「ディーノ」
一通り挨拶回りが終わっていたディーノは、
不意に掛けられた声に足を止める。
彼の視線のすぐ先には達、3人の姿が見え、彼等の元に戻るところだった。
「やっと捕まえた、人気者過ぎて全然私に構ってくれないんだもの」
掛けられた声の方へ視線をやればそこには例の女の姿。
何度断りを入れても自分のことを諦めないとある御令嬢。
そもそもそんな事態を招いたのはディーノ自身だったが、
まさかここまで彼女が自分に執着するとは思ってもみなかったのだ。
「ねえ、久しぶりなんだから今日は一緒に過ごしましょうよ、明日の朝まででも構わないし」
「はあ…言っただろ、俺には婚約者がいる。今日は彼女も連れて来てるんだ」
「へえ、婚約者なんててっきり私から逃げるための嘘だと思ってたけど、本当なの?それってあの子のことでしょう?」
何処かへと冷たい視線を送る彼女の目線を追えば、それはの元へと向けられていた。
「婚約者だという割には随分と他人行儀よね」
「何だって?」
「貴方と彼女、あまり親密そうには見えないって言ってるの」
ディーノは痛いところを突かれたと思った。
いつの間に彼女と一緒にいるところを見られていたのか。
世間一般的に言われる恋人同士の距離感が自分達にはない。
自分達にそれほど関心がない人間にとってはそんなことはどうでもいいだろうが、
めざとい者は自分達のその微妙な距離感に気付いてしまうだろう。
確かにそういう自覚はあったがいざ彼女に指摘されてしまうと、
『…そんなことはない』と否定するのが精一杯だった。
「貴方に彼女は若過ぎるんじゃないかしら?やっぱり私みたいに大人の女じゃないと貴方には釣り合わないと思うけど」
「そんなこと…俺の勝手だろ、お前には関係ない」
「関係あるわよ。ディーノが彼女に本気じゃないなら私、貴方のこと諦められないもの」
女の視線がディーノのそれと絡む。
強気なそれを振り払うように視線を外すと、ディーノは溜息を吐いた。
「それに彼女には、貴方より彼等みたいな同年代の男の子の方が似合うと思わない?」
そう言われてディーノは動揺を隠せなかった。
自分がと釣り合わないと言われるのは仕方がないと思っていた。
東洋人のそれもあって、イタリアに来た彼女が実年齢より若く見られるのは事実だった。
落ち着いた雰囲気の彼女は、遅らく日本にいれば同年代の友人達よりも大人びて見えるだろうが、
自分と並ぶがまるで自分の妹のように幼く見えることはわかっていた。
だがそんなことはディーノは気にもしていなかった。
他人が自分達をどう思おうが関係ない。そう思っていた。
気にしていたのはただ一つ。
他人から自分とが釣り合わないと言われることではない。
彼女には自分よりも他の男の方が相応しいと思われることだった。
の方から自分を求めてくれるのであれば何も問題はなかったが、
自分だけが一方的に彼女を求めていると感じていた。
だからこそ自分がに手を出すのは不相応だと言われているようで、
ディーノは女の言葉に何も言い返せなかった。
ましてや自分の視線の先には同世代の綱吉や雲雀と楽しげなの姿。
自分が彼等から彼女を奪い、彼女から彼等という居場所を取り上げることなど、
自分には本当に出来るだろうか。
ぎり、と唇を噛み締めるディーノを横目に、女は彼に告げる。
「ねえ、彼女のこと、一応紹介ぐらいはしてくれるのよね?」
「」
呼ばれた声にがそちらを向く。
視線の先に立つのはディーノと一人の女。
ディーノに何も言われずとも彼女が何者なのか、には察しがついた。
予め予想はしていたが、ディーノから聞かされていた例の御令嬢が想像以上の美女で、は思わず怯みそうになる。
誰がどう見ても美男美女、傍から見れば彼等が恋人同士に見えてもおかしくないほど、ディーノと御令嬢はお似合いだった。
彼等2人を見詰めたまま呆然とするは、ディーノに再度名を呼ばれてようやく我に返った。
「?」
「え?あ、は、はい、っ」
「この人がお前に話した例の…御令嬢だ」
「は、初めまして…」
「ほらお前も、彼女が俺の婚約者のだ、挨拶ぐらいしてくれよ」
ディーノが御令嬢の女にそう促す。しかし彼女は何も言わなかった。
何も言わずに上から下までを品定めする様な視線を送った後、
興味なさげに視線を反らしただけだった。
「何処からどう見ても、ディーノには不釣り合いね」
「お、おい…お前、何てことを…!」
「だからさっきから言ってるでしょ、彼女にはディーノより、そこにいる彼等の方がお似合いよ」
そう言って自分を睨みつける女には圧倒されるしかなかった。
口を開きたくても、開いたところで何を言ったらいいかわからない。
ディーノの件で自分が相手の女に良く思われていないだろうことはわかってはいたが、
面と向かってあからさまにそう言われてしまうと胸が痛かった。
あくまでも今の自分の立場は仮の姿であって、ディーノの婚約者などでは無いはずなのに、
まるで本当にそれを反対されたかのような気分になる。
反対されるのは構わない。自分はただの偽の婚約者なのだから。
そうですね、と嘘でも笑ってこの場を軽く流してしまえばいいだけなのに、それが出来なかった。
反対されることが、何故こんなにも自分の胸を苦しくさせるのか。
もうは認めざるを得なかった。
自分はディーノが好きなのだ。憧れの兄としてではない。男として彼を見ているということに。
「と言ったわね、大体貴女も図々しいのよ!ディーノの婚約者なんて嘘か本当か知らないけど、どちらにせよ貴女には彼の隣に並ぶ資格なんてないんだからね!」
婚約者どころか、ディーノを好きだと思うことすら許さないといった女の態度に、は唇を噛み締める。
そうしなければ涙がこぼれそうだった。
思わず俯きかけたの視界が次の瞬間、突然黒に染まる。
驚いた彼女が顔を上げると、そこに見えたのは見慣れた背中だった。
「ねえ、さっきから僕らが黙って聞いているのをいいことに、随分と余計なお世話なことばかり言ってくれるね」
そう言ってを隠す様に彼女の前に立ちはだかったのは雲雀だった。
普段は色のないその声には怒りが見えた。
今まで何度自分がこの背中に守られてきたか、には数えきれなかった。
時々冷たいことを言って自分を傷付けるくせに、零れた涙はいつも彼が拭ってくれた。
わざと厳しいことを言うのは、彼が自分を心配しているからだとはわかっていた。
だからこそにとって雲雀の背中はいつだって大きかった。
「そんなに自分に自信があるなら、この人のことちゃんと捕まえておきなよ。それが出来ないからってに八つ当たりするのは見当違いだよ」
「な、何よ、貴方にそんなこと言われる筋合いないでしょう…!」
「筋合い?だったら貴女がのことを貶す筋合いもないと思うけど?」
「…っ」
正論を突かれてたじろぐ御令嬢とは対照的に雲雀の表情は涼しげだった。
いや、彼を知らぬ人間ならばそう見えただろうが、実際には違った。
彼がいかに目の前の女に嫌悪感を抱いているか、一部始終を傍から見ていた綱吉には嫌というほどわかった。
雲雀の背で何も言えずにいる、そして雲雀、雲雀の言葉で悔しげに唇を噛み締めるその女を順に見やってから、
綱吉は小さく息を吐いた。
「っ、なによ!どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ!大体全部、貴女のせいなんだからね!覚えておきなさいよ…っ!」
突然名を呼ばれたことでが身を震わせたことにも気付かず、
女はそう吐き捨ててその場を後にした。
静かになったその場には沈黙が下りる。
周りで傍観していた人間達は一部始終を見守ったあと、何事かとざわついたが、
静かになるとすぐに関心を失ったかのように自分達の歓談の中に戻っていった。
「ねえ」
この場の沈黙を破ったのは雲雀だった。
時が止まったかのように動かなかったディーノやが、雲雀の声でようやく我に返ったように動き出す。
「どういうつもり?」
雲雀がそう言葉を投げ掛けたのは紛れもなくディーノである。
それまで黙り込んでいたディーノは、
自分を睨みつける雲雀の視線に自分のそれを合わせた。
「何でがあんなこと言われるの?どうしてあの女を止めなかったの」
「きょ、恭弥、俺は…」
「言ったでしょ、を傷付けたら許さないって」
先程の女に向けていた色とは明らかに違う視線がディーノに突き刺さる。
女に向けられていた雲雀の視線には明らかに呆れの気持ちが勝っていたが、
ディーノに対しては違っていた。
自分に向けられる、明らかに怒気を含まれた声色にディーノは思わず口籠った。
「もう十分だよ、は返して貰う」
雲雀の背に隠されたが今どんな表情をしているのか、ディーノにはわからなかった。
だが想像はできる。
あれだけ侮辱されたのだ、例え泣いてしまっていてもおかしくは無い。
まるで彼女のそんな表情すらも隠す様にその前に立ちはだかる雲雀に対し、
ディーノはどうしたらいいかわからなかった。
(2022.06.07)