「?」
恋人と訪れたカフェで案内された席に就き、さあ何を食べようかと2人でメニューを広げた次の瞬間、
背後から声を掛けられて名を呼ばれたが顔を上げれば、そこには彼女の見知った顔が並んでいた。
「まじかよ!すげえな、こんなとこで会うなんて奇遇じゃん」
目が合うなり嬉しそうにそう言葉を続けた彼は、彼女が属する大学のサークル仲間だった。
声を掛けた彼のすぐ後ろにも他の友人の姿が見える。更にその奥には同じサークルの後輩達の姿もあった。
決して大学から近くはないこのカフェで彼等に遭遇するのは確かに驚くほど偶然だった。
の向かいに座る光子郎も掛けられた声に彼女と同じように顔を上げたが、
そこにあった姿を見るなり少しだけ眉を寄せたのをは見逃さなかった。
彼女を親しげに下の名で呼んだその人物の性別が男だったからである。
あからさまではないとは言え、
面白くないとばかりに負の感情を表に出した光子郎の様子を見て、は少しだけ嬉しくなった。
「私もびっくりした、っていうか男ばっかりで何してるのこんなところで」
「なんだよ、男ばっかりで来たら悪いかよ」
「悪くはないけど、男ばっかりで入るカフェじゃないかなって思って」
周りを見渡せば、ほとんどの席にいるのが女性ばかりである。
スイーツが美味しいと評判のこのカフェは最近テレビで取り上げられたからだろうか、
若い層から少し大人な層まで幅広い世代の女性客で溢れ返っていた。
がからかうようにそう言葉を掛ければ、友人である男Aは苦笑いを浮かべた。
「まあな、でもほらあそこにいるお前も知ってる後輩いるだろ?少し前に彼女に振られたらしくてさ」
「そう言えば最近元気なかったよね」
「そうそう、だから今日はみんなで励ましてやるかって話になって。あいつが甘いもの好きだからさ連れて来てやったんだよ」
「あはは、優しいじゃん、男の友情だね」
まあなと言って笑った友人Aの視線が、先程からずっと自分の向かいに座る光子郎に向いていることには気付いていた。
自分を興味深そうに見つめるその視線に気付いた光子郎本人は、
気まずそうに視線を反らしたあと、逃げるようにメニューに目を落としてしまった。
「ところで」
「うん?」
友人Aの視線がと光子郎を行ったり来たりしている。
その視線の動きさえわかってしまえば、彼の言いたいことなど分かったようなものだった。
にお前の向かいに座るこの男は誰だと聞きたいのだろう。
友人Aがそこまで興味深げに自分と光子郎を見つめた理由をは察していた。
なぜなら彼が自分を好いているのだということを、他の友人から聞かされていたからである。
「弟、ではないよな?」
一瞬にしてその場の空気が凍った。
メニューを持ったまま目を泳がせていた光子郎の動きが完全に止まってしまっている。
少し間をおいてから唇を噛んで小さく息をついた彼の気持ちなど、にはわかりきっていた。
本当ならここで光子郎本人にそうではない、自分たちは恋人だと否定してもらいたいところだが、
気まずそうに視線を落としている彼にはそれは出来そうになかった。
光子郎が年齢の割に幼く見えるせいか、
普段から恋人同士に見られることが少ない自分たちの関係性を彼自身が一番気にしているのである。
胸を張ってそれは違うと彼が言えそうもないのは明らかだった。
そもそも彼の性格を思えば、
自分より年上の人間に反論するなど少しばかり無理な話なのもあったかもしれない。
他人に触れられたくはない自分達の小さくも大きな悩みに、
無神経にも踏み込んで来る友人Aの無神経さをは呪いたくなった。
一度溜息をついて返答をしようと口を開く。
「ううん、違う」
「え、じゃあもしかして」
「そう、大好きな彼氏。前話したでしょ?」
自身が好きで一緒にいることを選んでいるというのにいつまで経っても自分に自信を持ってくれない光子郎にも、
無神経に土足で他人の胸の内に入り込んで来る友人の男Aにも腹が立ったは、
少しばかり強引で大胆な行動に出ることにした。
たまたまテーブルの上に乗せられていた光子郎の手に自分の手を重ね指を絡ませてやると、
の予想通り光子郎はぴくりと身を硬くした。
俯いている彼の顔が赤くなると同時に、今度はそれを見せつけられた友人の男Aが固まる番だった。
「ま、マジだったのかよ…」
「うん、大マジ」
何か問題でも?と言いたげにが友人Aに視線を遣れば、
彼は悔しげな表情を浮かべてぐっと唇を噛んだ。
「おい、もういい加減にしろって」
この後の展開をが読みかねていたとき、そう言って彼の背後から顔を見せたのはのまた別の友人Bだった。
まるで助け船を足すかのように現われた同じサークル仲間の彼の姿に、は少しだけ安堵した。
にとってはAよりもたった今この場に現れた男Bの方が親交が深く、
自分の彼氏が年下であるように、彼の彼女も年下だという共通点もあるせいかにとっては恋愛において良き相談相手だったのである。
おそらく向こうのテーブルから自分達が何か揉めているかのような様子を見て取り、
こちらに来てくれたのだろう。
彼は、友人の男A、そして気まずそうに視線を逃がす光子郎を順番に見やったあと、
状況を察したらしく呆れたように溜息をついた。
「お前な、人様がデートしてるところに茶々入れんなよ、悪趣味だぞ」
「べ、別にそんなことしてねえよ!ただ挨拶してただけで…」
「ただ挨拶してただけで何でこんな気まずい空気になってんだよ…お前なんか余計なこと言ったな?」
「まさかこいつが彼氏だとは思わなかったから、弟じゃねえよな?って聞いただけだよ!」
男Aの言い分を聞くなり、友人Bが心底呆れたようにもう一度溜息を付いた。
Bはそうするなり自分の隣に立つAに、自分の掌を開いた状態で縦に振り下ろした。いわゆるチョップというやつである。
「い、いってえ!なにすんだよ!」
「お前余計なこと言い過ぎ。どう見たって弟じゃないだろ、失礼過ぎるからの彼氏くんに謝りなさい」
「わ、悪いとは思ってるけど本当にそう見えたんだから仕方ないだろ!」
「ったくお前はに彼氏がいるって言われてんのに諦めねえから結局こういうことになるんだろうが、自業自得だっつの」
「うっ、だって彼氏が年下だって聞いたら俺にもまだ可能性あるかも、奪えるかもって思うじゃんかよ!」
「思わねえよ、っていうか彼氏本人が目の前にいるのにそういうことを普通に言うな」
もう一度チョップを振り下ろしたBにだから痛いって!とAが反論する。
Bに散々非難されてしまい、もう何も言えなくなっているAがもう一度唇を噛んでから光子郎に向かって『すみませんでした』と呟けば、
光子郎が『…いえ』と返事をする。
それを確認したBが一件落着とばかりに、慰めるようにAの肩を抱き達に背を向けさせた。
「こいつは連れて帰るからあとは2人でゆっくりやって、邪魔してごめんな」
友人Bの気遣いにがありがとうと呟けば、彼は申し訳なさそうに片手を上げて返した。
背を向けるなり『これで諦められるな?』とBが尋ねれば、Aは『わかってるよ』とごちている。
慰めるようにAの背中を優しく叩いたあと、
Bは彼の肩を押し『失恋者もう一人増えたから皆慰めてやって〜』と言いながら後輩達の輪の中に戻っていった。
彼等の背中を見送ったは、予想外の邪魔者が去ってくれたおかげでやっと静かになったと安堵のため息をついてから、
ずっと放置してしまっていた恋人の方に向き直った。
「なんか邪魔が入っちゃったね、ごめんね光子郎」
がそう声を掛けても光子郎からは返事が無かった。
気まずそうに俯いているせいで彼の表情はには見えない。
まさか怒っているのだろうかとが焦り始めると顔を上げた光子郎が未だに目元を朱に染めているのが見て取れて、
は彼からの応答を待った。
「……ずるいですよ」
「なにが?」
「人前であんな、指…っ、僕を宥めるようにあんなことされたらあのお友達のこと、怒りたくても怒れないじゃないですか」
光子郎から返って来た言葉に、は少しだけ驚いてしまった。
てっきり弟かと聞かれたことをただただ落ち込んでいるのかと思っていたのに、
反論したい気持ちは一応彼にもあったらしい。
どうやら自分が落ち込んでいる彼の機嫌を取ろうとして絡めた指のおかげで、
彼の中の負の感情は随分と落ち着いたようだった。
ずっと黙り込んでいたのは恥ずかしくて何も口に出せなかったかららしい。
「ごめん、嫌だった?」
「そうじゃなくて、人前であんな風に大好きって言われたりとか、指絡めたりとか…っ」
「だって大好きなのは本当のことだし、光子郎が落ち込んでるように見えたから手繋いだら御機嫌取れるかなって思って」
「なっ…」
彼女に手を握られて光子郎が嬉しかったのは紛れもない事実だった。
が他の男の前で、自分を彼氏だと堂々と宣言してくれたことも嬉しかった。
少しだけ恥ずかしかっただけで。
「弟?って聞かれた時、光子郎一瞬嫌そうな顔してた」
「……すみません」
「なんで光子郎が謝るの?謝るべきなのは私の方なのに、あんなこと言われたらそれは怒るよね」
「べ、別にさんは何も悪くないですから」
「でも嫌な気分になったでしょ?ごめんね」
『私もイラっとしたし。彼一応友達なんだけど普段からちょっと無神経なところがあって、ごめんね?』
と申し訳なさそうに眉尻を下げるの表情を見て、謝りたいのはこちらの方だと光子郎は思った。
彼女の友人が自分を弟だと思った全ての原因は自分が幼く見えたためである。
そのことを普段から自分が気にしていると知っている彼女が、
自分に気を遣っているのもまた、全て自分自身のせいなのだ改めて痛感していた。
「さてと、仕切り直し仕切り直し!なに食べようかな」
何事もなかったようにメニューに向き直るを、
光子郎は彼女と同じように持ったメニューの影から盗み見た。
大好きだと人前で公言されたことがどうしようもなく嬉しかったのに、
その反面、自分に自信がないせいで彼女の友人に反論すらできなかったことが情けなくて。
付き合いが長いからという理由だけで彼女が自分に付き合ってくれているだけなのではないかという不安は、
光子郎にとってはいつも付き物だった。
自分には異性の影など薄いが、
前から思っていたとおり彼女の周りには男が寄って来るのだということを目の当たりにしてしまえば、
尚更その不安は強くなる。
昔に比べたら自分も大人になったとはいえ、まだまだ彼女の隣に立つには不相応なのかもしれないと思うと、
胸が苦しくなってしまうのは否めなかった。
「光子郎?」
「…はい」
「私は今の、そのままの光子郎が好きだから、、、彼が言ったこと、気にしないでね」
メニューを見ている振りをしながら悶々としていた光子郎は、
自分の不安など全て見透かしているかのようにそう言って微笑む彼女の表情を見た瞬間、
思わず泣きそうになってしまった。
昔からそうだった。
自分がどれだけふがいなくて情けなくて、彼氏らしい男らしい振る舞いが出来なくても、
彼女はいつも笑って無理しないで、そのままで良い、そのままの自分が好きだと言って自信をくれる人だった。
今日の彼女は自分への想いを言葉にして何度も伝えてくれたが、
間違いなく彼女が自分を想ってくれているよりもずっとずっと、自分の方がのことが好きだと光子郎は思った。
「あはは、光子郎泣きそうな顔してる」
「っ、誰のせいですか」
「うれし泣き?」
「そうですよ、さんが泣かせるようなこと言うからでしょう」
「ごめんね?」
「お詫びにメニューにあるこのパフェ、僕と半分こして下さい」
「ふふ、喜んで」
君の君たる所以の光
お題配布元:
誰花
(20201013)