何度そうしたかわからない。再びリビングの壁に掛っている文字盤に目をやって、僕は一つ溜息を吐いた。 もう30分も前に日付が変わってしまっている。 暇潰しに付けてあったテレビはいつのまにか深夜帯の番組に変わってしまっていた。 スマホのロック画面を表示しても新しいメッセージは届いていない。 今日はサークルの飲み会があるから帰りが遅くなるとさんから連絡が来たのは、もう何時間も前のことだ。 あまりお酒が飲める方で無いさんに、ほどほどにと釘を差して、 日付が変わる前に帰宅するように返信を送ったのももう何時間も前のこと。 明日は土曜日で大学の講義も無いので、恐らく会が盛り上がっているのだろう。 こういう時にあまりしつこく連絡するのは気が引けるが、 23時を過ぎてもまるで帰宅する気配が無いので、一時間ほど前に「何時頃になりますか?」とだけメールを送った。 すぐに「これから帰るね」と返事が来たので、てっきりすぐ帰ってくると思っていたのに。 「すぐ」から既に一時間が経ってしまっている。 何かあったのではないか、自然とそんな不安が脳をよぎる。 飲み会の場所は知らされていたので、あと5分経って帰ってこなければ迎えに行こう、そう思っていた時だ。 玄関の鍵穴ががちゃりと音を立てた。


さん?」


リビングを飛び出して玄関へ向かえば、帰りを待ち侘びていたさんの姿。 と彼女を抱えた見知らぬ男が一人立っていた。 鍵を開けたのはどうやらさんではないらしく、男の手には見慣れたキーホルダーの付いた鍵が見えた。さんの鍵だ。 彼女を抱えたその男は、部屋の奥から現われた僕を見るなり心底驚いた顔をした。 お互い視線を合わせたまましばし沈黙が続く。先にその沈黙を破ったのは僕だった。


「あの…どちら様でしょうか?」
「あ、え、えっと、俺、のサークル仲間なんですけど、彼女が酔い潰れちゃって、、、それで」


彼は必死に自分が今ここにいる理由を話したが、語尾に近付くにつれてその声が尻つぼみになっていた。 まさか彼女の家に男がいるとは思わなかったのだろう。 男がいることに驚いたのか、はたまた僕のような男が彼女の家にいることに驚いたのか。 聞いたところによると親切心で彼女を送り届けてくれたようだが、どうにも歯切れが悪い。 送り狼を狙っていた可能性は否めなかった。 彼女を自分の肩から下ろし、玄関の壁に寄り掛からせている様子を怪訝な表情で見下ろしていると、 顔を上げた彼の目線と僕のそれがぶつかった。視線が合うと彼が気まずそうに目を反らす。これは…間違いない。


「彼女がご迷惑をお掛けしてすみません」
「い、いえ、これぐらい別に、、、友達ですから」
「はあ…友達、ですか」
「……」


僕の威圧的な態度にさすがに居た堪れなくなったのか、 そのあとすぐにお邪魔しましたと退散した彼の背を見送り、 彼に聞こえるようにわざと大きな音を立てて鍵を締めてやった。 さんを家まで送り届けてくれたことは感謝しているが、 あの男の下心が見え透いていたせいでどうにも腹の虫が治まらない。 溜息を一つ吐くと、自分をめぐって男たちが火花を散らしていたことなど知りもせず、 呑気にすやすやと寝息を立てているさんをいわゆるお姫様だっこの状態で抱きかかえる。 もっとわかりやすく彼女は自分のものだと言ってやれば良かっただろうか、 もやもやする気持ちを抑えきれないまま廊下を進んでいると 眠りが浅かったのか、寝室のベッドに運ぶまでの間に彼女は目を覚ましてしまった。


「ん…あ、あれ…?こうしろう?」


ぼんやりしたまま腕の中で僕を見上げる。どうやって帰ってきたのか把握出来ていないのだろう。 いつの間に帰ってきたんだっけ…と小さく呟いたのが聞こえた。


「帰りが遅いので心配しましたよ」
「え、えへへ、ごめんなさい」
「それに一人で帰ってこられないほど飲んだでしょう?ほどほどにって言いましたよね、僕」
「うぅ…光子郎怒ってる…」


そんな言葉を交わしながら寝室に辿り着くとベッドに彼女を下した。 これだけ酔っていたらシャワーを浴びるのは無理だろう。今日はこのまま眠った方が良い。 そう考えて玄関から運んでいるうちにいつの間にか自分の首に回されていたさんの腕を解こうとすると、 彼女がぎゅっとしがみついてきた。 お酒が弱いさんは飲みすぎるといつも少し甘えんぼうになる。 素面の時に見られない部分が見られるのは嬉しいが、誰に対してもそうなるのが問題だった。 だからこそ彼女には自分のいない場所ではお酒を飲みすぎないようにと釘を差しているのに。


「ねえ、光子郎」
「なんですか」
「キス、したい」
「……酒臭い酔っ払いとは嫌です」
「えー、ひどいー!」


ふにゃりと目元を歪めてさんが笑う。 僕の首に回された腕はそのままだったが、先程より少しだけ力が入っていた。


「ねえ、光子郎…おねがい」


首に掛けられた腕が僕の首筋に指先を滑らせる。思わず喉が鳴った。 もうお酒が抜けかけているのか、まだ酔っているのかわからないが、 朱に染まった頬と酔いのせいで潤み掛けた瞳が僕を誘っている。 桃色の柔らかなそれで懇願されたら断れるどころか、一瞬でその気にされてしまう。 首を軽く引き寄せられ、彼女が再び「ねえ」と呟きかけた懇願の言葉を飲み込むように唇を落とす。 優しく下唇を食めば再び彼女の目元が嬉しそうにふにゃりと緩んだ。 明日は土曜日。元々2人でゆっくりしようと思っていた週末だ。 少しぐらい寝坊したって構わないだろう。


溺れた人魚


御題配布元 : PINN

(20200908)

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