「てっきりさんはお兄ちゃんのところにお嫁に来てくれると思ってたのに」
街中のとあるカフェにて。自分の向かいの席でいちゃついているカップル、
と言っても男の方が一方的に女の方に張り付いているようにも見えるのだが、
そんな彼らの様子を向かいのテーブルに頬杖を付いた状態でヒカリは見つめていた。
「ヒカリちゃんてば…相変わらず冗談が過ぎるなあ」
「ふふふ、そう?」
「そうだよ、冗談きついよー?」
何気なく呟いたのであろうヒカリのその言葉に、カップルの男の方であるタケルは聞き捨てならないと反論した。
にっこりと笑ってそう反論した彼の言葉に、
これまた彼と同じように満面の笑みを浮かべたヒカリが言葉を返す。
お互い笑顔のはずなのに互いの言葉に少しばかり刺がある様に感じるのは気のせいだろうか。
昔から仲が良いと言われているはずの2人が、時々こうやって張り付けた様な笑みを浮かべ、言い合っている光景をは良く目にしていた。
笑顔で喧嘩していると言ってもいいであろう、この状況。
はいつも苦笑いを浮かべて見守るしかなかった。
「さんはどう思います?」
「えっ、私?わ、私はなんていうかほら、タケル君とヒカリちゃんがくっ付くと思ってたから正直いろいろと予想外って言うか…」
突然振られたヒカリからの問い掛けに気まずそうにがそう答えれば、
ヒカリとタケルは顔を見合わせ小さく息を吐く。
「出た、この話題」
「さんもそう思ってたんですね…」
正直なところ、この話は彼等2人の前ではタブーなのである。
タケルとヒカリが並んで立つ姿を見る者は皆、彼等が恋人同士であると思い込むのだが、
実際にはそうではない。
とて昔は将来彼等2人が恋仲になるだろうと思っていたし、2人自身がそれを否定する度、照れ臭さから事実を隠しているのだと思っていたのだが、
本当にそうではないと知ったのは、タケルが自分を好きだと言い出した時からである。
「もう聞き慣れてる話題だから他の人に言われても何とも思わないけど、さんにまでそれを言われるとさすがにヘコむなあ…」
「えっ、う、うそ、タケル君ごめんね…?!」
「別に今ちゃんと好きな人と、さんと付き合えてるんだから気にすることないんじゃない?タケル君」
「そうだけどさあ…」
『昔は僕なんてさんの恋愛対象じゃなかったってことじゃん…』と項垂れつつ唇を尖らせたタケルの気持ちなど露知れず、
私は何も気にしてないわよとばかりにヒカリは自分のドリンクに口を付けた。
「そんなことより私はさんがお兄ちゃんのことをどう思ってたか、知りたいんですけどね」
『そんなことよりって酷くない?!』と大きく反論したのはもちろんタケルである。
落ち込んでいるタケルの様子など、やはりヒカリにとってはどうでもいいらしい。
昔は仲睦まじいお似合いのカップルに見えたはずの2人も、
いつからだったかヒカリがタケルの上に君臨しているこの関係性を見せつけられるようになると、
確かに彼等の関係は友達以上のものではないのだろうと思い知らされる。
「太一のこと?まあイケメンだとは思うけど…仲の良い悪友って感じかな」
「ただの『友達』なんですね」
「うん…それに太一はモテるから、私のことなんて昔から眼中に無いだろうし」
苦笑しながら『うらやましいよねー、あんなに女の子にモテて』と愚痴るに、
タケルとヒカリは再び顔を見合わせた。
「だそうよ、タケル君」
「はあ…まったく僕の気苦労も知らないでさんはいつもそんなことばっかり言ってるよね…」
「え?どういうこと?」
「あはは、さんは知らなくていいんですよ」
何の話をしているのだと首を傾げるの様子にタケルは大きくため息をつき、
ヒカリはそんな彼の様子との様子を交互に見やってから苦笑した。
昔から自分の兄がを好いていたことをヒカリは知っていた。
空はヤマトとくっついたが、太一はが好きだった。
2人はただの同級生とは言え、家が近かったこともあり、ほぼ幼馴染と言ってもいいほどの間柄だった。
家族ぐるみで仲が良かったし、デジタルワールドで同じ時間を過ごした時からヒカリはを姉のように慕っていたのだ。
それゆえヒカリにしてみれば大好きな近所のお姉さんが、自分の兄とくっついてくれることは密かな願いだった。
とは言えが自分の兄と恋仲になり、将来は家族になってくれることを願っていたヒカリももう良い大人である。
幼かった頃とは違い、いつまでも自分の願いを貫き通すつもりもないし、
今では大好きな姉的存在であるが、例えその相手が自分の兄でないとしても、心から自分が好きだと思う相手と一緒になってくれればいいと思う。
実際その相手は太一ではなかったわけだが、とは言えまさかそれが自分と同い年であり、付き合いの長い友人であるタケルになろうとは思ってもみなかった。
「さんは今、タケル君と一緒にいて幸せですか?」
真剣な表情を浮かべそう尋ねてきたヒカリに、が目を丸くし、項垂れていたタケルは顔を上げる。
「い、いきなりどうしたの?ヒカリちゃん」
「特に深い意味は無いんですけど…同い年のお兄ちゃんとかヤマトさんとかじゃなくて、さんよりいくつも年下でお兄ちゃん達に比べたらまだまだ頼りないタケル君と一緒にいて、本当に幸せなのかなって」
「え、ちょ、なに、もしかしてヒカリちゃんは今日僕のメンタルを潰しに来てるの?」
タケル本人も気にしている年の差という痛いところを突かれた彼は、
先程から繰り返されるヒカリからの厳しい言葉に耐えかねたのか、ついに泣きそうな表情を浮かべる。
だがヒカリにとってそれは純粋な疑問で、タケルを傷つけるつもりは無かった。
昔から世話になっているの幸せを願う純粋な質問だった。
大切な人だからこそ、本当に幸せな道を選んで欲しい。
好意を伝えて来るタケルの押しや勢いに負け、惰性で彼と付き合っているならば、それはのためにはならない。
タケルが離してくれないから無理に彼と付き合っているというのなら、
自分がタケルを説得し、彼に身を引かせよう、それぐらいのことは考えていた。
いくら知り合ってからの付き合いが長いとは言え、年の差はこれからの2人の人生に付いて回るであろうし、
いつかは彼等の間の障害になって苦しむこともあるかもしれない。
情で付き合っているのならば、それは2人の未来の為にはならないのだ。
「う、うん…幸せだよ」
恥ずかしさからか、一瞬言うのをためらったかのように見えたの口からその言葉を聞いたヒカリは、
しばし黙り込んだ後ふっと笑みを浮かべた。
『…そうですか』と満足げに小さく答えたヒカリの言葉は、
からの返答を待つ間不安げに唇を噛み締めていたタケルの耳にも届いただろうか。
「嬉しい、僕も凄く幸せだよ」
ヒカリに答えを返してから少し俯き頬を染めたに、その様子をじっと見つめていたタケルが幸せ一杯な表情を浮かべる。
向かいに座るヒカリにはテーブルの影になってしまってそれは見えないが、
恐らくテーブルの下で彼女の目の前に座る恋人達は想いを共有するように手を重ねているのだろう。
タケルの言葉のあとに一瞬驚いた表情を浮かべたが、少しの間を置いて照れ臭そうに笑った姿を見て、
ヒカリはそう思った。
彼ら自身が幸せならばきっと自分が心配などせずとも、2人はうまくいくだろう。
から満足のいく答えを得たヒカリは、それならばもう自分がここにいる理由はないと腰を上げる。
「あれ、ヒカリちゃんもう帰るの?久しぶりに3人で会ったんだからもう少しゆっくりしていけばいいのに」
「なんだかお二人のラブラブな様子見てたら胸焼けしてきちゃったから帰るわね」
「ご、ごめんねヒカリちゃん…!私達そんなつもりじゃ…!」
「あはは、さんはそんなつもりがなくてもタケル君はそんなつもりなんですよ」
「ヒカリちゃんは何でもお見通しだよね」
去っていくヒカリの背中をが見詰めていると、タケルがふっとに身を寄せる。
もう誰に気を遣う必要もないと思ったのだろう、
ヒカリが予想していたとおり、テーブルの影で密かに重ねられていた手がぎゅっと握られてがはっとした。
「さんほら、2人で食べようって頼んだパフェ、まだこんなにあるからたくさん食べてね?」
「タケル君は食べないの?」
「僕?僕はさんが幸せそうに食べてるのを見てるだけで、もう幸せで、胸もお腹もいっぱいだから」
目の前に置かれているパフェよりも甘いであろう殺し文句だった。
ヒカリが去り際にそう言ったように、自分も思わず胸焼けを起こしそうだと思ってしまうほどに。
思わず彼女の顔が熱くなった。
にこにこと幸せそうな笑みを浮かべつつ自分を見つめるタケルの横で、高鳴る鼓動を必死に抑えながらも、は溶けかけた生クリームにスプーンを差し入れた。
まさかの展開、略してMT
御題配布元 :
CHI
(20210102)