Ep.07


「僕、忘れていたんだと思います」


部屋の中に招き入れられた光子郎は、にそう語り出す。


「何の話?」


キッチンで二人分の飲み物を用意していたは、 懐かしむ様なそれでいて後悔が滲む様な光子郎の声色に首を傾げた。


さんに初めて想いを伝えた時のことです」
「…もしかして皆の前で鼻血出した、あの時のこと?」
「っ…!そ、それは、えっと、あの時は本当に嬉しくて、まさかさんからOKが貰えると思っていなかったので、驚いてしまって…!でもそのことではなくて!」


そう言って慌てる光子郎の姿に、思わずが笑みを零す。 それは2人がまだ高校生だったときのこと。 光子郎が昔からずっとに想いを寄せていることは、 デジタルワールドで共に過ごした仲間達にしてみれば周知の事実だった。 以外の誰しもが光子郎に対し、早くに告白すればいいのにと思っていたし、 さすがの光子郎自身も高校生になり、いつが他の男と付き合い出すかわからないと焦り出してはいたので、 自分の想いを伝えるタイミングをずっと計ってはいたのだ。 まさかそのタイミングというものが予期せず、自分の心の準備が全く持って出来ていない時に突然訪れるとは思ってもみなかったし、 あろうことか長い時間を共に過ごしてきた仲間達の前で、彼等に背中を押されるがまま自分が行動に出てしまうとは、 光子郎自身も思ってはいなかった。 だからこそまさか、ムードもへったくれもない自分の告白が実を結ぶとは思っていなかったので、 に想いを伝えた時、彼女から良い返事を貰えた時には気分が高騰し過ぎたが故に血圧が上がり過ぎたのか、光子郎は鼻血を出してしまった。 それ以来その日の出来事は、皆の中で一つのネタになってしまったのだった。 今まであの日の自分の失態のことを、光子郎は忘れたことはなかった。 彼が忘れていたのは、に気持ちを受け入れてもらえたあの時にどれほど自分が嬉しかったのかということ、 そしてあの日決意したへの自分の気持ちだった。


さんからOKを貰えたあの日、僕、決めたんですよね」
「決めた?何を?」


初耳だと言わんばかりには首を傾げる。


「どう考えてもさんはあの頃の僕と不釣り合いで、恐らく傍から見ても僕たちは、姉と弟みたいな感じだったと思います」
「そんなことないよ?」
「でもだからこそあの日、僕はさんに相応しい男になるって決めたんです。 正直見た目に関してはどうしようもないと思っていたので、せめて気持ちの面だけでもそうなろうって決めたんです」


光子郎はそこまで言い切ると、真剣な瞳でを見詰めた。 唐突に自分に向けられた真っ直ぐな瞳に、彼女は思わずどきりとしてしまう。


「もちろんさんが好きだと自覚してから、ずっとその自信だけはあったんですけど」
「…どんな自信?」
「世界中のどの男よりも僕が一番、さんのことを想っているという自信です」


光子郎がの手をぎゅっと握った。 いつもは温度が低い彼の掌からは珍しく熱が感じられる。 まるでそこに光子郎の想いが込められているかのようだとは思った。


「例えもし他のどの面においても他の男の人に敵わなかったとしても、さんを想う気持ちだけは負けていない、それだけがずっと僕の支えでした」
「光子郎…」
「それなのにいつからかその支えが揺らいでしまっていたんです、僕が欲張りになったせいで」


そう、欲張りになってしまった。光子郎の後悔はそれだった。 高校生だったあの頃、憧れだったが自分の隣を選択してくれたことだけで、彼は天にも昇る気持ちだった。 それだけで十分だった。 が自分のことを大好きになってくれなくてもいい。 自分が想うほど彼女が自分を好きになってくれなくてもいい、そう思っていた。 彼女が自分を大切に想ってくれる気持ちは普段から十分に感じられていたし、 なんならよりに自分の方が想いの度合いが強いに決まっているという変な自負さえも、光子郎にはあった。 それでよかった。当時はそれで幸せだったのだ。 その幸せがいつからか不安定になった。 それが始まったのは光子郎より一つ年上のが、一年ほど先に大学生になった頃からだった。 自分が受験生だったときにはそんなことは一言も言わなかったのに、 高3になった光子郎が受験生の立場になったとき、は彼に別れを告げた。 光子郎の大切な受験を邪魔したくないと、一方的に別れを押し付けた。 もちろん光子郎は反対したが、は譲らなかった。 受験が終わってもまだ自分への気持ちが変わっていなければ、また迎えに来て欲しい。それがの言い分だった。 それから4年が経ち、がまた光子郎よりも一足先に社会人になろうとしていたとき、空は光子郎にこう告げた。 『光子郎が考えているよりもずっと、は光子郎を大切に想っているし、貴方のことが大好きなのよ』 それは再び社会人と大学生という環境の違いを迎えると光子郎を気遣った言葉だった。 彼女は大学生と受験生だったあの頃のと光子郎の関係を憂いでいた。 それでも正直、光子郎は実感がなかった。 確かに昔よりは彼女から自分への愛情を感じられるようにはなっていたが、 未だに自分の方がを好いていると思っていた。 結局それさえただの自負だったのだ。 結局何年経っても自分は自分のことしか考えていなかった、今になって光子郎はそれに気が付いた。
を気遣っている自分に酔いしれていたのだと思う。 が自分と同じように、何なら自分が彼女にするよりもずっと気遣ってくれていたことに光子郎は気付いていなかった。 今回互いに擦れ違ってしまったのは、光子郎が思っていたよりずっとが光子郎を気遣っていたからだった。 が光子郎の未来を、彼に相応しい未来を望んだから。 自分以上に光子郎に相応しい相手がいるなら、自分は身を引こうとが考えたから。


「私ずっと、自分が光子郎に相応しいのかどうかわからなかったの」
「えっ…」
「だからいつも自分が光子郎の隣にいてもいいのか迷った時、光子郎とは距離を置くようにしてた」


光子郎に告白されたときは嬉しかった。 デジタルワールドで彼に出会って以来、彼に世話を焼くの姿とそれを受ける光子郎の二人の姿は、 周りからは姉と弟のようだとよく言われていた。 彼を可愛がっていたとはいえ少なくともにとって光子郎は弟ではなかったし、 彼の好意は昔からずっと薄々感じてはいた。 けれどそれは純粋な光子郎の恋心というよりかはきっと、 彼が接してきた女性の数が、同世代と比較すると随分と少ないが故の視野の狭さのせいだと思っていた。 彼が消去法で自分を選んだのではないかとさえ思っていた。 デジタルワールドの仲間内でのことである。 彼と同い年のミミはとても可愛らしく、光子郎が彼女を好きになるのは時間の問題だと思った。 だが彼にとって彼女の性格は少しばかり、いや随分と手に余ったらしい。 年の割に随分と冷めた光子郎と年の割に随分と幼いミミの関係は、互いに恋愛対象には見れなかったらしく、良き友人に落ち着いた。 空はヤマトにぞっこんだったし、事実は抜きにしても、傍から見るとヒカリとタケルはお似合いのカップルに見えた。 ミミ、空、ヒカリと候補を消していくと残るのは自分。 その結果、光子郎は自分を選んだのだとは思っていた。 そしてそれが、まるで雛鳥の刷り込みのように刷り込まれた物に過ぎないのかもしれないと、考えていた。


「僕、さんがまさかそんな事を考えていたなんて、思いもしませんでした」
「あはは、本当、卑屈もいいところだよね」
「…そんなことありません」
「一度目に距離を置いたのは光子郎の受験のとき。光子郎が本当に私を必要としてくれてるのなら、また追いかけて来てくれると思ったの」


は自分から光子郎に別れを告げた。 そのはずなのに、隣に彼がいなくなったとき、思っていた以上の虚無感が彼女の胸を支配した。 ぽっかりと空いたその穴を埋めたくて、光子郎が好きだったのに他の人と、 同じ大学の同級生と付き合い始めた。 結局彼ではその穴を埋められず、罪悪感から別れを切り出したそのすぐ後、受験を終えた光子郎から連絡があった。 ヨリを戻した光子郎には別の人と関係を持っていたことを打ち明けたが、 自分が一体どんな気持ちで彼と付き合うことになったかまでは伝えていなかった。


「あの時、僕結構落ち込んだんですよね。少し裏切られた様な気もしたりして。でも仕方ないとも思いました。僕が連絡した時にはもう別れていたと聞いていたし、また僕が頑張ればいいと思いました」


ヨリを戻したあとの4年間と少しの間、と光子郎の関係は良好だった。 お互いによそ見をすることなく、互いを想い合っていた。 だが同時に互いに互いを心配でもあった。 光子郎は光子郎で、が自分以外の男と付き合っていたことを少なからず引きずっていたし、 で光子郎から年相応の魅力が溢れ出していることに気が付いていた。 今まで女っ気がなかった彼でも、さすがに大学で沢山の女性と出会うことになれば、 自分へのその気持ちにも変化が訪れるだろうと考えていた。 の予想通り、光子郎には異性の友人も随分と増えたようだった。 自分が社会人になり、仕事に忙殺され、学生時代ほど光子郎と過ごす時間を作れなくなったことで、 の不安はより膨れ上がった。


「最初の頃は仕事が忙しくて光子郎に連絡する余裕がなかったのは事実だけど、怖くもあったの」
「…怖い、とは?」
「光子郎は大学生活楽しんでたみたいだったし、私がいなくなっても別に困らないんじゃないかって、連絡したら逆に迷惑かもって」
「な、なんで、そんな」
「例え一つしか年が違わなくても、環境の差は大きいから。光子郎が望まないのに自分だけが光子朗にしがみ付くのは良くないって思っちゃって」


そう言っては苦笑いを零した。 そんなわけがない、自分はずっとだけが好きだったのに、どうして彼女はそんな思考回路に行き着いたのだ。 のその言葉を聞いた時、光子郎はそんな怒りさえ湧いてしまった。だがはっと我に返る。 そうだ、自分だってそうだったのだ。彼女と同じだった。 彼女に連絡したかったけれど、彼女は自分などいなくとも社会人を謳歌している。 学生の僕が、彼女のその新しい環境の中に入る余地などあるのかと。 僕たちは似た者同士だったのだ。 光子郎はそれに気が付いていなかった。 それに気が付いたとき、光子郎は力が抜けて行く感覚に包まれた。 今まで一人でずっと力んで、思い悩んで、落ち込んでいた。それが全て消え去っていくような感覚。 ふっと笑みが零れた。


「…ちょっと光子郎、何で笑うの?真面目な話してるのに」
「いや、違うんです。嬉しいなと思って」
「嬉しい?」
「僕達ずっと同じ気持ちで、ずっと同じ不安を抱えていたんですね」


好きなのに好きと言えず、会いたいのに会いたいと言えなかった。 でも相手を気遣っているがゆえそれが出来ない、なんてただの言い訳だった。 相手のための行動、そんなものはエゴだ。 相手を気遣っている自分に酔いしれているだけ。 昔はこうじゃなかった。 子供の頃、自分はもっと純粋だった。 深く考えすぎず、好きなものは好きと言えた。 彼女とはそんな純粋な子供時代からの関係なのだ。 もう一度、一からやり直すのはそう難しいことではないだろう。


「僕、今回のことでいろいろ学びました。一番思ったのはお互いに不安や不満があったら打ち明けること」
「…うん、そうだね」
「それにお互いにもっと我儘になること。相手を気遣い過ぎず、欲しいものは欲しいということ」
「うん、それも納得」
「だからさんももっと僕に我儘になって下さい」
「それを言うなら、光子郎もね」


そう言って光子郎とは笑い合う。 数か月の別離や互いの悩み、悶々とした気分はもう2人の中から消えていた。 相手を気遣い過ぎない、相手に対して我儘になる。 2人の関係を危うくした原因はこれらにある。 この2つさえ守れば、光子郎との関係など無敵も同然なのだ。


「ねえ光子郎、私、実はずっとやりたかったことがあって」
「?何でしょう?」
「気恥ずかしくてミーハーな気もして、光子郎は嫌がるかもなって思って言えなかったんだけど」
「僕が嫌がること…何でしょう?」
「でも仲直りも出来たことだし、これを機会にやってみたいなって思うんだけど私の我儘聞いてくれる?」


そう言っては優しく笑った。それにつられて光子郎も笑みを返す。 ミーハーだろうが何だろうが、の願いなら何でも聞ける、今の光子郎はそんな想いだった。 が隣にいてくれさえすれば、自分の人生はいつだって明るく、 どんなに辛いことでも今までずっと乗り越えて来られたのだから。


(2022.06.21)


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