目を覚ませば白い海に溺れていた。
意識と視界がはっきりしてくると同時に、背後から自分の腰に巻きついている腕の重みを感じ始める。
僅かに身を起こし振り返ると、白銀の髪をした男が自分の背後で穏やかに寝息を立てていた。
振り返り際に視界に入った自分の肩口には昨夜彼に付けられた噛み跡が残っている。
少しだけぴりりと痛むそこに、思わず恨めしい目で彼を見やってから一つ溜息をついた。
情事の最中、彼に噛みつかれるのは初めてではない。
いつもというわけではないが時折思い出したように噛みつかれることがあった。
いつもではないとはいえ歯型が残るほど噛みつかれるのはかなりの痛みがある。
痛い、やめてくれと泣いて訴えても、ごめんねと言うばかりで彼にそれを止める気がないのはいつものことだった。
その上更に性質が悪いことに彼は好きなだけ私に噛みついたあと、
今度は労わる様にぬるぬるとそこを執拗に舌で撫で上げるのだ。
恍惚の表情を浮かべた彼に好き勝手されている間、眉を寄せ唇を噛み締め、鋭い痛みに耐える自分の姿を見ては
いつも彼は目を細め満足げな笑みを浮かべていた。
情事の際には聞いて貰えない願いも普通の時であれば聞き入れて貰えるのではないかと思い、
ふとした仕事の合間に恥を忍んで噛むのはもやめてくれと彼に願い出るも
『チャンが可愛すぎるのがいけないんだよ』
と訳のわからない言い訳をされてしまった挙句、上手く言いくるめられてしまった。
結局、もう噛むのは止めて欲しいという自分の願いは全くもって聞き入れて貰えず、
付けられた噛み跡が消えるころになると新しい傷が上書きされるのである。
「さむっ」
意識がはっきりとしたところで身を起こしたは良いが、気付けば体には何も纏っていなかった。
昨夜の情事の後そのまま意識を手放してしまったせいで、
秋めいて来た今の時期の気温は少しばかり裸の身に堪える。
外は既に明るくなっているが、普段ならまだ眠っているはずのこの時間に目が覚めてしまったのは、トイレに行きたくなってしまったからだ。
ベッドから降りて自分の服を探そうにも、昨夜白蘭に強引に身ぐるみを剥がされてしまったため、
好き勝手服を放り投げられてしまっていて下着すら見つからない。
再度溜息を一つ吐いて、さてどうしたものかと考える。
いくら部屋の中にトイレが隣接されているとはいえ、裸のままいくわけにもいかない。
頭を悩ませていると自分のものではないシャツが目に入った。サイズからして白蘭のものだろう。
もう一度自分の背後で未だ寝息を立てる姿に視線を送る。
大丈夫、まだしばらく目を覚ましそうにない。
さっと行ってさっと戻ってくれば、これから自分がする破廉恥な姿を彼に見られることもないだろう。
そう思ったは白蘭の白いシャツを少しだけ拝借し、軽く身に纏ってから忍び足でその場を後にした。
ほんの2、3分足らずのことだった。
それなのにが部屋に戻りベッドにそっと片足を掛けたとき、
まだ眠っているはずだと思っていた白蘭とばっちり目が合ってしまい、
驚きのあまり思わず足を捻りそうになってしまった。
「チャンおかえり〜」
「び、白蘭さん、起きてたんですか」
驚いたがそう返せば、白蘭は身を起こし欠伸を一つ零してからベッドの上で胡坐をかく。
にっこりと笑った白蘭の視線はずっとに注がれていた。
「ねえ、チャン」
「は、はい」
「今君が着てるのって、僕のシャツだよね?」
「…っ、ご、ごめんなさい、これは…ちょっとトイレに行く際にお借りしました」
「ふーん、それは別に良いんだけどそれってもしかして」
「はい?」
「巷で男のロマンだって噂の彼シャツってやつじゃない?」
興味深げにそう呟いた白蘭の言葉に、一瞬が固まる。その話は聞いたことがあった。
自分より体格の小さい彼女に自分の服を着せては、
その余り具合の愛らしさに女の彼氏は庇護欲を掻き立てられるという。
白蘭にそう言われるまで自分がいわゆるその彼シャツとやらをしているつもりが無かったは、
彼にそう指摘されたせいでまるで自分がそれを狙って行なったかのように思えてしまい、
次第に顔が熱を持つのを感じた。
「僕が頼んだわけでもないのに自分からそんなことしてくれるなんて、今日のチャンはサービス精神旺盛だね」
「ちがっ…!そもそもこれは昨夜白蘭さんが私の服を適当に投げ捨てるから見当たらないせいで…」
「そうだったっけ?」
「そうですよ!!!」
「あはは、ごめんね?昨日のこと…は残念だけどチャンに夢中になり過ぎてよく覚えてないや」
の顔がますます熱を持つ。
彼女が思う白蘭のいやなところの一つは恥ずかしいことを平気で口にすることである。
それが2人の時だけのことならまだよかった。
だが残念なことに自分以外の人間の前でも平気で恥ずかしいことを口にするので、は困り果てていた。
最悪なことに入江の前でも平気で情事のことさえも口にするので、
真っ赤になった彼がその場で頭を抱えることも少なくなかった。
特にそれはが白蘭以外の男と一緒にいるときに顕著であるように思える。
「すみません、今度からはちゃんと自分の服を着るようにしますから」
「どうして?」
「どうしてもこうしても本当は白蘭さんに見られるつもりなかったのに」
「見られたくなかったの?」
「だってこんな格好恥ずかしいじゃないですか…!」
「へえ、恥ずかしかったんだ?でもチャンが起きた時に僕も起きちゃったから本当は最初から全部見てたんだよね」
「は?」
「寝た振りしてたんだけど急に僕のシャツを羽織ったときはびっくりしちゃったよ、後ろ姿もえっちだったなあ」
「…」
白蘭のその言葉を聞いては思わず肩を落とした。
最初から全て彼に見られていたとは。
彼を起こさないようにそっとベッドから離れたのも、
彼が起きないうちにと急いでトイレから戻って来たのも、すべて無駄な努力だったらしい。
「ねえ、チャン」
「はあ…なんですか」
「チャンが裸にシャツだなんて、そんなえっちな格好してるおかげで僕また元気になっちゃったんだけど」
「っ、いちいち言わなくていいですから…っ!」
「僕が言いたいこと、わかるよね?」
「…っ、」
「責任取ってくれる?」
ぐいと腕を引かれは自然と白蘭の脚の上に跨るような格好にされてしまう。
上半身に纏っている白蘭のシャツのおかげで隠れているとはいえ、
下着を付けていない状態で彼の前に股を広げてしまっていることに羞恥で思わず顔が熱くなる。
いつの間にか裾から入り込んだ手がわざとらしく太腿を撫で上げる感覚に鳥肌が立った。
その手が腰まで辿り着くとくびれを掴んで引き寄せられる。
突然のことに彼の両肩を掴んで身を支えると至近距離で彼を見下ろす形になった。
「嫌なら逃げていいよ」
「…逃がす気なんてないくせに」
「あはは、わかってるなら話が早いね」
自分をからかうように細められていた瞳がぎらついたと思った次の瞬間に首の後ろに添えられた手が2人の距離をゼロにする。
咬みついた唇から忍び込んだ舌が自分の口内を遊び始める感覚に、観念したはそっと目を閉じて彼に身を任せた。
「彼シャツもいいけど」
「?」
「どうせすぐ脱がしたくなっちゃうから僕はあんまり興味ないかも」
そう言って白蘭はが来ている自分のシャツの襟元をぐいと開き、自分の付けた噛み跡をそっと指でなぞった。
身を刺す小さな痛みにが息をのむと、それに気付いた白蘭が満足げに口角を上げたあと彼女の耳元に囁きを落とす。
「僕は守りたいっていう庇護欲よりも支配欲の方が強い人間だから、ね?」
一枚越しに重ねた代償
お題配布元様:
誰花
(20201017)