さんは僕にとって憧れの存在だった。 今やファミリーのボスであるツナ兄が家にいない時には彼の代わりにいつも遊んでくれたし、 誰よりも優しくて可愛くて笑顔の素敵な人だった。 それが今から10年前のことなのだから10年後の今、 彼女がより素敵になっていることは言うまでもなかった。 昔は『姉』と呼んでいたのに、呼び方もいつのまにか『さん』になっていた。 最初に僕は彼女のことを憧れの存在だったと言ったけれど、 それが過去形であることからもわかるように、 それは僕が小さかった頃の話であって10年後の今は違っていた。 ただの憧れだった気持ちは年を重ねるごとにどんどん膨らんで、 今では憧れだけでは済まなくなってしまった。 もしかすると彼女よりも5歳も年下の僕は、彼女の恋愛対象には入らないのではないかと思う時がある。 昔は幼かった僕だって10年も経てば身長も伸びて声変りも経験したし、見違えるほど変わったと思う。 だけどどれほど自分の容姿が変わったとしても、僕がさんより年下だということに変わりはないことが悔しかった。


さん」
「んー?なに?」


机の上で書類整理をしているさんは、ソファに座る僕に背を向けている。彼女は今仕事中で忙しそうだった。 用事があって彼女に呼ばれたわけでもないのに僕は勝手にさんの部屋に来ている。屋敷にいてもさんが暇を持て余していることはあまりなくて、 時間さえあればいつも何かしら仕事をしている。だから今日さんが自分の部屋にいると聞いたときも、絶対何か仕事があるんだろうなと思っていた。 間違いなく忙しいだろうし、僕が行ったら邪魔になってしまうだろうということもわかっていた。 でもさんは優しいから絶対僕を邪魔者扱いしない、たとえ自分がどんなに忙しくてもだ。 そういうわけで僕は今、もうすぐで終わるから待っててね、と言ってくれたさんの背中を見つめながら彼女の部屋に居座っていた。 何度も言うけれど、今、さんは仕事中である。仕事中のさんが僕に構っていられないことを理解していながら、僕は勝手にさんの部屋に来たのだ。 だからもし相手にされないとしてもそれは仕方のないこと。 そう頭では分かっているのに実際にそういう状態になっていることが急に虚しく思えてきて、 僕はついさんに声を掛けてしまった。仕事中、ましてや書類整理の最中なら尚更のこと、 なるべくなら話しかけないで欲しいと誰しも思うだろうが敢えてだ。 もしさんがそう思ったとしても、彼女は決して口には出さないだろう。そのさんの優しさに僕は甘えている。


「まだ終わらない?」
「うーん…ごめんね、もう少しだからもうちょっと待ってね」


返ってきた声は至って柔らかな音色だった。 ほら、僕が仕事中に話しかけても彼女は絶対に怒らない。間違いなく邪魔だろうに。 どうしてこんなに優しいんだろう。 それが僕に対してだけではなく、誰に対してもだということが少し悔しいけれど。さんのそんな必要以上の優しさが、僕の憧れを大きくさせた原因でもあるということに彼女は気づいているだろうか。 いやきっと僕の気持ちにさえ気付いていない。 だって思いもしないだろう、ただの弟だと思っていた存在に想われているなんて。 でもさり気無くこの自分の気持ちをいろいろな形で表しているつもりなんだけど、 一向に気付いてもらえない。 まだまだわかりにくいということだろうか。わかって欲しいのに、早く気付いて欲しいのに。 はあ、こういうところが僕はまだ子供なのかもしれない。 自分の気持ちをはっきり伝えることもしないのに、 相手には気付いて欲しいだなんて、我儘だよね。


「フゥ太、溜息なんてついてどうしたの?待ちくたびれちゃった?」
「え?あ、いや、」


どうやら考えていたことが溜息となり、形になって表れてしまったらしい。 さんは苦笑しながら、もう一度僕に待たせてごめんねと告げた。 どうやら書類整理は終わったらしい。さっきまでさんが座っていた机に目をやれば、綺麗に分けられた書類がそれぞれ重ねられている。


さんが謝ることないよ、僕が勝手に部屋に来たんだから」
「でもフゥ太を待たせたことには変わりないし、本当にごめんね」


僕が座る向い側のソファに腰をおろしたさんは、僕の目の前で困ったように笑った。 彼女を困らせるたびに、僕はまだまだ彼女よりも子供なのだと痛感する。 彼女に相応しくなりたいと思うと共に、それはまだまだ自分には遠いことのように思えてしまう。 だけどこの気持ちだけは本物だから。もうただの憧れなんかじゃない。 憧れは過去に置いて来たんだ。 そして憧れを超えた気持ちが今では恋になった。 でも本当は恋なんて陳腐な言葉では言い表せないから。 だから近い将来、僕は必ずさんに相応しい男になるってここに誓うよ。


置き去りマイハート
(ただの憧れだった気持ちは、もう戻れない過去にあるだけ)


タイトル配布元 / 美しい猫が終焉を告げる、

(2008.02.26)
(2020.09.20)修正

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