大きなお屋敷に住み、使用人でもないのに何故そんなことまでやるのか。
そう尋ねられることには慣れていた。
やらされているのか、そう言われることもあったけれど、そうではない。
心配御無用、自分が好きでやっているのだ。
マフィア社会というこんなにも物騒な世界に足を踏み入れてしまえば、
問答無用で一般人とは掛け離れた生活を送らねばならない。
衣食住は一般人のそれと同じ形を取ることができるとは言え、
肝心の仕事に関してこそ表社会に生きる人々とはまるで違う。
争い事など日常茶飯事だし、見飽きると表現するのは女である身としてはなんとなく嫌だが、
血が流れることなど当たり前の世界に生きている。
だからこそ平穏な世界に生きる一般主婦のようなことを、プライベートの時間にはやってみたいと思ったのだ。
今日は非番だった。仕事に追われる血生臭い日常から少しだけ離れることが出来る数少ない日。
自分が住まうボンゴレの屋敷の花壇の前に、は屈みこんでいた。
最近の彼女の休日の過ごし方は、庭作業に打ち込むことだった。
土を掘り、種をまき、時には植え替えもする。
肥料や水をやり、その塩梅にも気を配り、天候をも気に掛ける。
庭仕事用のエプロンにブーツ、ガーデン手袋や日除け用の帽子など完全防備は怠らない。
何事もやるなら徹底的に行なう。それが彼女のモットーである。
だからこそ休日の今日もいつも通りの時間に起床し、手短に朝食を済ませたあと、
見た目から完璧に一般人のそれになりきり、
握ったスコップを土に差し入れては掻きだし、そこに花を植え換えていた。
天気が良いと、吸い込む空気さえも美味しい気がするのは不思議である。
久しぶりに楽しむ憩いの時間に、は思わず鼻歌を歌ってしまっていた。
「天気の良い日は作業が捗るなあ」
屋敷には至る所に花壇がある。
その全てを担当しているわけではなかったが、正面に位置するこの花壇はの担当だった。
広大なお屋敷となれば庭一つとってもその面積は広い上、
管理しなければならない緑は花壇のみならず沢山ある。
普段は本職に身を捧げている身分上その全てを担当出来るわけではないが、
この人目に付く出入り口付近だけは自分がやりたいと、は自分で名乗り出たのだ。
屋敷の使用人達にしてみれば、にそんなことをやらせるわけにはいかないと主張する者もいたが、
自分がやりたいのだと事の次第を話せば、皆快くその仕事を譲ってくれた。
とはいえ庭仕事など今までやったこともない。
無知の状態で名乗り出てしまったため、実際のところそれに関する知識はにはほとんどなかった。
そのため使用人達にあらゆることを教わるうち、彼等とは前より親しくなることが出来た。
そのこともあってか、
はますますこの貴重なプライベートの時間をかけがえのないものだと感じるようになっていた。
「そういえばこの前買った種、せっかくだから今日植えてみようかな」
先日の非番のときには、街まで新しい花の種を買いに出かけた。
買ったばかりだが日々本職に忙殺されるあまりすっかり存在を忘れていたそれを、
庭作業用に使用している物置きに取りに行こうとが腰を上げたとき、
屋敷の敷地内に一台の車が入って来た。
近付いてくるエンジン音に気付いたがそちらを振り向くと、
その車がすぐ近くでちょうど停止したところだった。
「よう、」
ドアが開くと共に、声を掛けられる。
出てきた人物を目にするなりの頬が緩んだ。
手袋を外しながらその人物を見つめたは、
陽の光の下で輝く金色の髪とその笑顔の眩しさに思わず目を細める。
「ディーノさん!」
「久しぶりだな」
「お久しぶりです!」
車から降り、自分の方へ向かってくるディーノには弾んだ声を返す。
彼がボンゴレの屋敷を訪れるのは久しぶりのことだった。
ボスの綱吉であればファミリー間の付き合いでパーティーなどに参加する際に、
ディーノに会うことはよくあるのかもしれないが、
そうでもないにしてみれば彼に最後に会ったのは随分と前の話だった。
綱吉の幼馴染であるが故、ディーノとは随分と昔からの知り合いであるが、
初めて会った当時から彼は彼女にとても優しく紳士的で、にとって彼は憧れの人だった。
恋愛感情のそれとは別物だったが、子供の頃、近所に住む優しいお兄さんについ憧れてしまうような類のアレである。
何年経ってもディーノの人柄は変わらず、老若男女問わず誰にでも優しい彼がは大好きだった。
彼への感情はLoveではなくLikeの好きであったが、
それでも彼の姿を目にする度、はいつも幸せな気分になるのだった。
「はっ!す、すみません、ちょうど今お花の植え替えをしてたところで…まさかこんな格好でディーノさんをお出迎えするなんて」
「いや、いいんだ、は本当に庭仕事が好きなんだな、俺がボンゴレに来る時はいつもここで最初にに会う気がする」
「そうなんです…いつもここでこんな汚れた姿をディーノさんに晒してしまっているので、もうお恥ずかしい限りです…」
「ハハハ、何言ってんだよ、例え着飾ってても土に塗れてても、どんな格好でもはいつも素敵だぞ?」
「…あ、ありがとうございます…」
土の汚れを纏ったの姿にすら賛辞を惜しまないディーノは、そう言って彼女に柔らかく笑いかけた。
眩しい、眩し過ぎる。
外見がいくら汚れていようがいつも何かしら自分を褒めてくれるディーノは、
にとってまるでおとぎ話に出て来る王子様のようだった。
太陽から降り注ぐ日差しの効果もあってか、彼の背後にはキラキラと輝くエフェクトさえ見える気がする。
その眩さに見とれたが思わず眩暈を起こしそうになってふらつくと、
『?!大丈夫か?!』とすぐさまにディーノが駆け寄って来る。
大丈夫だけど、あなたが眩し過ぎてある意味大丈夫じゃないです…の心情はそれだった。
「だ、大丈夫です、ちょっと眩暈がしただけで」
「眩暈?それ全然大丈夫じゃないだろ、今日は日差しも強いし、無理したら駄目だぞ」
が日射病になりかけていると思い込んだディーノは、心底心配した様子で彼女の体を支えた。
感謝と謝罪の言葉を述べてからふらつく体を起こし、邪な考えを振り払ったは、
心配そうに自分の顔を覗き込むディーノの顔がいろんな意味で見ていられず、目元を染めたまま目を反らした。
「そ、そう言えば、今日はどうしたんですか?」
「ああ、ツナに緊急の話があってな」
「緊急?綱吉ならいつも通り執務室で仕事中ですけど…」
「そうか、いてくれて良かった、じゃあちょっとお邪魔して来るな?」
「はい、あとでコーヒー持っていきますね」
「おう、待ってる」
優しく微笑んでからじゃあなと片手を上げ、ディーノは屋敷の中に消えていく。
がその背を見送ってから彼が下りてきた黒塗りの車に目をやれば、
運転席でロマーリオがこちらに向かって手を振っているのが見えた。
いつもディーノの隣に付き添っているはずの彼が車を降りてこないということは、
余程内密で重要な話なのかもしれない。はそう思った。
コーヒーを持っていくとディーノに言ったは良いが、自分が部屋に行ったら邪魔になるのではないか。
だがだからといって客人にコーヒー1つ出さない訳にもいかず、
自分が邪魔になるのであれば使用人達には尚更聞かれたくない話題かもしれない。
それならば自分が持って行った方がまだマシだろう。
2人の話の邪魔にならない程度に、さっと行ってさっと出してくればいい。
そう思い直したは、自分に手を振るロマーリオに大きく会釈をしてから、
服とエプロンに付いた土を払い、庭作業をする際にはいつもそこから出入りしている裏口へと急いだ。
思ったより着替えに手間取ってしまったは、使用人達に頼んであったコーヒーを受け取り、
急いでボスの執務室に向かっていた。
部屋の前に辿り着くなりノックをすると、綱吉から入室許可の言葉が掛けられる。
ドアを開けば深刻な表情で向かい合っている、綱吉とディーノの姿があった。
「ちょうどいいところに来たな、」
部屋に入るなりそう掛けられた声にが顔を上げる。
ソファに座り自分に向かって微笑むディーノと、
その奥で難しい顔をしている綱吉の表情を交互に見やってから彼女は2人に近付いていく。
「遅くなってしまってすみません、コーヒーをお持ちしました」
「ああ、サンキュ」
「綱吉もどうぞ」
「ありがとう、」
2人の前にそれぞれコーヒーカップを置けば、ディーノがまた優しくに微笑む。
その笑顔に自分の胸が満たされるのを感じながらも、
大事な話の邪魔になってはいけないとがその場を離れようとすると、ディーノが突然彼女の腕を掴んだ。
驚いたが立ち止まる。
「ディ、ディーノさん?」
「待ってくれ、」
2人に背を向け掛けていたは、掴まれた腕の力強さに思わず振り返る。
何か他に必要なものでもあったのだろうか、
彼女にはそれぐらいしかディーノに呼び止められる用事が思いつかず、子首を傾げるしかなかった。
「ツナ、には俺から話していいか?」
「あ、はい、その方がも事情がわかりやすいと思いますし…」
自分の目の前でやりとりされる会話に依然としての頭には疑問符が浮かんでいる。
一体何の話だろう。
掴まれたままの腕にがもう一度『ディーノさん?』と彼を呼び掛ければ、
はっとしたディーノが『悪い、痛かったか?』とその手を離した。
彼女が小さく首を横に振れば彼は安堵の表情を浮かべる。
「、実はお前に頼みがあって今日はここに来たんだ」
「私に頼み、ですか?」
「ああ、勝手にお前を借りるわけにはいかないから、ツナには先に事情を話して、たった今、渋々だが了承を得た」
「了承、ですか」
ボスである綱吉の了解を得なければならないような頼み事とは一体何なのだろうか。
ボンゴレに関わることなのか。もしくは綱吉の面子にでも関わることなのか。
一向に予測出来ないこの展開にの表情が険しくなる。
そんな彼女の様子に気付いてか、ディーノは一つ苦笑を零してから真剣な表情でを見つめ、
事の次第を話し出した。
「、お前にはしばらくうちの屋敷に住んで貰って、俺の婚約者になって欲しいんだ」
(20201103)