夏風邪、ひきました。
「馬鹿か、お前は」
ええ、わかってましたよ。
まさかあの神田君が血相を変えて『大丈夫なのか?!』なんて私を気遣った言葉をかけてくれる筈がないって
そんなことわかっていましたとも。だからこそ彼の反応は想定内でした。
でもさ、だからって馬鹿はないでしょう。
「ひどいー馬鹿はユウじゃんー」
額に乗せた冷たいタオルの位置を直しながら、私は神田にそう返した。
他人には平気で馬鹿やら阿呆やら言うくせに自分がそう言われることは許せないのか、
私が彼に「馬鹿」と返せば、眉を顰めて睨まれてしまった。
「こんな時期に風邪をひくような奴に言われる筋合いはない」
「なによー、仕方ないでしょ、引いちゃったものは引いちゃったんだから」
口を尖らせて精一杯反抗をすれば、神田は呆れたような顔で私が横たわるベッドの縁に腰を掛けた。
「大体お前、最近ちゃんと飯食ってないだろ」
「だって仕事が忙しかったんだもん」
「忙しくて食事の時間すら惜しいのはわかるが、それで体調崩してたらどうしようもないだろうが」
「う…」
普段は食生活には一応気を遣ってはいるものの、
特別気を遣わなければ食が偏ってしまうような育ち方はしてこなかったせいか、
そこまで栄養価を気にするような生活はしていなかった。
とはいえ生活が忙しくなってしまえば、それはまた別の話で。
最近は仕事に追われて食事をすることすら忘れていたり、
手軽に済ませられるインスタントに頼りがちになってしまっていたのだ。
それに加えて今は夏。男性が多い職場は、血の巡りの悪い女性にとっては冷房が効き過ぎているような環境だった。
自分の知らない内に、体への負担は十分過ぎるほどにかかっていたのかもしれない。
「粥でも作ってやるからもう少し寝てろ」
神田は私への説教を終えると、そう言いながらベッドから腰を上げ、着ているシャツの袖を捲り始めた。
言うことは冷たいし厳しいくせに、することは優しい。
だから彼、神田ユウはずるいのだ。
だからこそ私は彼に惚れてしまった。
「まだ起きてくるなよ」
「…はぁい」
キッチンに向かう神田の背中を見送ってから、
私は天井を見上げた。
きっともう少し時間が経てば、私が横になっているこの寝室にも食事のいい香りが漂ってくるだろう。
健康に気を遣う彼は、もちろん料理も上手かった。恐らく女の私よりも上手いに違いない。
例え貶すような言葉を吐いても、
なんだかんだ気を遣ってくれて、困っていたら助けてくれて、弱っていたら不器用なりに優しくしてくれる。
それが神田ユウという男なのだ。
ふとベッドサイドに目をやると、
家に買い置きはなかったはずの冷却シートの袋が置いてあった。
そう、これも彼の優しさ。
きっと私が眠っている間にそっと出掛けて買ってきてくれたのだろう。
「やっぱり馬鹿はユウの方だよ、、、だって優し過ぎるもん」
ご飯を食べたら彼の買って来てくれたこれを貼って、ゆっくり休もう。
きっとユウは私の風邪が完治するまで看病し続けるつもりに違いない。
自分のためにも彼のためにも早く元気にならなければ。
予想通りキッチンから香ってきた、彼が作ってくれているのであろう食事の香りに胃袋が動き出すのを感じながら、
私は一人そっと幸せを噛み締めた。
(20211008)