Ep.01
Ep.01
がキャバッローネ邸にお世話になり始めてから、あっという間に数週間が過ぎた。 ディーノの婚約者としての出番がいつ来るか分からないが故にいつでもその対応が出来るようにと、 住み込みでディーノの婚約者の振りをするように頼まれてそうなったものの、 それは一向にその出番とやらが来る気配がない平和な日々が続いていたことに対し、が疑問を感じ始めていた頃だった。
「、いよいよお前に大仕事を頼む時が来た」
自分とディーノの2人だけしかいない彼の執務室でそう告げられたは、 膝の上で自分の拳をぎゅっと握り締めた。 彼の言う『大仕事』がどういうものなのかその時のはまだ知らなかったが、 今までなんとなくキャバッローネ邸で過ごしていた日々の中でもそれが自分の一番の出番なのであろうことはわかっていた。
「大仕事、ですか?」
「ああ、来週同盟ファミリー間でパーティーがあってな、例の相手も参加するんだ」
「な、なるほど」
「だからそこでを婚約者という体で相手に紹介しようと思ってる」
ディーノのその言葉を聞くなり、気合いを入れるようにの眉が寄る。
「わかりました、確かにそれは大仕事ですね」
「まあ確かにそうなんだが、とは言え特別にして貰うことはそれ以外は無いから、ただ俺の隣で相手と顔合わせしてくれるだけでいい」
「そうなんですか?」
「ああ、だからあまり気負わず普通にパーティーを楽しんでくれて良いからな」
そう言って優しく微笑むディーノの笑顔に、の緊張が解れる。 特別して貰うことはないと彼は言ったが、にしてみれば相手との顔合わせが何よりの難題であった。 典型的な華奢な日本人体型の自分が、 ひと目相手の女性の目に入れば彼女にどう思われるだろうかなど想像に難くない。 の一番の心配はそれだった。 相手の女性に自分がディーノに相応しくないと思われてしまえば、 恐らく自分の役目を果たしたことにならないだろう。 は思わず自分の口から溜息が零れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
「そういえば私パーティーで身に着けるような物を何も用意して来てなくて…街に買い物に行ってもいいですか?」
「そのことならは心配しなくていい、俺が全部用意する」
「ディーノさんがですか?」
「ああ、だからは心構えだけしていてくれればいい、諸々の手配は俺に任せてくれ」
「は、はあ…」
話が終わり満足げに席を立ったディーノがに背を向けると、 彼女はようやくここで話が終わるまでずっと堪えてきた溜息を、彼に気付かれない様に小さく一つ吐き出した。
あっという間に顔合わせパーティー当日になってしまった。 夜のパーティーに備え午後になるとは車に乗せられ、ディーノに街へと連れ出された。 お洒落なお店に案内され、店内に足を踏み入れたかと思うとの目の前には綺麗な女性が現れる。 店員と思しき彼女に向かってディーノは一言、『それじゃあよろしく頼む』とだけ告げるとに微笑んだ。
「終わる頃にまた迎えに来るからな」
一度屋敷に戻り、自分も身支度をするのであろう彼の背中を見送りながら、 店内に一人残されたは店員の女性に案内され、店の奥へと進んでいく。 緊張からか表情の硬いの様子に、店員の彼女はくすりと笑みを零した。
「ふふ、心配されなくとも大丈夫ですよ、誰もが振り向く様な美女に仕上げますからね」
「よ、宜しくお願いします…!」
「はい、お任せください。ところでディーノ様から全てお任せと伺ってはいるのですけれど、お客様ご自身のご希望は何かございますか?」
そう尋ねられての頭には一つの想いが浮かぶ。 全てを店員に任せれば間違いないのはわかってはいるが、 自分の不安を軽減するためには少しでも背伸びしたいと思っているのが事実だった。 少しでもディーノの横に立つに相応しい女性でありたい。 きっとプロに任せれば自分のそのささやかな見栄さえも上手く身立ててくれるだろうことに期待せずにはいられず、 は恐る恐る口を開いた。
「えっと、それなら…」
正装に身を包んだディーノが再び店に戻ってくる頃には、辺りを闇が包み込んでいた。 店のドアを開くとドアベルが鳴り、本日の二度目のそれを聴きながら、の姿を探してディーノは店内を見回した。 彼女の為にと特別に半日貸し切った店内には普段のような賑わいは無く、人気の無いそこは静まり返っていた。 明かりは点いているのに人影の見えない店内でディーノが呼び声を上げようとした時、 奥から人影が近付いて来る。 気配に気づいたディーノがそちらに視線を向け、対象に焦点が合った時、彼は思わず息をのんだ。
「…お待たせしました」
ディーノの前に姿を現したのはシックな色に身を包んだだった。 照れ臭そうに微笑む彼女の表情を見ればそれはいつものだとわかるものの、 ひと目見ただけでは普段の彼女とは認識できないほどの妖艶さを纏っていた。 互いの距離を縮め、ディーノの目の前に立ったは言葉ないディーノの様子に困ったように眉尻を下げた。
「ディーノさん?」
「え?え、と、何だ?」
「何も言って貰えないと似合ってないのかと思って不安になります」
彼女の美しさに圧倒されるあまり、言葉なくその場に立ち尽くしていたディーノに不安げなが苦笑いを零すと、 我に返ったディーノが慌てた様子で口を開く。
「そ、そんなことはない、すごく…似合ってる」
その言葉と共に突然、目の前の男が伸ばしてきた指が自分の頬をそっと撫でる感覚にの肩が跳ねる。 今までこんな風にまるで恋人に向けられるかのような甘い瞳に見つめられ、 愛する者を慈しむ様な優しい温度でディーノに触れられたことが無かった彼女は、驚きのあまり赤面した。 お世辞でも良いから『似合っている』の一言が欲しかっただけなのに、 求めていた以上の甘い反応がディーノから贈られたせいで、がうろたえ始める。
「ディ、ディーノさん…!」
「えっ」
「距離がその、ち、近いです…」
「わっ…わりぃ!つい、」
「ついじゃないですよ!わ、私だから良かったですけど、恋人でもない女の人にはこういうことしたら駄目なんですよ…!?気があるって勘違いさせちゃいますから!」
「わ、悪かったって!」
自分を窘めるの頬が染まっているのを見たディーノは、自然と自分の頬も熱くなるのを感じていた。 咄嗟にから少し距離を取れば安心したようにが息を吐いた。
「でっ、でも見惚れちまったのは本当のことだから仕方ねえだろ?…綺麗だぜ、」
彼と距離を取り、胸の動悸が落ち着いて来たと思ったのも束の間、 少し照れたように笑うディーノの表情にの胸が苦しくなる。 色男のディーノのことだ、きっと今自分に掛けられたその言葉も相手が女性ならば誰にでも言っているような社交辞令だろう。 それをわかっているはずなのに、どうしようもなくその言葉が嬉しくて、 はにかんだように笑う彼の笑顔が眩しくて、は思わず泣きそうになってしまった。 頬は熱いし、胸の高鳴りはどうやっても治まりそうにない。 正装に身を包んだディーノはいつも以上に格好良くて、それだけで密かな恋心が加速してしまいそうなのに、 そんな彼にまるで口説かれているかのような態度を取られてしまえば、 世の他の女性のみならず自分とて勘違いしてしまいそうだった。 でも彼をこれ以上好きになってはいけないのだ。 彼への感情はただの『憧れ』程度で済ませておかねばならない。 それ以上は彼も望んでいないだろうし、そうなっても彼とて困るだろう。 だがそれを自分に言い聞かせる度には胸が張り裂けそうな想いがした。 理性ではそうしなければならないとわかってはいるはずなのに、 自分に向けられるディーノの優しさ全てがの感情を高ぶらせるのだった。
(20210526)
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