ。 今更それを後悔しても遅過ぎることはわかっていた。 悔しかった。何がいけなかったのか、今、そしてこれから自分がどうすべきかわかっているのに、 光子郎の気持ちがもう自分には無いのではないかという一抹の不安のせいで動けない。 動き出した結果、彼に突き放されるかもしれないという可能性への恐怖心に苛まれてしまう。 アルコールが回っているせいなのか、感情的になる気持ちを抑えられずに思わずの目頭が熱くなった。


「…っ」
「ったく、ほら、泣きたいなら泣け!どうせ俺しか見てねーから!な?!」


光子郎に会いたくて、でも会いたいのに会いたいと言えなくて、 仕事の悩みを彼に聞いて欲しいのにそれが叶わなくて、 柔らかく笑う光子郎の大好きなあの笑顔が見たいのに、見たいと願うことしか出来なかった。 わんわんと大声を上げて泣いてしまいたいと思うほど、ずっと前から辛かったのに、 泣いていいのかわからなかった。努力を怠った自分には涙するその権利すらないかもしれないと。 泣きたいのに泣けなかった、だからこそずっと辛くて、一人で悶々としていたのかもしれない。 泣いていいと言ってくれた先輩のその優しい言葉がそっとの背を押したとき、 タガが外れたようにの瞳から一筋の涙が零れた。 一度そうなってしまえばもう止まらなかった。 目の前で自分より年上の男があやす様に自分を見守る中で、 何かが弾けた様に大粒の涙が幾筋ものその頬を伝ったのだった。











「うう…頭が痛い…」
「そりゃああんだけ泣けば痛くもなるわな」


涙が枯れるのでないかと心配になるほどが泣き続けている間、彼女の先輩であるその男は何も言わなかった。 嗚咽が零れるほど泣いたせいで思わずの喉が詰まり、彼女がむせてしまった時には、 隣に座って背中をさすってくれた。 散々情けない姿を見せたあとも、先輩はそれについて何も言わなかった。 が泣きやみ、呼吸が落ち着いた頃には水を飲ませてくれて、 いつの間に頼んでおいてくれたのか温かいおしぼりを手渡してくれた。 なぜ付き合いの短い先輩にはここまで心を許し、情けない泣き言も言えるのだろうか。 きっとそれは彼と言う人が他人に嘘をつかない人だからだ。 思ったことははっきり言うし、例え相手が傷付くようなことでも相手が知るべきことは言葉にして教えてくれる。 本音で誠心誠意対応してくれる人だからこそ、自身もありのままの自分で彼に接することが出来るのかもしれなかった。 はそこに自分と光子郎との関係を改善するための答えを見つけた気がした。 そうだ、まさにこの関係性が自分達の間には足りないのである。


「おい、何ぼーっとしてんだよ…大丈夫か?」
「え、っわ!!!」


ぼんやりとそんなことを考えていたは、 先輩が突然至近距離で自分の顔を覗き込んで来たせいで思わず大声を上げてしまった。 やはりこの先輩は自分に対しての距離が近過ぎるのではないだろうか。 それだけ彼にとって自分は、異性というよりもただ世話の焼ける妹のような存在なのかもしれないとは思った。


「ちょ、ちょっと先輩!顔が近いです、って!」
「は?さっきまで散々俺の目の前でぐっちゃぐちゃになった情けない顔晒してたくせに今更何恥じらってんだよ」
「それとこれとは話が違います!近い!って言うか顔の表現の仕方ひどくないですか!?」
「…お前っていろいろ動じなさそうに見えて突然妙なところで恥じらうよな」


真面目な顔をした彼の指摘に『う、うるさいですよ!』とが言葉を返せば、 先輩は『素直じゃなさそうに見えてお前も可愛いとこあるよなって褒めてんだよ』と零すので、 羞恥のあまりの顔がますます赤くなる。 からかわないでください!とが反論すれば彼はおかしそうに笑った。 『まったく、もう!』とごちたが彼をその場に置き、先に駅へと向かおうと踵を返す。 と、先輩の視線が自分以外の何かを捉えていることに気が付いた。 不思議に思ったが彼のその視線を追えば、それは自分達の背後に向けられていた。


「先輩?どうかしたんですか?」
「え?あ、いやな、今、お前ぐらいの年頃の若い青年が俺達をじっと見てたんだよ」
「青年?誰ですかそれ、先輩のお友達ですか?」
「いや、」
「いや、なんです?」
「そいつがな、俺と目が合うなり会釈したからさ」
「会釈ってことは…、やっぱり先輩の知り合いだったんじゃないですか?昔の後輩とか」
「俺の知り合いじゃねえよ…でも多分、お前の知り合いだったんじゃねえかと思って…」


訳が分からないとが首を傾げれば『まあいい、彼もう居なくなっちまったし』と先輩が言ったので、 涙が枯れるほどに気が済むまで泣き終え、 数時間前まで悶々していたはずの気分がすっかり晴れていたは、特別そのことは気にもしなかった。 数日経ってもう少し自分の気持ちが落ち着いたら光子郎に連絡を取ってみようかなどと考え始めていて、 今の彼女にとってはそんなことなどどうでも良かったからだ。

その時のはまさか先輩の言うその『青年』の正体が実は光子郎であって、 彼がと先輩2人の親しげな姿を見るなり絶句し、 悔しそうに唇を噛んでその場を去ったことなど、知る由もなかったのである。


(20210904)

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