朝起きていつも通り制服に着替えようとクローゼットを開いたところでは絶句した。 制服の上着はあるのにいつものボトムスがない。 いつも身につけているはずの制服のパンツが無いのだ。 昨日確かにここにしまったはずなのに。 一瞬夢かと思ったが昨日パンツを掛けたはずの場所に今まで無かったものが用意されているのを見て、 は全てを悟った。 夢でも気のせいでもない。誰かが自分の制服をパンツからスカートに変えたのだ。 誰の仕業かなど愚問である。 つい先日、その件で上司と揉めたばかりだった。犯人はその上司でしかあり得なかった。 彼はどうしても自分にスカートを履かせたいらしい。


「あんのクソ上司…!!!」


皺が出来るほどにその上司に向けた怒りを用意してあったスカートを掴んでなんとか抑えようとするが、 どうがんばってもそれはには出来そうになかった。 しかし強制的に用意された新しい制服が気に入らないからといって、 このままずっと部屋にこもっているわけにもいかない。 予備のパンツすら完全に撤去されてしまっていてはもう目の前にあるそれを身につけるしかなかった。 はもう一度目の前のハンガーに掛かっている白のスカートを見詰めてから、盛大に溜息を吐いた。







うんざりした顔で部屋を出て真新しい制服に身を包んだは仕事場へと続く建物の廊下を歩いていた。 足取りは重い。 ならばなら知った顔には遭遇したくなかったが、職場に辿り着いてしまえばそうも言ってはいられない。 上司に物申し、パンツの制服を返してもらうまでは、 自分の下半身の大部分を世間に晒しているという羞恥に、何とか耐えなければならないのだ。 まだまだ一日は長い。朝からこんなことでは一日身が持たなくなってしまう。半泣き状態のが必死で気を引き締めていると、前方から聞き慣れた声に呼び掛けられた。


「ん?もしかしてお前、か?」


名を呼ばれたが顔を上げると、少し離れた場所から見知った顔が物珍しげに彼女を見詰めていた。


「が、γさん…」
「やっぱりか!おいおい、今日は随分と可愛らしい格好してるじゃねえか、珍しいな。どうしたんだ?」
「こっ、これはえっとその…いろいろと事情がありまして…!」


少しずつ自分に近付いてくるγから逃げるようにじりじりと後退りつつ懸命にがそう釈明すると、 ガンマは不思議そうに首を傾げた。


「事情?」
「じ、実は白蘭さんに無理矢理こんな格好にさせられて…っ!うう…!」
「あー、それでそんな格好なのか…って!お、おい、大丈夫かよ、泣きそうじゃねえか…話なら聞いてやるからとりあえず落ち着け…!」


膝よりも随分と上の位置にあるスカートの裾を必死に下に引っ張るは、唇を噛み締めている。 泣きそうな顔で頬を赤らめている様子からすると、必死で羞恥に耐えているらしい。 事の次第を聞いたγは、心の底から憐れむような視線をに送った。


「お前のスカート姿なんて見たことねえから随分と珍しいと思ったら、そういうことだったのか…お前も大変だな…」
「毎日白蘭さんからパワハラの嵐を受け過ぎていて辛いです…ううっ…」


もう耐えられないとばかりに思わず両手で顔を覆い、自分の上司の横暴さを嘆くの様子にγは苦笑いを浮かべた。


「まあ、お前にとったら今日のそれは慣れない格好かもしれねえけど…俺は似合ってると思うし、可愛いと思うぞ?」


γの優しげな眼差しが彼女を包み、先程からずっと彼に見られているという恥ずかしさからは思わず俯いてしまった。 γから送られる賛辞の言葉は嬉しいが、実際のところ、 『可愛い』と言われる度にの頬はますます朱に染まっていく。


「あ、ありがとうございます…」
「おう、だからそこまで気に病むことじゃないと俺は思うが…まあ、元気出せよ」


そう言って彼女を慰めるようにの頭をぽんぽんと撫でる優しい拳に、彼女の頬がこれ以上に無い程赤く染まった時。 まるでその様子をどこかからずっと眺めていたのではないかと思うようなタイミングだった。 突然、抑揚のない声がとγに浴びせかけられる。


「あれー?チャンとγくん、ここで何してるのかな?」


γの背丈のせいでにはその声の持ち主の姿は見えなかったが、 彼の背後から掛けられたのであろう自分達を咎める様な声に思わずの身が竦んだ。 姿など見ずともこの声の持ち主はわかっている。彼しかいない。


「…白蘭」
「もう始業時間が始まってるのにいつまでも経ってもチャンの姿が見えないから、今日は随分とお寝坊さんだなと思ったら、こんなところでγくんと楽しくおしゃべり?良い御身分だねえ?」


そう口にしながらとγの傍まで歩いて来た白蘭の顔にはいつも通りのにこやかな笑みが浮かんでいたが、瞳は笑っていなかった。 自分を責めるきつい言葉にが白蘭の方を見られないでいると、それを見て取ったγが溜息を吐いた。


「そこまでを責める権利がお前にあるのか?」
「もちろんあるよ、彼女は僕の直属の部下だからね。僕が彼女を必要だと思うときにはちゃんと傍にいて貰わないと困るんだ」


白蘭はの肩を抱き寄せ、γに見せつけるように『そうだよねえ、チャン?』と彼女に顔を近付ける。 は気まずそうに唇を噛んだまま何も言わず、白蘭とは目を合わせなかった。 一瞬それを面白くないとばかりに白蘭の目が細められたが、彼はすぐにγに向き直った。


「ところでγくん、君は今日は外でお仕事でしょ?仲間達が待ってるのにこんなところでのんびりしてていいのかなあ?早く行った方がいいんじゃない?」
「…お前に言われなくともそうするつもりだ」


鋭い一瞥を白蘭にくれたあと、γは舌打ちをしてその場を去る。 この場に残されるの身を案じてか、 去り際に解放されている方のの肩をγが優しく叩くと、その様子を色の無い瞳で白蘭は見詰めていた。 γが去った廊下にはと白蘭は取り残されている。 ピリついた空気の中にいたたまれず、とにかく早くこの場を去ろうとは思ったが、先に動いたのは白蘭だった。 彼女の考えを予知したのか、逃げ出そうとしていたの腕を彼女がそうするより前に白蘭が掴んだ。


「…離してください」
「嫌だって言ったら?」


せめてもの抵抗でが白蘭を睨んでも返ってくる視線はいつも通りの飄々とした物だった。


「そのスカート姿、γ君に褒められて随分と嬉しそうだったね」
「…そんなことありません」
「あんなに嫌がってたくせに、僕以外の男にちやほやされたら顔真っ赤にして喜んじゃうんだねぇ」
「ち、違います…っ!」
「へーえ?」


そう指摘されて図星だと言わんばかりに再び頬を染めたの態度が気に食わなかったのか、突然白蘭が彼女の腕を強く引いた。 それに反応する暇もなく、は白蘭の腕に飛び込んでしまう。 片腕を掴み上げられたまま、もう片方の手で顎を掴まれ強制的に視線を合わせられる。焦ったの喉が上下した。


「今日一日スカート姿で仕事してくれたら前のパンツの制服は返してあげようと思ってたけど、気が変わった」
「な、なんで…っ」
「君のその可愛らしい姿や綺麗な脚を、僕以外の男達の前に晒すなんて考えた僕が馬鹿だったよ」


そこまで言うと白蘭はを抱き上げる。 驚きのあまり絶句する彼女の様子など気にも留めず、先程が歩いて来た廊下を元来た方へと戻っていく。


「びゃ、白蘭さん…一体どこに行くつもりですか」
「何処って君の部屋だよ」
「えっ?!ちょ、ちょっと待って下さい!早く仕事に行かないと…!私だけじゃなくて白蘭さんもでしょう?!」
「大丈夫、ちょっと気分が優れないからチャンの部屋に着いたら正チャンに内線で電話して、今日は休ませてもらうことにするから」
「っ?!」


軽々とを抱え、すたすたと廊下を進む白蘭の足は止まらない。


「白蘭さんはそれで良くても私は仕事が…!」
「何言ってるの、チャンも一緒に休むんだよ。僕の介抱があるんだから」
「そんなの知りません!どうして私が…!」


自分を抱える白蘭の腕から逃れようと身を捩っても腕の力は弱まらず、 逆に強く抱きこまれてしまった。


「誰のせいで僕の気分が優れないと思ってるの?」
「そ、そんなの私が知るわけ…」
チャンがγくんと仲良くしてたせいで、さっきから僕の中にドス黒い感情が渦巻いているんだ」
「…っ」
「だから今日は君が一日掛けて、僕の心を浄化する必要があるんだよ」


そう言ってに微笑みかける白蘭の瞳は、少しも笑っていなかった。 逃がさないと言わんばかりに彼の瞳の奥に潜む冷たい色がの胸を突き刺し、それは彼女にとって脅迫に近いものだった。 その視線を向けられたが最後、彼に逆らえばどうなるかなどわかっている。 身が震え、命の危険すら感じられる冷たい瞳なのだ。 何も言い返せなくなったが思わず口を噤み俯くと、彼女の頭の上で満足げに白蘭の唇が弧を描く。


チャンの可愛い姿を思う存分堪能していいのは僕だけなんだから」


独占欲の滲む言葉を必死に聞こえない振りをしても、それは最早何の意味も持たなかった。


トリガーは誰の物


お題配布元様:誰花
(20210215)

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