明かりが灯っていない部屋に窓からの月明かりが差し込んでいる。
そのおかげで部屋の様子は判断できるけれど、やはり少しばかり薄暗い。
「ごめん、」
ぽつり、と嘆かれた言葉に僕はその場に立ち尽くした。
その言葉は誰に対して囁かれたものなのか、僕には理解できなかった。
ただそれはきっと僕に対してのものではないと、何の根拠もないけれどそう思った。
窓辺に腰かけて月を見上げるさんの姿は言葉にできないものだった。
月明かりがちょうどいい具合にさんを照らしていて、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
「ごめん、ね」
再度同じ言葉がさんの口から紡がれた。
少し切なそうな顔を浮かべつつ月を見上げる様子は変わらない。
きっとさんは暗闇に立ち尽くす僕の姿に気づいていないのだろう。
まるで何かに取り憑かれたかのように月を見上げている。
だから僕は敢えて何も口にしなかった。
できるだけ気配を消してみようなんて思ってみたりもしたけれど、
今の状態でもさんは僕に気づいていないのだ。
それならばわざわざそんなことをする必要はない、そう思ってそのままでいた。
「もう戻れないの、」
今度は謝罪の言葉とは違う言葉が聞こえてきた。
しかしながら依然としてそれが誰に対してのものなのか、わからずにいた。
「私はここで生きていくって決めたから、」
何かを決心したかのようにさんが唇を噛み締めた。
薄暗い部屋の中でもさんを照らす月明かりのおかげで、彼女の様子は明瞭だった。
少し離れたこの位置からでも彼女の表情がよく見える。
だからこそ彼女がどうしてそんな痛々しい、切ない表情を浮かべるのか気になってしまったけれど。
「だからごめんなさい、」
腰掛けていた窓辺の近くの壁に頭をこつんと付けて、さんは目を閉じた。
月光に反射してきらりと一筋の涙が光る。
それが妙に神秘的で、僕は思わず綺麗だと思ってしまった。
しばらくの間、さんはその状態のままでいた。
だから僕も同じ場所に立ち尽くした状態でずっとそうしていた。
やっとさんの瞼が開かれた時、偶然にもさんの視界が暗闇に立ち尽くす僕の姿を捉えたらしい。
壁に付けていた頭を持ち上げてさんが口を開いた。
「フゥ太?」
さん自身はその視界に捉えた姿が僕だという確信がなかったらしい。
語尾が上がるその調子に僕は苦笑いを浮かべた。
「うん、僕だよ」
そう言ってようやくその場から足を踏み出す。
その間もさんは窓辺に腰掛けたままの状態で、自分に近付いてくる僕を見つめていた。
それはしっかりしたさんらしい、いつもの様子ではなかった。
どこか気の抜けたような弱弱しさを感じて、僕は少し不安になった。
「さん…大丈夫?」
僕がそう呟いてからさんの顔を覗き込めば、さんはさっきの僕と同じように苦笑いを浮かべた。
「うん、だいじょうぶ、だよ」
そんな顔をしてどこか大丈夫なんだよ、僕はそう言いたかったけれど、
何故だかそれは口にしてはいけないような気がしたから僕は何も言わなかった。
言葉を発するその代わりに、未だ微かに涙が滲んでいるさんの目元に手を伸ばしそれを拭った。
「フゥ太、」
僕を呼ぶ声が発せられる。震えた、弱弱しい声が。
胸を締め付けられるような、そんな声が。
彼女に何があったのか気になって仕方がなかったけれど、
それを尋ねてしまえばきっとまたさんが泣いてしまうような気がした。
だから僕は何も聞かなかった。
ただ再び、ごめん、と囁かれた声が今度は僕に向けられたものだと、そのことだけを感じながら。
月に「ごめん」という君
タイトル配布元様 :
PINN
(20080307)
(20210318)修正